やまめに学ぶブナ帯文化
2.月夜と闇夜
はじめは、谷川の湧水地に素堀の小さな池をつくり、毛針で釣ったヤマメを放養していた。さつま芋を蒸かして小麦粉と肉片を練り合わせて与えたり、ニジマスの配合飼料を与えたりするがなかなか食べてくれない。人陰を感じるとさっと矢のようにひらめいて逃げてしまう。野性が強い。警戒心が強い。「これは人が飼育できる魚ではないのかも知れない」時々そんな不安が頭をかすめた。
人工孵化をしてみようと産卵期に親魚を生け捕ることを考えた。成熟したやまめは餌を摂らないので釣れない。産卵期に捕る方法はウケと呼ぶ漁具を使って捕える方法があった。直径一二〜三aの竹の節四つのところで切りとり、1つの節を残して縦に十数本の切り込みを入れてバラバラにし、竹ヒゴで作った三〇〜四〇aほどの輪を中に入れて等間隔に広げ、蔓で輪の縁を巻いて止める。ついで、残った筒の上部の節をくり抜き、下部の節に二a程の穴を開け、筒の中を水が抜けるようにする。これでできあがりである。
浅瀬に石をV字形に並べて水流を集め、狭くなった部分にこのウケを仕掛ける。産卵のペアーを探して渓を上り下りするヤマメが、頭からウケの筒に入ると筒の中の一番奥の節は穴が小さいので行き止まりになり抜け出ることができない。狭い筒の中は水流があるので後ろすざりできず閉じ込められてしまう。矢のようにひらめき泳ぐヤマメもバックは苦手なのである。紅葉の季節だから、そのうち、落ち葉が流れて来て筒の中を埋めつくし、すっかり木の葉で埋まってしまう。朝、ウケを水面から上げて、川原に運び逆さにしてトンと叩けば木の葉と共にヤマメが竹筒の中から出てくるのである。
この方法だと無差別に乱獲するだけで効率が悪い。そこで、今度は深夜に谷川に入ってみた。夜の川は、子供の頃、夜釣りの経験があった。明るい内に、あらかじめ瀬のポイントと腰掛ける岩を下見して置き、夜、手さぐりで餌釣りをするのである。ポイントに当たったら夜釣りはよく釣れた。しかし、夜の渓は恐ろしい。川のモノが出るといわれていた。
はじめは、懐中電灯を灯して入ってみた。電灯の光に照らし出された川では、水面を通してヤマメが白っぽく見える。右に左に逃げ回っている様子がわかる。急に光を感じて方向感覚を失い、川岸の砂の上に飛び出してくるヤマメもいる。夜のヤマメは岩陰に潜んでいないことがわかった。
そこで今度は本格的にカーバイトのカンテラを灯して、渓に入った。シューシューと燃える光で闇を開きながら進むとテラテラと光る岩がせまる。カンテラを動かすと岩陰は大きな妖怪となって後ろで揺れ動くのである。背筋がぞーっとしたものだ。
カンテラの明かりに照らし出された水中では、あの警戒心の強いヤマメは、流れのない淀みに出てじーっと眠ったようにしているのである。まるで狐につままれたような気分で簡単に網ですくうことができた。時間帯は、深夜9時を過ぎてから。それ以前では逃げられてしまう。夜釣りでは9時をすぎると次第に釣れなくなった。時期は闇夜でなければならない。月夜には、逃げられてしまう。自然のヤマメには、昼と夜。月夜と闇夜。それぞれ違う顔があった。もちろん今では、これらの漁法は禁漁である。
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