宮崎のアイデンティティ
やまめの里 秋本 治
阿波岐が原
1994年は、伊勢神宮の式年遷宮の年であった。この時、五ケ瀬町鞍岡の神楽を神
宮で奉納しようという話がもちあがった。伊勢神宮のご祭神は天照大神であるこ
とから天照大神の舞を神宮で舞おうというのである。
そこで神楽保存会は、太鼓や注連縄、ささ竹、榊等舞道具一式をマイクロバス
に積み込んで伊勢神宮へ出かけた。神宮では能楽殿で岩戸開きの一連の舞を奏上
し、神宮から大変お誉めの言葉を頂いた。
この時、神楽保存会は初めて伊勢神宮に正式参拝したのである。緊張してピーン
と張りつめた空気の御殿に宮司の祝詞奏上の声が朗々と響いた。「かけまくも畏
き、伊邪那岐の大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐が原で禊ぎ祓い給う時に成
りませる祓え戸の大神たち、諸々の禍事(まがごと)罪穢れをば祓い給え、清め給
えと申すことを聞こし召せと畏み畏み申うまおうすー」と。
皇祖神として、日本の神社の中心となる伊勢神宮で「日向の橘の小戸の阿波岐が
原で禊ぎ祓い給う時に成りませる・・・」と祝詞奏上されることに感慨ひとしおであ
った。
その後、神楽保存会は日本神話のもう一方の因幡の白兎系の神話で知られる島
根県出雲大社に出かけた。出雲大社の御祭神は天つ神に国を譲ったとされる国引
きの神「大国主命」(おおくにぬしのみこと)である。
この出雲大社でも正式参拝をした。宮司の祝詞奏上の声が「筑紫の日向の橘の
小戸の阿波岐が原で禊ぎ払い給うー」と御殿の神域に朗々と響いた。
この時、私ははっと目からうろこが落ちたような気分になった。日本の神社は大
部分が伊勢神宮の摂社、末社である。そして、もう一方の出雲系の神社を合わせ
ると全国すべての神社で「ー日向の橘の小戸の阿波岐が原で禊ぎ祓い給うー」と祝
詞が奉上されているのである。その阿波岐が原は、今年グリーン博が開かれると
ころである。お清めの塩
日本神話では、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこ
と)の男と女の神が、天之御柱を周りながらまぐわいて、諸々の神を産んだとさ
れる。そうして火の神を産んだ時、伊邪那美の命は黄泉(よみ)の国に行く。伊
邪那岐命は伊邪那美命の制止もきかず後を追って黄泉の国に行ったところ、変わ
り果てた伊邪那美の姿に驚き、妖怪のような世界に足を踏み入れたことに恐れを
なして黄泉の国から逃げ帰ってきた。そして、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐が
原で禊ぎ祓いをした。
伊邪那岐命は、死の国の穢れを祓うための禊ぎで左の御目を洗われた時「天照
大神」がお生まれになった。同様にして右の御目からは月読神、鼻からは、須佐
之男命がお生まれになった。こうしてお生まれになった天照大神と月読神は、伊
勢神宮の内宮と外宮の御祭神である。
お清めに塩を撒くという風習がある。これは日本独特の民俗作法だ。葬儀参列
の時、香典返しにお清めの塩が付いていたりして身近な生活の一部となってい
る。この作法は実は阿波岐が原に因んでいる。阿波岐が原はお清めの塩の発祥の
地と言えるのである。
一ツ葉有料道路のパーキングエリアに瀟洒な喫茶店がある。私はここから太平
洋の大海原を眺めるのが好きだ。この波打ち際の打ち寄せる波は清々しく見え
る。禊ぎ払いの「阿波岐が原」のイメージがある。古代は海岸線が内陸深く入っ
ていたという。今の阿波岐が原の池付近が海岸線であったかも知れない。神話のロマン
神話は縄文人すなわち原住民がいる国に弥生人が渡来してきて、大和国家を造
ったことを神格化して語り伝えた物語である。渡来人が船で渡ってきたことを天
から降りてきたと表現した。古代人の気宇壮大な創造力で語られている。
神楽の岩戸開きの舞もそうだ。「右の扉は、日向の国の阿波岐が原に投げ捨て
たもう。左の扉は信州戸隠し山に投げ捨てたもう」などと話が雄大である。
神話は国つ神は縄文人、天つ神は弥生人として読むとわかり易い。天つ神は、
弥生人的イメージをもっており、国つ神は縄文人的イメージを伝えている。手力
命や猿田彦、山の神などの国つ神のお面は下顎ががっしりとして角張っており、ま
さに狩猟採集民族の縄文系をイメージしたお面である。
渡来人、すなわち弥生人は、高千穂へ天下った後、美々津からお船出されて東
征、原住民族である縄文人を征服して大和国家を築かれた。その神が天照大神直
系である神倭伊波礼毘古神(かむやまといわれひこのかみ)であり、後の神武天
皇である。
神話では、皇族の発祥を日向の橘の小戸の阿波岐が原と読ませていることにな
る。宮崎は民族学的にみても縄文と弥生の接点となる何かがあったに違いない。
日本民族発祥となる何かが・・・。熊襲や蝦夷は縄文人に違いない。そして、西都
原古墳群は何を物語っているのか・・・。このような古代のロマンを宮崎は秘めて
いるのである。神楽は地域の遺伝子
お祭りに1日で歩いて集まれる範囲が最初の集落の原点だ。そのお祭りのメイ
ンイベントが神楽である。神楽はお祭りになくてはならないものであった。交通
の便がよくなった近代では、町村合併で集落の単位が広範囲になった。そのため
同じ村にそれぞれ違う神楽が複数存在するのである。
宮崎県内には、200以上の神楽があるという。宮崎の各地に伝承されている神
楽はこうした神話を伝えているのである。神楽は、地域の生きた遺伝子だ。語り
継がれる神話はまさに宮崎のアイデンティティなのである。宮崎物語を
99年2月、(社)宮崎県物産振興センターでは、「地域の文化と物産」をテーマに佐土原にオープンした県工業技術センターでシンポジウムを開催した。
講師に芥川賞受賞作家の大岡玲さん、建築家の隈研吾さん、全国の地域造りで
活躍中の山梨県の鈴木輝隆さんらをお招きし、宮崎を語ってもらった。
大岡さんらは、物産には物語性が背後についていることが重要であると次のよ
うなことを語られた。
東京のデパートの物産展で賑わうのは、金沢の物産展であり、京都の物産展で
ある。金沢には、長い間金沢にかかわってきた人や歴史、文化の積み重ねがあ
り、都市としての美、洗練されたものという知識がある。また、京都は、日本の
歴史の中枢を担ってきたというストーリーが出来上がっている。だからみんな物
産展に出かけていく。
物産とはその土地が産みだしたものである。その商品が群を抜いていればそれ
はそれで売れるかも知れないが、その物産に物語性や地域をめぐるイメージがな
ければリピートしないであろう。地域の背後、裏側にある地域の物語性に接近す
るラインづくりが必要である。と、イタリアやインドネシアのバリ島の例を話さ
れた。
その中で「宮崎は古事記の世界、日本の根源をなす神話の地である。京都が王
城の地であるならば、宮崎は天照の地。古代の都である。金沢は都とは言えない
が、宮崎は都と呼べるものがある。山のイメージを包み込む山襞の一枚一枚から
海へと続く、山の彼方から神が第一歩を示したという天孫降臨が私にとっては宮
崎のチャームポイントである。」と物語が心棒のように一本貫くことと提言され
た。
地域づくりに於いて神話は、タブー視されている面がある。宗教がらみという
ことと神話は天皇(すめらみこと)の現人神(あらひとがみ)として神格化されていることである。これは、徳川から明治に変遷する時、大日本帝国の思想によって神話は編集されたのである。
天皇は、今や生き神様ではなく国民のシンボルとして国民から親しまれている。21世紀に向かって日本の神話は民俗の歴史とロマンの物語として再び編集が必要な時代を迎えている。
宮崎は、原点に返って財宝を掘り起こそう。「太陽と緑の国」は国際化で色あせた。宮崎の経済の活性化のため、心棒が必要だ。
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