毎日新聞モニター
設問1 「第一線の模索」シリーズについて
総合評価 B(やや満足)
・良かった点
「業界内の不協和音」のトップに「このままじゃシーガイアにつぶされると思ったから温泉を掘った。」という書き出しはインパクトがあった。行政の施策が業界の振興になっていないという問題を表わしていたからだ。
総じて、シリーズ「第一線の模索」は、観光の抱える諸問題を浮彫りにして読者に考えるための情報を提供したと評価できる。
・悪かった点(悪かった点ではなく、もっとこうすれば良かったと思われる点)
[6]の旅館組合長の話で「県などの統計の数字は実態と違う」という部分は、アバウトでいいからもっと具体的にどこがどのように違うのか踏み込んで欲しかった。
観光は物産とも連携しなければならないもの。シーガイアと物産の関係についても切り込んでほしかった。県には物産振興センターがあるがシーガイアとの連携はとれていなかった。
シーガイアの第一線で模索しながら働いている中堅職員の取材も(匿名などでも)あれば良かったかも知れない。取材は難しい面もあると思うが、現場ではどう考えているか。「上司に何度企画を上げても聞いてもらえない」などが聞こえていた。
設問2
総合評価 B(やや満足)
「黙ってていいのか」シリーズはおもしろかった。特に総括の番外編はこれこそ新聞の目だと思った。
買いとって県庁にしたらという谷口善典さんの発想もおもしろい。債権を棚上げして外資系の企業に信じられないような安い価格で引き渡すより、買いとって総合庁舎として活用するのも一案である。新築するよりいいかも知れない。今、名乗りでている企業も足元をみすかしているので買い叩くことになる。敷札を入れておくのも戦略か。
いずれ立て替えなければ効率の悪い県庁である。国の出先機関も二十いくつあると聞く。県の外郭団体も多数ある。公的機関以外にも一般企業の事務所も誘致すればテナント収入がある。専門的に試算してみなければ何ともいえないだろうが、一考の価値はあるのではないか。それこそ真の県の財産となる。県庁跡地の再開発が宮崎市の活性化のポイントかもしれない。
シーガイアへの発想を誘導したのは、井本俊二さん(日本旅行作家協会会員、平成2年頃宮崎県観光審議会の委員で読売旅行編集長と記憶している)である。
井本氏は、審議会で南フランスのラングドックルシオンという地域の情報を盛んに出されていた。
「地中海沿岸で大規模なリゾートを開発している。蚊の発生で大変困っていた荒地を開発してコルムという2,000席の国際会議場を建設中である。オペラ座のようなつくりで天井桟敷まである。全体で200億円ぐらいの事業で、その町は人口わずか25万の都市だ。」というようなことであった。
知事は、ラングドックルシオンに視察に行かれてすっかり魅了され宮崎と重ねて合わせて夢が膨らんだようだ。人口や地形的な条件が宮崎と非常に似ているということであった。調べてみるとその頃は、全国各地からいろんな自治体がラングドックルシオン詣でをされていたようだが宮崎がそれを手本とした。
私も平成2年当時は、観光審議会の専門委員をしており、もはや県のプロジェクトは審議会の手の届かないところへ行ってしまったと思った。シーガイアの着工が決定した時、審議会でその報告がなされたが、井本氏が突然泣き崩れたので私達は驚いて意味が解からずポカンとしていたものである。それほど思い込みが強かったということに違いない。
今、批判が出るのは当然だが、事業がまだカオス状態の時、なぜもっと県民に開かれた情報を出し、専門的に議論ができなかったのか、を考えると残念である。一部の人たちで方向が決まると審議会も形式的なものとなった。
この種の事業は装置産業だ。理念が無く、よその真似をした装置を造り、完成してからでは、もう打つ手が無いのである。どれほど有能な人材がいてもどうにもならなかったのではないかと思う。佐藤棟良氏の「一流であれば採算が合う。地域の一番であれば採算が合う」の哲学もバブルがはじけて通じなかった。偉大な実業家佐藤氏の前では、だれも意見をいう資格がないと思っていたのだ。
こうした原点を見つめることも必要ではないだろうか。
今後の展開について
これまでの宮崎の観光は、故岩切章太郎氏の「大地に絵を描く」の発想が原点である。氏が「堀切峠に立ってフェニックスの葉陰を通してきらきらと輝く黒潮の太平洋を眺める。眼下には鬼の洗濯岩の波状岩が広がる。これが宮崎だと思った。」と語られた昔のテレビ映像が忘れられない。このシーンが南国宮崎の顔を造り観光宮崎を不動のものにした。
しかし国際化の波に洗われた今、21世紀の宮崎の顔が見えない。「神話なのか、花のまちなのか、安らぎなのか、シーガイアなのか不明瞭だ」と青島グランドホテルの冨森氏のコメントにあるように宮崎の理念の構築が必要だと思う。
宮崎の顔をどのように構築するか、「大地に絵を描く」から「心に絵をどう描くか」。宮崎のアイデンティティの議論を紙上で深めて頂きたい。そうすることによりシーガイアのあるべき姿も浮かんでくるのではないか。また、宮崎に強烈なアイデンティティがあれば、たとい外資系の企業になっても宮崎を無視できない。共生できるのではないかと思う。
設問3 宮崎版について
特集やコラムは他紙にない味があり、よいと思うが、ローカル紙面として地域の話題が少なくてもの足りない気がする。県央、県南、県北とに分けてもっと小さな出来事も拾ってもらいたい。いっそのこと宮崎版は横書きなどにデザインしたらおもしろいかもしれない。(無責任な読者の発言です)
2001.4.2
秋本 治