えのはの家

えのはの家 えのはの家 えのはの家

山家料理「えのはの家」は、五ケ瀬川の支流「波帰川」沿いの標高700mの地にあります。客室は奥の8帖2部屋、6帖2部屋と広間の5室です。お風呂はアウトバスですが、一部には五右衛門風呂もあります。玄関横の板の間は、囲炉裏が三つ切ってあり、レストランとして使用しています。

HISTORIA 「えのはの家」

えのはの家 昭和50年(1975)10月に民家風の茅葺き屋根として建築しました。今では茅葺き屋根の上を更に鉄板で覆って茅葺き屋根を保護していますが、内側は、そのままなので囲炉裏から見上げる大きな屋根裏は黒々と光っています。

えのはの家神楽 屋根裏は、麻殻を使用しています。この地は、かつては麻の生産が盛んでした。皮を剥いだ麻の殻は、茅葺き屋根の下地として使用されていました。奥の広間では、秋の紅葉シーズンになると夜神楽まつりが行われます。



「えのは」の語源

えのはの家看板かって、ヤマメのことを九州では「えのは」と呼びならしていました。昭和39年(1964)、波帰川に生息する「えのは」の人工ふ化養殖に成功して以来、昭和43年から東京の築地市場などに「えのは」として出荷しました。初めて築地市場に出荷した時、「五ヶ瀬えのは」として空輸しましたが、市場から「五ヶ瀬やまめ」とするように指示があり、爾来「やまめ」として取引されるようになりました。そして昭和50年、やまめ料理店を始めた頃は、誰も「えのは」とは呼ばなくなりました。そこで、古来より慣れ親しんだ「えのは」の呼び名を残そうと屋号を「えのはの家」と命名したのでした。



えのはの伝説

えのはの伝説 それでは「えのは」の語源はどこから来ているのでしょうか。駐車場を隔ててその奥にあるホテルフォレストピアの橋のたもとの左に大きな木が立っています。それは榎(えのき)という木で、秋には甘い小さな実を付けます。
実は、「えのは」とは、この榎の葉に由来しているのです。その伝説とは…。
《その昔、山また山。猫のひたいほどのその杣地に、その年の秋は、早くも白い雪がふりだしました。夏は、日照りでアワもキビも実りは少なく、寒い冬が越せるかどうか里人は心を痛めておりました。そんなある日、師弟とも見える旅の僧二人が行きくれて、里にたどり着きました。老僧には、あの峠を越えるにはあまりにも遅く、泊を乞うには、不作の年の不如意の食事が思われて、言いだしかねていると、里人は、「貧しいからとて、どうぞどうぞ」と宿をさせ、あたたかくもてなしました。翌朝、旅の僧は出発の時「淵にしぶきがとぶようになったらこれを浮かべよ」と衣のそでを引き裂きました。里人が、春にそれを流すと魚になり、美しく矢のようにひらめいて泳ぎはじめました。裂いた衣の袖は、榎(えのき)の葉の形をしていました。ーーー。》
※「衣の袖を裂いて渡された」という説と、「衣の袖の中から榎(えのき)の葉のようなものを取出して渡された」という説が二説あります。

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