毎日新聞寄稿
「明日のために」―ぴりっとからっと―
11月
「運動会は地域の鏡」
やまめの里 秋本 治
この秋は、数十年ぶりに地元学校の運動会に出席した。生徒達は、はつらつとしていたが、人影がちらほらとしか見えない広いグランドに寂しい思いをした。
筆者の頃(昭和三十年代)は、大勢の生徒がいた。杉の葉を埋め込んで作った大きなアーチの入場門から伸びる幾条もの万国旗の下、運動場の周囲は多くの父母の顔で埋まっていたのだ。
山村は、多くの人が住み、多くの子を成してそのエネルギーが田畑を耕し、森林を伐採し、植林し、牛を飼い、苦しいながらも夢と希望に満ちていた。
その子供たちは就職や進学のため都市へ出て行き、親は山林を売却したりして苦心してつくった大金をせっせと都市につぎ込んだ。
「人、物、金」のすべてを都市へ放出した山村のパワーは、都市のエネルギーへと転化され、残された山村はガス抜きされたようにしぼんできたのた。
葬儀に参列すると大都市の有名企業や団体等からのおびただしい弔電や敬供の花輪が並ぶ。山村は全国ネットをつくっていたのだ。
生徒数が激減した広いグランドを見つめていると、この子供たちの何人がこの地域に残り、何人の子供を産んでくれるだろうか。またその子供の子供が何人ムラに残り何人の子供を産んでくれるだろうか。そう思うと、蔓のからまった墓石だけが残るムラの光景が浮かぶのである。
広大な土地を持つ過疎山村の生き残り策は、町村合併しかないのか。合併はますます山村集落を消滅させる筈だ。戦後の拡大造林は、壮大な人工林を作り環境も破壊された。人工林は、放置するほど荒れていく。
国有林も森林管理署が統合されて、都市部の森林管理署管轄になった。人の住まなくなった山村でどうやって人工林を管理するのか。
豊かな自然の中で、もっと知恵のある政策は出せないのか。現場論のない都市的発想は国を潰す。そんな思いをした運動会であった。