このページは、個人的に五ケ瀬町の議会情報を掲載しています。左フレームの月をクリックするとその月の紙面が画面に現われます。
内容は、五ケ瀬町住民の皆さんを対象にしたもので、1議員が関与した情報を中心に議員の視点で論じています。
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「かわら版『風』」の発行にあたって
五ケ瀬町議会議員
秋本 治
ドキュメント 「人生の岐路」
―ドラマは深夜につくられた―
2001年6月21日、その夜は「霧立越の歴史と自然を考える会」の総会が開かれていた。椎葉村と五ケ瀬町鞍岡地区の青年たちや実践活動家20人ほどで構成する小さな会である。この一年間に霧立越の歩道の整備を中心に、霧立越シンポジウム開催などを精力的にこなしてきた。今年に入ってからは幻の滝を発見して話題を巻き起こしている。
総会も終了し懇親会に移った。話題は引き続き、幻の滝の発見となった「アドベンチャー幻の滝探険」の冒険とスリルに満ちた体験の思い出、雑誌やテレビ取材でのハプニングなど、どれもわくわくするような話題ばかりで盛り上って時間はあっという間に流れていた。
どれくらいの時間がたったのだろうか、だれかが笑いの残る目でふっと時計を見た。そしてはっと気がついたように「それでは私たちは遠いからお先に帰ります。」といって椎葉から参加の人たちは腰を上げはじめた。時計は、やがて午後10時を指そうとしている。一番遠い人は椎葉の尾前地区からの参加で、車でゆうに1時間を超える距離にあるのだ。
「やあ、遠いところをお疲れ様でした」「お気をつけて」と口々に挨拶を交して全員席を立った。数人は玄関まで見送りに出かけ、残った人も後片付けをはじめたが、その内「まだ近い人はいいじゃないか」といいながら誰かが席に座った。「そうだね」といいながら地元のメンバーは、再び席に戻って先ほど盛り上った話題をまた俎上にのせた。
話題は、その構成するメンバーによって変化していくものだ。鞍岡地区のメンバーだけになってからは話題の視点が変わった。「それにしても鞍岡はこのままでいいのだろうか」というようなことを言い出してから急転直下、町会議員の選挙の話題になった。丁度そのころ町の議会議員選挙の準備が始まっていたのである。町の広報誌に選挙のスケジュールなど告知されていたけれども詳しく読むこともなかった。いつ告示されるかも知らなかった。選挙は縁のないことである。誰かが3日が告示という。どの地区から誰々が出馬している。新人はだれさんとだれさんらしいなどと話題は選挙の話で再び盛り上った。
その内「治さんはどうして選挙にでてくれないのか」と誰かがいった。「いや、町を愁う気持ちは皆んなにも負けないほど持っているよ。一番はこれから起る町村合併の問題だね。われわれの知らないところで勝手に決められてはかなわんね。でも、議会にでもできないことってあるだろう。僕は、自由な発想で住民の立場から町づくりができたらと思うよ。会社も大変だし、近くの地区から若手が出ているので彼を育てることがいま一番大切なことなんだ。」と立場や信念を力説した。
それでも、話題はだんだんエスカレートしてきて「是非、議会に出て住民を守れ」というようなことを口々に言い出した。後から気づいたことだけれど実はこの日をターゲットにしていたらしい。私は必死になって話題をそらそうと防戦するが誰も私の話題に乗ってきてくれない。しばらく沈黙とため息が続き、また誰かが口火をきる。再び集中砲火がはじまる。そんな繰り返しが延々と続き、いつまでたっても誰も帰ろうとは言わない。時計は、すでに深夜零時を回っている。皆んなの目の色がいつもと違うのだ。真剣そのものである。これまで幾度となく、いろんな人達から町議への出馬を要請されたがすべて悉く強い辞退の意思を表してきたのだ「私には私の行き方がある」と。後から考えると「町議なんて」と傲慢な気持ちもあったのかもしれない。
「こりゃ困った。」私は不安を覚えた。「皆んながこんなに真剣になって頼むのをいつまでも拒み続けると私は反逆者扱いにされるかも知れない。これまで地域にお世話になっといて卑怯者といわれるかも知れない。どうしょう。」背筋に電流みたいなものが走った。「とにかく、隣の地区から出馬している若い議員は会員でもあり私たちの仲間だ、皆んなで育てようや。それが一番と思うよ。夜が明けてしまう」と同じことを繰返し弁明していたら、「それは違うと思う。本当にその議員を育てようと本気で思うなら、あんたが議会に出てくれることのほうがその議員も刺激を受けて成長すると思う」と誰かがぼそりとつぶやいた。そのひとことが脳天に響いた。「そこまでいうなら、もう下駄をみんなに預けます。夜が明けてしまうので今日はこれで解散しよう」といって立ちあがった。
きりぎりの滑り込み
翌日の朝、叔父の家に数人が出かけたそうだ。昨夜の出来事は夢のように思えて明くる日になっても家族にも誰にもそのことを話さなかった。叔父はその人たちから話しを聞いてびっくりしたらしい。叔父はあわてて「何も相談は受けていない。そういうことは、親戚で相談してからでなくては困る」と言いい、「時間をくれ」ということにして帰ってもらったそうである。それから私に連絡するが私も出張していて留守、翌日の夜、親戚が集まるよう手配がとられていた。
その翌日の夜、兄弟縁者が集まった。地区の前公民館長や地元の有志たち大勢が上がり込んできた。そこで「どうするんだ」と詰め寄られる。あの時は勢いで「下駄を預ける」といってしまったが困った。頭を抱え込んでしまった。「もう、時間がない、今すぐ結論を出して欲しい。今夜9時までに連絡をすることになっている。皆んな自宅で待機している。」とたたみ込まれる。しまいには家族も「これほど皆からいわれるのなら受けてもいいのではないか」というようなことを言い出した。「それでは受けます。只、私にはお金の準備もまったくありません」といった。もうその時は夜の10時を回っていた。
それから一挙に慌しい時間が流れた。あちこちに電話連絡が飛び交い、役割分担があれよあれよというまに決められた。選挙の候補者の説明会は既に終了しているので明日の朝、選挙管理委員会に説明を受けに出かけるというのである。
翌朝、役場に設置してある選挙管理委員会へ出かけた。すると「明日、事前審査があるのでこの書類を作って提出してください。ポスターも検査します。選挙カーは警察に出向いて検査を受けてください。」などと説明がある。「冗談じゃあない。明日までそんなことができる筈がない」。
仕方ないのでパソコンでポスターは印刷し、葉書の準備、選挙カーの準備、選挙事務所の準備、ウグイス嬢の手配等々あれよあれよという間に大勢の人たちによって慌しく決められてしまった。私のしたことは「議会に風を! 開かれた町政をめざします」とだけ書き入れた。
選挙期間中に予定していた会議や行事をすべてキャンセルした。だが、滝のテレビ取材や霧立越の雑誌の取材も入っている。皆んな選挙の準備をしているのに山に登った。出張の予定もキャンセルできない部分はある。告示前日は夜遅く帰宅した。待っていた人たちから明日以降の選挙日程について説明を受け、ようやく就寝できた。
翌日、いよいよ告示の日になった。早朝、手配されていた神社で必勝祈願が行なわれ、その足で役場の選挙管理委員会に出向き届け出を済ませた。もう、皆んなの言うとおりに動くしかない。「さあ、これからいよいよ本番だ。」胸が高鳴るのを覚えた。役場からの帰り道、選挙カーで第一声をあげようとするがどうも自分の名前を呼ぶのが恥ずかしい。声が出ないのだ。まごまごしていたらウグイス嬢が替わってくれた。「こちらは、このたびの町議に立候補しました秋本治でございます。只今届け出を済ませて帰っておりまあす」と調子よくアナウンスする。「困ったなあ」沈んだ気持ちでシートベルトをつかんだ。
選挙事務所に帰ってみると大勢の人が詰めかけている。50軒ある村中の人々が総出である。車が停まるやいなや一斉に大きな拍手で迎えられた。これまで選挙にあまりタッチした経験がなかったのでこれには感動を覚えた。ついにテンションが高まり、渡されたマイクを握って日頃考えていたことをまくし立てた。何をしゃべったかもよく覚えていない。それから村人の大きな拍手に送り出されて町内を連呼してまわることになった。すべてはドライバーまかせである。こうして5日間の熱い戦いの幕は切って落されたのであった。
ウグイス嬢の名調子
翌日からは、朝7時30分に事務所へ出かけると村中の人たちが詰めかけて拍手で迎えてくれる。選挙カーに乗り込もうとすると何やら得体の知れない液体の入ったコップを差し出され「これを呑んでから出発してください」という人がいる。「もうなんでも呑みこむわ」と喉に流し込むと水である。これは特別な水だという。願いを掛けた水だろうか。色の着いた卵を渡される。よく見るとゆで卵に激励の文章が入っている。慌しく選挙カーに乗りこむと取り囲んだ村人たちが一斉に拍手で送り出す。もうこれはお祭りだ一大イベントなのだ。
選挙カーでは、やはり自分の名前を連呼するのはどうも気が引ける。走行中はもっぱらウグイス嬢に任せることにした。「秋本治は、議会に風を起し、開かれた町政をめざします。時代を読み、新たな視点で産業を起こし、伝統文化を守り、高齢者にやさしい町づくりを行ないます。」と、よく通るきれいな声でアナウンスしてくれる。走行中はウグイス嬢二人が交代で途切れることなくひっきりなしにアナウンスを続ける。「うまいなあ」と感心ばかりしていた。
畠で仕事中の人が立ち上がって選挙カーを見るとすかさず「お仕事中に手を休めてご支援くださり、ありがとうございます」と声を掛け、対岸の遠い家の窓から手を振る人や田んぼに入っている人を目ざとく見つけては「見えています、秋本治はしっかり見えていまあす。」などと機転の利いたアナウンスである。最初のほんの数分は、ぎこちないアナウンスであったがすぐコツを掴んでいる。それぞれがセンテンスの切り方、抑揚、そういった独特の自分流のリズムを掴むと臨機応変に言葉が飛び出してくるらしい。
朝、その日のアナウンスの方針を選挙参謀から指示される。それがいつの間にか自分の願いをこめたアナウンスと変わってくるのである。例えば、幼い子供を抱えた奥さんは「五ケ瀬の、将来を、担う子供たちのために、秋本治は、頑張ります。」というふうに。ウグイス嬢は、村の奥さんたちのボランティアである。足元にも凄い人材がいたものだと私はすっかり感動してしまった。
運動員から「他の候補は、候補自ら呼びかけているよ。あんたももっと自分で言ってくれ。候補の肉声のほうがいい」と注意される。が、「とてもウグイス嬢にはかなわないから」と私は逃げてしまう。「それよりも、もっと街頭演説をさせてほしい。自分の考えを訴えたいから」というと「最初の挨拶まわりでは言わないほうがいい。あんたの考え方を他の候補が真似はじめるから」と言わせてくれない。しだいに欲求不満が高まってきた。
選挙カーは町内くまなく一巡した。細道の奥深い一軒屋もつぶさに廻った。過疎山村は人口こそ少ないが広大な面積である。はじめての土地も多く、それぞれの地域は道路事情、家のたたずまい、作物の種類それぞれに特長がある。これはとても勉強になった。わが町は隅々まで知っているような顔をしていたが、実際は村の奥の行き止まりのような端の地域には用事がないので出かけることはなかった。「端が一番苦労しています」という声に大きく相槌をうったものだ。
ドライバーは、生コン車を運転する人や消防団の幹部などの村人が次々に乗りこんで来た。彼らは、選挙事務所で作られた行程表にしたがってどこまでも村の奥から奥へと続く細道を運転する。びっくりするほど道路事情に詳しい。聞いてみると、生コン車は道路があるところにはすべて道路工事でコンクリートを運びこんでいるそうである。消防の幹部は、火災予防週間などで町内くまなくパレードしているそうである。故に道路事情にとても明るいのだ。そういうことを始めて知って驚いた。
中盤からの盛り上り
選挙も中盤になった。「街頭演説をやりますか」というので「やりましょう」となって集落に近いところで車を止めマイクを握った。ところが、どうも勝手が違うのである。これまでいろんなところで講演をこなしているのでしゃべるのは苦にならない。ところが聴衆の顔が見えないところで話すのはどうも要領がつかめないのだ。どこを向いて話せばいいのだろうか。聴衆の反応が見極められないのは不安である。ところが、話し始めて5分もたつと家の脇から、窓から、畠からポツンポツンと人影が見えるようになってきた。そうなると話しやすい。町村合併問題の考え方、クリーンツーリズム、伝統文化、コミュニティビジネス、地域循環経済、町づくりのあり方等々その地域の実情に合わせながら話題を組み立ててしゃべっていく。山々に響き渡るボリュームたっぷりの拡声機で話すことは、ある種の快感があることを知った。
話し終えると遠くから拍手のしぐさが見え、手を振ってくれる。タオルを振ってくれる。選挙カーへ走りよってくる人が見える。嬉しくなった。「よく出てくれた。あんたが出てくるのを待っていた」などと手を握ってくれる。街頭演説が好評なことを悟った運動員は、もう次から次へ場所を設定していく。5分も走ると「ここでもやろう」と。
1日十数回こなすとお腹の皮が痛くなった。話しながら頭の中では次ぎの話題を準備しているが、あの話題は、もうしゃべったのかそれとも前の場所でしゃべったのか混同するほどである。
お昼はその日の行程が事務所の近くであれば事務所に帰り、遠い時は神社を目指す。町内各地にはそれぞれの地区に神社があり、その境内にシートを広げて座るのである。雨の日は社殿に上がり込んで雨をしのいだ。途中運動員から連絡を受けた選挙事務所では、弁当をその神社に運んで待機してくれている。いたれりつくせりである。けれども毎日毎日昼も夜もお握り中心の食事である。「皆んなよく我慢してくれるなあ。」と思った。食欲もなくなり食べ物の味がわからなくなってきた。
始めて見る村の団結
昼、事務所に帰ると村の婦人会の皆さんが大勢集まって調理場で働いている。米、野菜、いろんな食材をそれぞれ持ち込んで炊き出しをしているのだ。もう、こうなったら収拾がつかない。「くれぐれも違反行為はないように注意して」という以外にない。村人も選挙を取り仕切った経験を持つ人がいないのだ。男衆も家にいても仕事が手につかないのか運動員に悪いと思ったのか皆んな集まっている。中には、庭の草刈や植え込みの手入れ、家の補修などをせっせとしてくれている人もいる。「区民がこれほどまとまったことは始めてだ」と口々にいう。皆んな興奮気味である。美しいと思った。感謝の念でいっぱいになった。
他の候補の選挙事務所の近くを通る時や他候補に出会った時は必ず「〇〇候補のご健闘を祈りまあす。頑張ってくださあい。」とお互いに叫び合う。これもウグイス嬢に任せていると運動員から「相手候補より早く、それも候補者自信が直接言わんといかん」と注意を受ける。
選挙カーが近付くと付近の家から人々が出てきてくれ人がだんだん増えてきた。1日に何度も通らなければならないところは気の毒である。毎回毎回、沿道に出て来てくれる。食事中であっても、雨が降っていても出て来られる。「気の毒だからそっと行ったら」というと「候補者が来るのををせっかく待っているのだ。回り道してでも行かなければならない」という。1日に同じ人と何度も何度も握手することが増えてきたのである。
こうして選挙戦はいよいよ終盤に突入した。どこへ行っても好評である。「あんたは、当選間違いなし、トップ当選じゃが」といわれる。中には、私のことを良く知っている同輩は「何でいまさら町議に出た」といぶかって尋ねる人もいるが、ともあれ人気の高いことに気を良くしていた。ところが終盤になって再度各集落を訪ねると「あんたは間違いないからこっちの票をさらわんで欲しい。地区の代表が危ない。」といわれる。集落の入り口に見張りらしい人を見るようになった。集落の人が手を振っていると地元の運動員が腕章をつけて張りついていたりする。
こりゃあいかん。「あんたは当選間違いなし」というおほめの言葉は、裏を返せば「あんたには投票しない」という意味なのだ。危ないと思った。五ケ瀬町には14の行政区があり、議員定数は14人である。わが村はその14区に当り50軒ほどしかない小さな区である。これまで数十年間議員不在の区だ。地盤がない。区民全戸漏れなく投票されても100票ちょっとだ。予想される当落ラインの半分しかないのだ。他地区の締め付けが厳しいとこれはむずかしい。告示直前に立候補したため村人もすでに他候補の推薦人になっていたのをキャンセルした人も多い。告示日にはすでに色分けが済んでいるというのである。
ウグイス嬢も必死だ。「秋本治は苦戦しておりまあす。なにとぞなにとぞよろしくおねがいしまあす」と涙まじりである。なんだか「苦戦しておりまあす」なんていうとしらじらしく聞えるのではないかなあと不安になるが、もう皆んな一生懸命である。流れに身を任せるしかない。目頭が熱くなるのを感じた。
祝賀の宴は仮面舞踏会
投票日となった。体がだるい、筋肉や関節のあちこちが痛む。選挙では、住宅密集地や商店街では選挙カーの前をズックを履いて先に走ったせいだろう。久しぶりに霧立越トレツキングをした翌日のようである。「もう、やるだけのことはやった。テクニックはない。正攻法である。あとはどうなっても悔いはない」そう思うと余計全身の力が抜けてきた。選挙参謀の票読みがはじまった。トップ当選か当落ラインすれすれのいずれかという。「あんたが突然出馬したことで他候補はこれまでにない危機感をもってものすごい選挙運動をやった」という。
午後8時、開票の時間となった。開票所に傍聴に行った運動員から開票状況を逐一連絡が入るようになっていたが、なかなか連絡がない。「もしかしたら落選?」と頭をよぎるが「そんなことはあるまい」と打ち消す。時間が遅々として進まない。時計は午後10時をまわっている。やがて町内の連絡網である防災無線から投票結果の放送が始まった。1番2番と当選者が発表されるがなかなか「秋本治」の名前が出てこない。
「なぜだ」狐につままれたような気分になった時、ようやく9番目に「秋本治」と呼ばれた。当選者14人中の9番でようやくかじりついたのである。嬉しいと思う実感がない。「あれほど皆んな激励してくれたのに選挙は難しい」と思った。また、商店街で行なった最後の街頭演説は、お祭りの時のような人出であった。皆んな「すばらしい」といってくれたが票にならなかったのかも知れない。私の考え方が否定されたのかも知れない。すっかり自信をなくしてしまった。
思い起こして見ると自信過剰であった。議員選挙は、一人を選ぶ選挙ではない。それぞれの地域の代表を選ぶ選挙なのだ。出馬をためらった理由の一つに隣の区の若手議員を落してはならないという思いがあった。ところが蓋を開けててみるとその候補がダントツの当選なのである。先輩に対して失礼なことを考えたものだ。とても自分が恥ずかしくまた悔しく思えた。
防災無線放送で全町民に知らされてから選挙事務所には人々が続々と集まり始めた。隣町からもお祝いにかけつけてくれている。御樽が並ぶ。「もらってもいいの?」と参謀に尋ねると「当たり前だ、どこでも皆んなやっていることだ」という。事務所でひと通りのセレモニーを行ない。鏡割りを行なう。「おかしい、この大きな鏡割りの樽はどうしたのだろう」。終わってから尋ねると某候補の陣営から贈られたものだという。そして湯のみで乾杯をする。コップではいけないそうだ。テーブルにはヤカンとペットボトルが並ぶ。皆が持ち込んだ瓶が次々と空けられていく。誰が何を持ってきたのかもう収拾がつかない。本当に選挙はお祭りである。感動のイベントだ。
得票の半分近い人が集まっていた。熱気がむんむんしている。中にはおかしいなと思われる人もいる。でもこれが皆んな支持者と思わなければならない。まるで仮面舞踏会である。翌日もお祝いの来客や祝電が続いた。来客の中のある人が選挙の格言を教えてくれた。「すべての人を愛せよ、しかし、すべての人を信用してはならない」と。私の住む世界ではないかも知れないと思った。
(※格言を教えてくれた人はその後知事になられた。)
(終り)
住みよい山村にしたい、産業を興して活気を取り戻したい、伝統文化や自然環境を守りたい。そういう思いで行動しています。
昭和39年、天然ヤマメの人工孵化に成功、ヤマメ養殖に成功しました。それから、誰も来ない山村に人を呼び込もうとして昭和50年に川のほとりにレストランを構えました。そして、地域の人々に民宿村を提唱し5軒の民宿が誕生しました。婦人会の皆さんの山菜加工場をつくろうと提唱し役場へお願いして実現しました。
しかし、知名度もない山村の民宿村へは客足もなかなかつきません。そこで、雪が多いことからスキー場ができるのではないかと単独で調査をはじめ、行政にも陳情を始めました。そして長年のデータをもとに昭和60年に行政で取り組むことが決定、平成2年12月に日本最南の五ケ瀬ハイランドスキー場がオープンしました。
ところが、そのスキー場開発により、養魚場が全滅に近い大被害を受けたのです。スキー場造成で源流の湧水地帯の沢に大量の土砂をそのまま埋めたてていたことが判明しました。その土砂が湧水の噴出により河川に流れ出たのです。環境重視の森林公園事業とした当初計画の理念から外れた乱開発に変っていったのです。困ったことに、「君が推進しているから町はスキー場を造ったのだ。それがもとで被害が出たのだから町は被害の補償になじまない。」と町長が言い、議会も責任の転嫁をはじめたのです。以後会社の経営は、困難を極めるようになりました。
行政は、事業の企画当初は民間人と一緒に進めて陳情にも民間を使いますが、制度事業に採択された途端、民間は蚊帳の外に置かれ、事業の内容が見えなくなるという町づくりの恐い一面があります。
それから、態勢を立て直そうとブナの原生林をフィールドにブナ帯文化圏構想をあたため、ブナ原生林の霧立越をメインとしたエコ・ツーリズムに取り組みました。そうした時、突如議会に出るよう地域住民から強い要望がでてきてやむなく議会に席を置くようになりました。