五ケ瀬町鞍岡波帰集落のお盆について
2003.08.18更新
やまめの里
秋本 治
五ケ瀬町鞍岡波帰では、8月14日〜15日がお盆で、昔ながらのお盆の作法が伝承されています。03年のお盆を迎えて、この地区のお盆の模様を少し記録しておきます。
当地のお盆はもともと陰暦の7月14〜15日で、戦後、新暦移行により今日の8月14〜15日に行なわれるようになりました。これが、月遅れのお盆です。熊本などは、陰暦の7月をそのまま新暦の7月に直して行なわれている地域も多いようです。このように、もともとお盆は、陰暦7月15日の満月の夜に行なわれる行事であったのです。お祭りなども昔は陰暦で日程が決められていました。それは、月の満ち欠け、満月と闇夜を重要なポイントとして時期が決められていたのです。
この世で、生きとし生けるものは、満月と闇夜の関係が大きく生命に左右します。出産や死亡も植物の生殖も月の満ち欠けの影響を受けます。例えば,これから秋にかけて当地では、スズメバチやオオスズメバチの巣を獲って蜂の子を食べる風習がありますが、満月に巣を獲ってもサナギはあまり入っておらず、闇夜に巣を獲ればびっしりと重たいようにサナギが入っています。
満月は、生きとし生けるものすべてがハイテンションになって精神状態が高ぶり、闇夜は静かに落ちつくのです。こうしたことからお盆は、満月の夜精霊が帰ってくると思われたのでしょう。また、電灯もない時代に始まった行事ですので、月明かりで夜道も歩き易いということもあったでしょう。いずれにしても、陰暦から新歴移行により行事の内容がしだいに精彩を欠くようになったことも事実です。
さて、当地のお盆についてですが、お盆を迎える行事は先ず8月の墓掃除から始まります。墓場は、村の中央に共同墓地がありますが、十数年前に土葬の墓から納骨式の墓に共同で造り替えました。
8月になったらこの墓地の清掃を6日までに地区の役員が日程を決め一斉に清掃をします。清掃が終ったら、集落道、町道などの草刈を共同作業で一緒に行ないます。
そして8月7日は墓参りの日です。この日は早朝から村人がこぞって野の花やハナシバ(シキミ)などを墓地に持ち込みます。一番身近なご先祖様から順に親戚の先祖、ご縁のあった先祖の墓に盆花やハナシバを手向け、線香を焚いて手を合わせ、それぞれの墓碑の名前を読んで在りし日の先祖達を偲びます。この時、子供などにもよく教え込みます。お墓を回っているとお酒が好きであった先祖の墓には、お酒のワンカップが供えてあったりします。
その日、墓参が終ると七夕用の竹を切り出し、短冊に願い事などを書きこんで笹の葉に吊り下げ、飾りをつけて庭先に立てこみます。こうすると、ご先祖様が、盆が来たことに気付いて家に帰る準備をされるといいます。七夕は帰る目印になるとも言われていました。今では、子供さんのいる家庭くらいしか七夕を立てなくなりました。そして、この七夕用の竹が物干し竿になるのです。
古来から、「木ろく竹はち」と言われていました。「木は6月から伐採すること、竹は8月から切り出すこと」という意味で(旧暦ですが)、それ以前に切り出すと虫がついたりして長持ちしないという意味です。七夕の竹は、旧暦では7月ですが、物干し竿にはよいとされていました。
8月13日には仏間の天井から1m四方くらいの板を宙に吊り下げてショウロウ(精霊)棚をつくります。昔は雨戸を1枚外してこれを棚にすることもありました。近年は、ショウロウ棚を省略して仏間に机等を出して供えられる家庭も多くなりましたが、伝統をしっかり守り続けている家庭もまだあります。
ショウロウ棚には、位牌を仏壇から移し、収穫した農作物、ボンダラ(タラの煮物)などを供え、仏壇用の器にお茶と御飯等を供えて線香を焚き、先祖の里帰りを待ちます。ショウロウさんは、13日深夜、午前0時になったら「ボーン」といってショウロウ棚に来られ、15日の深夜12時にお帰りになると信じられています。そこで、その時間帯の午前0時前後には、雨戸や障子も少し空けておくのが慣わしです。

初盆の家には盆ちょうちんがところ狭しと吊り下げられます。かつては、村中が初盆の家に盆ちょうちんを上げる慣わしでしたが、近年は、生活改善として盆の2日だけで使い捨てるちょうちんは無駄ではないかということで親戚縁者だけが上げるようになり数は少なくはなりました。
ボンダラ。あのカチカチのタラの干物は今では大変高価なものになりましたが、昔は安価であったのでしょうか、たくさん買いつけて、テンコロ(藁を叩く木槌)で叩いてひびを入れ、藁縄でくくって流れ川に一昼夜つけてやわらかくしてから調理していました。子供の頃、箱眼鏡でヤマメ突きに行き、水中を覗いていると突然目の前にタラの干物が現われてびっくりしたものです。盆にタラを食べる習慣は今でも色濃く残っています。

14日の夜は初盆のお家で盆踊りが始まります。この一年に亡くなったお家に村人がこぞって集り、用意してあるお煮しめやボンダラを食べ酒宴が始まります。宴もたけなわになった頃合を見て、太鼓が「ドン、カッコ、ドン、カッコ、ドンカラカッコカッコカッコ」と鳴り出すと一斉に老若男女が立ちあがり,大きな輪を作って扇子やウチワを手に盆踊りが始まります。
1軒目が終るとまた次の初盆のお家に総出で移動し、また、お煮しめやボンダラの酒宴が始まり、頃合を見て再び盆踊りが繰り広げられます。そうしてまた次のお家に移動していきます。初盆のお家が多い年は深夜まで延々とこうしたことが繰りひろげられていきます。

演目は、1.新ばやり。2.さえき音頭。3.たかなべ音頭。4.おまち踊り。5.網引き踊り。などですが、それぞれ太鼓の調子が変り、踊りも変ります。盆踊りは、歌いながら踊るのですが、この歌詞をそらんじている人はもういなくなりました。今では、古老がマイクを握って歌詞を見ながら唄います。歌詞は「くどき」(口説)を中心にしたもので、鞍岡や椎葉の地名が細かく出てくるのには驚きです。歌詞については、詳しくは下記に記録していますので興味のある方はご覧ください。
http://www.miyazaki-nw.or.jp/yamame/bonodorikudoki.html
ご覧のように、ちょっと不気味な、おぞましいようなものばかりです。先人は、こうした盆踊りの場を戒めの教育の場としていたのでしょうか。

昔の盆踊りは、男も女も皆んな浴衣がけでしたが、最近は、普段着のままが多くなりました。お盆も日常の暮しの延長線上にあり暮しのメリハリがなくなりました。身につけるもので精神状態も変化するものです。皆んなが浴衣を着ないと一人だけでは恥ずかしいということになり、暮しの作法が崩れていきます。お盆の雰囲気や心意気もしだいに失せていくことになります。ここは是非浴衣の着用をお願いしたいものです。
14日から15日までは村中が、それぞれの家庭を回りながら酒食のもてなしを受け、先祖参りが続きます。初盆のお家では「寂しい盆でのう」または「初盆でのう」と挨拶します。初盆でないお家では「よか盆でのう」と挨拶を交します。村から出ていった方々もこの時は、里帰りしていて村人と顔を合わせ杯を交し、年一度の逢瀬を楽しみます。
盆には、動物の殺生を嫌う地方が多く、刺身も食べないという地域もあると聞きました。ところが、当地では、盆がきたら、ヤマメを捕らなければなりません。今では養殖もので済ましますが,養殖のない時代は、箱眼鏡をとりだして金突きでヤマメを突きに出かけます。

捕らえたヤマメは、串に刺してあぶり、15日の夜、ショウロウ棚の裏に刺します。ヤマメが無ければショウロウさんが帰れないのです。ショウロウさんは、13日の夜、盆トンボに乗って来て、15日の夜ヤマメに乗って帰える。「ヤマメはショウロウさんの乗り馬」と言い伝えられています。もっとも昔はヤマメとは言わず「エノハ」なんですが。
15日の深夜が近づくと、いよいよ最後のお別れとなり、カネロウそうめんを茹でて供えます。カネロウそうめんとは、小麦粉を平たく打ったメンで名古屋のキシメンのようなものです。カネロウは、平たく編んだ荷い紐のことで、昔は、しば刈りなどにこのカネロウを一本持っていき、乾草や薪をカネロウで背負えるように荷っていたのです。まあ、万能ロープというところでしょうか。ご先祖様の荷造りにこのカネロウそうめんが必要と伝えられているのです。
そうして、午前0時を迎えるとショウロウさんは、盆棚から居なくなります。ただ、小間使いのショウロウさんは、翌日まで残って荷物の整理をされるので16日の朝までは、お茶、御飯などを供えることになっています。こうして、鞍岡波帰集落のお盆は終りを迎えます。