伝統行事シリーズ

「モチ年」と「代参」

  2000年2月18日は、旧暦では1月14日にあたり、この日は「モチ年」というお祝いの日でした。旧暦では、第2の初午になるということで父たちは親戚7人のグループで米良のお稲荷さん詣でに出かけました。波帰地区では昔から代参詣での風習が残っています。

 現在行われている代参は、北郷村の宇納間地蔵(旧暦 1月24日)参りと八重原のおてんとうさん(旧暦10月14日)参りです。村の組合総会で毎年くじ引きで上組から2人、下組から2人の計4人が決められます。村を一巡するまでは、一度代参した人はくじ引きの参加から除外されます。ですから、最後の人は1つの組から3人になることもあります。昔は車がないので予備の草鞋をもって山越で歩いて数日かけて参拝しておりました

 代参者には村の組合から代参の手帳と御札の費用が渡され、それぞれのお祭りの日に村の代表として参詣するのです。参詣の節は、それぞれの神社お寺で代参手帳に参詣を証明する印鑑が押印されます。代参者は、組合の戸数分の御札を受けて帰り「護符戻し」を行います。昔は、上組下組それぞれで代参者の家で「護符戻し」を行っていましたが、昭和 54年に村の公民館ができてからは、上組下組合同でその公民館で行うようになりました。

 「護符戻し」では、代参者が一番上座に座り、地区の公民館長がねぎらいの言葉を述べて挨拶します。それから代参者は御札を各戸に配布し参詣の模様を報告して直会(なおらい)が始まります。村人は代参者に「お疲れ様でした」とそれぞれ杯を差し出して労をねぎらいます。

 お祭りは満月の旧暦 15日か、その前日の14日という日が多いようです。祇園神社の夏祭りも本来は旧暦の6月15日、お盆は旧暦7月の14日15日、おてんとうさん祭りは、旧暦10月14日の夜でした。旧暦14、15日の夜は満月で人間や生き物たちはテンションがハイになります。昔は月明かりを大切に活用したのではないかと思います。

 旧暦 1月14日のモチ年には、川岸の「ミャアジョ」(ネコヤナギのこと)が白い芽を吹くころで、そのミャアジョの枝を採ってきてお餅をついて短冊に切り、それをミャアジョの枝に刺して、花餅をつくって村の荒神さま、水神様、天神様などあちこちにお祀りしてあるところへ生け花のようにして挿してかざり豊作を願います。

 また、この日は生目様参りの風習もありました。夕方から庭や軒下に物干し竿などを架けて、そこにちょうちんを下げてろうそくを点けます。そしてその明かりに向かって生目様へのお祈りをするのです。その祈りの言葉も幻想的でしたがくわしくは覚えていません。いつか調べなければと思います。

 それにこの日は「クァチクァチ」を作り、成り木の枝に架けました。「クァチクアチ」とは、直径 10センチくらいの竹を長さ40〜50センチくらいの長さに節のところから切り取り、節から15センチくらいのところと節のきわ二個所に切り込みを入れて中3センチ程残して両端を割って切取ります。そうして、節の反対側の筒のほうから中を割って抜いた中心部に向かって刃物で縦に割ると節のところだけが残ってつながります。それを振るとクァチクアチと音がするのです。そのクァチクアチを鳴らしながら「アワントリモヒエントリモホーイホイホイ」と掛け声をかけながら柿の木や梨の木など果実の成る木の枝にかけていました。豊作を祈願するのでしょう。

 それからモチ年の日に「ムギドキ」が行われました。「ムギドキ」とは、蕾のついた椿の枝を切取り、これにモチ年で作った花餅を挿して畠の真中に立てます。この時に「ムギドキゾオ」と声をかけるのです。

 あっ、それからカケグリがありました。シノダケを切取り、皮を半分残して先端をそぎに切ります。それを二本づつワラスボ(稲の茎)で結び合わせて竹の中にお酒を注ぎます。これをカケグリと呼んで荒神さん、天神さん、水神さん、地主堂さんなどにお供えするのです。神さまは、小さなシノダケに入った酒をたる酒といって喜ばれるということでした。それぞれの家庭で作法が若干違うこともありました。カケグリは通常 2本づつ束ねたものですが、平年は12本束ね、「より月」のある年(うるう年)は13本束ねて供える家庭もありました。

 このお祭りはその後、子供たちの楽しみがありました。子供たちはあちこちの祠を廻り、このカケグリの酒を飲むのでした。酔っ払ってふらふらして歩く子供もおり、この日は天下御免で子供たちもお酒が飲めるのです。子供は神様に一番近いとされ、祠の仏像を持ち出しても遊んでも良しとされていました。神様にお供えしてあるカケグリも神様と一緒にのむことができるのです。

 大学のコンパで一気呑みで倒れた話しなんかを聞くと子供のころのこうしたお祭りの行為もお酒に強い体質や免疫をつくる上で大切なことなのかも知れません。(治)