アドベンチャールート

「神話街道探険記」

2002.10.16
やまめの里
秋本 治

 「神話街道はどのルートでしょうか」。西都市中のガソリンスタンドで給油を受けながら私は道路地図を取り出してガラスを拭いてくれているおじさんに聞いた。長身でほっそりした白髪まじりのおじさんは、拭く手を休めて広げた地図に見入りながら「なんか聞いたような気もするねえ」と軽く受け流してさっさと事務所の中に消えてしまった。
 「もっと真剣に聞いてよ」と不満そうに突っ立っていると事務所の中から大きな声が聞こえてきた。電話の声だ。「そうそう、その道らしい。いつかテレビで見たよね」。どうやら、知人に電話で聞いているらしい。ぶっきらぼうに見えたけれど親切なんだ。頭をふりふり事務所から出てきたおじさんは、再び給油ホースのハンドルを掴みながら「聞いたような気もするんだけどねえ。」と再び同じことを繰返した。電話先の人もよく分らないらしい。

 その時、車が給油に進入してきた。その車を見やったおじさんは、「あっ、市役所の職員が来た」と、給油ホースを車から抜いて給油口のキャップを締め、止った車の方に走り寄った。そして窓越しに何やら話をしている。その会話の内容に耳をそばだてると神話街道を尋ねているようだ。その内、私の方を見て手招きされた。地図を持ったまま、反対側にあるもうひとつのスタンドのところに行くと「市役所の職員だから詳しいと思うので聞いてください」という。
 そこで、私は「来年から開通するという神話街道を通ってみたいのですが、そのルートは木城経由でしょうか、それとも銀鏡経由でしょうか。」と地図を差し出しながら尋ねた。するとその市役所の職員氏もあまり詳しくなさそうで隣の席の同僚らしい人に向って「多分銀鏡経由ではないでしょうかね。」といいながら差し出した地図に見入っている。詳しくなさそうである。
 銀鏡経由の道路状況を尋ねると、スタンドのおじさんも市役所氏も銀鏡経由で南郷村に行ったことがないという。西都市ではまだ神話街道は認知されていないらしい。ともかく銀鏡経由が神話街道ということにして先ずは南郷村へ越えて見ようとハンドルを握った。

 神話街道は、宮崎から西都へ、そして南郷村、椎葉村、五ケ瀬町、高千穂町を結ぶ新たな山岳ルートとして最近県が打ち出した新たな施策である。
 南郷村と椎葉を結ぶ道路の内、最大の難所である中山峠のトンネルが来春開通するということで、これが開通すれば椎葉から1時間半とか2時間とかで宮崎へ行くことができるのだという。北九州方面から宮崎へ入り込む新たな観光ルートとして脚光を浴びるだろうと期待されている。

 西都のガソリンスタンドで距離メーターを0にリセットして219号を西米良に向って一ツ瀬川沿いに遡った。やがて道路は一ツ瀬ダムサイトに上がり、ダム湖の縁に沿ってくねくねと続く。最近の渇水で湖面が下がったのだろう、むき出しになった地肌が緑の中に際だって異様な光景を見せつける。銀鏡へ分岐する道路標識があった。そこからほどなく長いトンネルの入り口に差し掛かった。もうここは西米良村の近くで、そのトンネルの先には西米良で有名な児原稲荷神社がある。この稲荷社も神話街道のアイデンティティになっているのかも知れない。

 そのトンネル入り口に右に分岐している小さな道が見えた。この分岐点には一の瀬というバス停があり、右側にガソリンスタンド、正面には、銀鏡中学校小学校の案内板、烏帽子岳への道標、めじろ全面捕獲禁止の案内板等が並んでいる。銀鏡への入り口ということが分った。距離は西都市から28km地点である。 そのポイントの写真を撮り右折した。狭い道で急カーブの連続が続く。右に左に急ハンドルをきりながらダムの湖面が途切れるところまで行くと、ほどなく小さな農村のたたずまいの中に右の方へ銀鏡神社の標識があった。ここが銀鏡神楽で有名な旧東米良村の銀鏡集落である。折角の神話街道だからと、神社まで行って写真撮影。

 神社の案内板には「産土大神・三社大神を鎮祭する」とある。ご祭神は産土の命で三社とは・龍房山中に鎮座之大神、・宿神三宝荒神、・六社稲荷大明神となっている。アニミズム的山岳信仰の古い由緒ある神社のようである。ここの神楽は、猪の頭を神前に供え、猟の様子を舞うという特長をもつようである、いつかTVで見た。
距離を書き込んで再び銀鏡川沿いに狭い坂道を登って行く。途中「道を間違った?」と思うほどますます道幅は狭くなる。林道規格の幅員4mもないようなつづらおりの杣道である。離合する場所もないが殆ど車に出会うことはない。 再び集落が見え出した。地図を見ると古穴手らしい。Y字型の分岐があり、神門・鬼神野方面は右とする標識がある。右の方へ進んでいくとますます道は険しくなった。険しい崖が聳える。さすが銀鏡神楽の地だけあるなあと感心しながら見上げてアクセルを踏むと車はあえぎあえぎ登って行く。

 ようやく峠に辿りついた。国道219号の銀鏡への分岐から21km地点である。百済の里へ26kmとハングル文字で併記したオーバーハングの案内板があり、この峠を下るといよいよ南郷村だと期待感が膨らむ。
 峠から下りはコーナーリングを楽しみながら降りて行く。突然カーブの出会い頭で杉を満載した大型トレーラーに出会った。急ブレーキを踏んだら目の前でトレーラーの大きなバンパーがまるで大きな息をしているように上下へ揺れながら止っている。おーくわばらくわばら、車が通らないと安心してはならない。長い坂道を降りたところに橋がありT字になっている。方向としては左のように思うが、神門・鬼神野は右となっている。そこで右に辿ると今度は下流に向って下りていく。地図を見ると小丸川の源流を下りているのだ。道路は急に二車線になったと思うと再び「おや、道を間違えたか?」と考え込むような狭い道に急変する。

 やがて、Y字型の分岐が見えた。この標識によれば、右すれば神門へ16km、左すれば鬼神野5km・神門10kmとある。この道が神話街道第2の難関、茶家越トンネルだ。このトンネル開通により、神話街道の発想となったのかもしれない。ところがあいにく左して茶家越トンネル方面は工事中に付き通行止めとある。仕方ないので右して更に下流に向って下りた。茶家越ルートのトンネルはこの春通った経験がある。立派なトンネルであったが、トンネルの前後がとても悪路で、回り道したほうが早いのではと思ったほどだ。今は急ピッチでその難所の改良工事がなされているのであろう。

 川下に向っていた道は再び左の山岳地帯へ登り始めた。「やれやれ、いつになったら南郷村へ辿り着くのだろう」。そろそろくたびれてきたころ、ようやく峠に出た。そこは南郷村の「恋人の丘」であった。村を見下ろす高台に建つ六角形の東屋には鐘が吊り下げてあるのでこれを鳴らすと恋人にめぐり合えるという仕掛けだろう。その下には野外劇場がある。

 ようやく百済の里の南郷村に到着した。219号線の分岐から実に山岳難渋道路は46kmである。宮崎を朝8時30分にスタートして12時となっている。ここで昼食をと、物産館に併設されているレストランに入った。椅子席はバスの団体さんがいる。間仕切りしてある部屋へ上がろうとしたら「今日は団体さんのため一般の方はお断りしています」と断られてしまった。「席は空いているのに」と思うが、今のご時世は、最低限の人員でこなしているので団体だけで手一杯なのだろう。やむなく、外へ出て西の正倉院の方へ歩いて食堂を探すが、入りそうなところがない。諦めて駐車場の方へ歩いて帰っていたら先ほど閉まっていた物産館横の食堂でおばあさんが食堂の暖簾をかけている。「営業されていますか」と尋ねるとそのおばあさんは、「あはは、開けるのを忘れていたよ」と笑いながら中へ入ったので続いて入った。なんとか食事にありつけそうである。

 「最近はお客が少なくてネエ、たまたま今日はそこには団体が入ったけどね」と、おばさんはうどんを運びながら隣の物産館を顎で指した。
 うどんをすすっていると利発で感じのよさそうな女性が入ってきた。食堂のおばあさんと気安そうに会話している。馴染みらしい。そこで「神話街道ってご存知ですか」と尋ねて見た。すると「まだまだ整備するには相当な時間がかかりますね」という答えが返ってきた。おっ、意外とその女性は詳しいのだ。食堂のおばあさんは全然知らなかったのに。
 職業を聞いたらなんと村議会の事務局だという。道理で詳しいはずだ。それから一気に会話が弾み、お陰で南郷村の状況や裏話?をかなり学ぶことができた。けれども、神話街道のメインとなる中山峠やトンネルについてはあまり情報がない。「中山峠を越えて椎葉に行ったことはありません」とおっしゃる。目はいつも日向市なのだ。私は2度目でこちらのほうが詳しいので峠道の険しさを説明し「今からそこを越えようと思っている」と言ったらその女性はびっくりしていた。

 南郷に別れを告げて一路中山峠を目指す。南郷の中心街から数分のところで二車線の道は途切れ、普通車がやっと通れるような山岳道路に急変する。川の石が美しい谷川沿いを遡上すると右に狭い急坂路が分岐しており、ここから右にたどるのが中山峠だ。ところが、そこには通行止めの看板がある。迂回路はR388とある。「やあ、困った。どうしょう。」しかし、迂回路を進むしか方法はない。R388は大河内から人吉に抜ける山岳道路である。「えい、ままよ」とR388を走ることにした。国道といってもここは国道の規格は全く無い。地図にも、「通行困難個所多し」と注釈が入っている。まさに酷道である。どこをどう廻ったかもわからないように右に左にぐるぐるとハンドルを切りながら森林地帯の中をひたすら登って行く。鹿が2頭、道で遊んでいるのに遭遇した。テンが道案内するように車の前を走りだし、急に身を翻して土手の中へ消えたりする。

 やがて「九州大学演習林」の看板が見えた。「やばい、このまま行ってしまうと大河内に出てしまう」。峠を越えて下りの途中、右に林道が現れた。「椎葉・五ケ瀬」の案内板が朽ち果てている。「ここだ、これを右に行けばいいんだ」。こうして右の林道へ入りまた峠をめざして上り始めた。この道は地図に載っていない。「今日は何度峠を越えたのだろう」。思い出せないほどだ。車はあえぎあえぎ峠に上がった。どうもはじめての道ではなさそうだ。なんとなく見覚えのある部分がある。下る途中に水場が見えた。「よこ井の水」と案内板がある。これですべてを悟った。この林道は椎葉から西米良に越えるとき何度か走ったことがあった。国道265号よりもこちらの方が椎葉からは西米良に近いのだ。状況がつかめるとほっとした。

 こうしてようやくやまめの里に帰りついたのは午後2時半である。昼食時間も含めて6時間の行程であった。神話街道は、中山トンネルが開通しても、とてもバスが通るような道ではない。九州の山は深い。街道ではなくてまさにアドベンチャーコースである。それゆえに神秘性もある。皆さんもチャレンジされてはいかが。今紅葉のシーズンです。(終り)