かわら版 『風』
2002年7月1日号 毎月1回1日発行
第18号 発行者 やまめの里 企画編集 秋本
治 五ケ瀬町鞍岡4615 電話0982-83-2326
本年度の6月議会は、7月に持ち越されました。5月に誕生した新町長の政策を反映させるための時間を考慮されたものです。
このため、6月は1回のみ臨時議会が開会され、日程的に間に合わない専決処分を求める案件が上程されて可決しました。
3月5日 第二回臨時議会
14:30〜全員協議会
議会控え室で議運委員長から報告あり要旨
@本臨時議会は、専決処分を求める報告の案件のみ。
報告第1号 五ケ瀬町税条例の一部を改正する条例
報告第2号 五ケ瀬町国民健康保険税条例の一部を改正する条例
報告第3号 平成13年度五ケ瀬町一般会計補正予算
報告第4号 平成13年度五ケ瀬町国民健康保険特別会計補正予算
報告第5号 平成13年度五ケ瀬町老人保健特別会計補正予算
報告第6号 平成13年度五ケ瀬町国民健康保険病院事業会計補正予算
報告第7号 平成13年度五ケ瀬町介護保険特別会計補正予算
報告第8号 繰越明許費繰越計算書について 以上
A議事録署名者は今回は11番後藤貴人氏、12番米田昭午氏。
B会期は本日1日だけとしたい
C諸般の報告で新町長の就任挨拶がある。
D会議終了後「木地屋」で新旧町長の歓送迎会を行う。会費3000円。
宮崎医科大学整形外科から町病院への整形外科医派遣について(現在の状況と課題)
・町病院勤務は、専門医の資格取得のための研修の対象とならないため派遣が難しい。
・このため町病院派遣枠を高千穂町立病院へ移行しその中から週に数日町病院へ派遣する案がある。
・これに伴う問題として高千穂町立病院の医師枠の問題、給与財源の問題が生ずる。
・これまでの高千穂町との協議では、前向きに検討したいという返事であった。
税務課長より税条例改定の専決処分について説明あり。
要旨
・町税条例で住民割15万2千円を19万2千円に、所得割32万円を36万円に引き上げる。
・国民健康保険税介護納付金の所得割100分の1.30を100分の1.40に引き上げる。資産割据置、均等割据置、平等割5.100円を5.500円に引き上げる。これによる一人あたりの調定額は、平成13年度の16.771円から16.943円となる。
本会議開会(15時から)
議長は、議事録署名者を指名、会期を本日1日限りと決して議事に入る。
冒頭諸般の報告で飯干辰巳新町長が「町長の任につくこととなった。財政状況厳しい中、この時だからチャンスとして問題から逃げることなく取り組みたい。」と就任の挨拶。
ついで、議案報告第1号から第8号まで、町長の提案理由の説明に続き起立採決し全員異議なく可決決定した。
以上が6月の議会です。
7月の議会予定
7月は、8日から23日まで開会予定で
08日(月)本会議 09:00〜
17日(水)本会議 10:00〜
23日(火)本会議 10:00〜
です。8日は、提案理由の説明のみになると思いますが、冒頭飯干辰巳町長の所信表明演説があります。
かなり張り切っておられますので聞き応えのある演説になると思います。是非、皆さんも新町長の考え方を聞きに傍聴に来てください。傍聴者があると議会は間違いなく活性化されます。
7月の活動方針
筆者の7月議会の活動としては、次のようになことを考えています。
A.新町長の施策を明確にするための質問。
B.各種課題や問題点を改善するための政策提案。
を重点にPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)理論[行政と住民との協働社会]構築に向って進みたいと思います。
そこで
@行政改革、財政改革の取組み
A産業振興のための方策
B情報公開のシナリオ
C住民サービスの課題や問題
について考えています。
@については、行政評価制度や事務事業評価制度、バランスシートなど昨年の議会で取り上げた課題を再度取り上げたいと思います。
Aについては、各産業部門ごとの方向づけや目標を明確にすること。例えば、下表は、販売農家の耕作放棄地ですが、五ケ瀬町では、郡内でも群を抜いて耕作放棄地が増加しています。
五ケ瀬町
実農家数 面積
平成2年 109戸 1,338a
平成12年 183戸 3,266a
増減率% 1.68 2.44
高千穂町
実農家数 面積
平成2年 179戸 2,585a
平成12年 289戸 4,262a
増減率% 1.61 1.65
日之影町
実農家数 面積
平成2年 141戸 1,597a
平成12年 188戸 2,490a
増減率% 1.33 1.56
反面、町外県外への出稼ぎ耕作は増加しています。こうした耕作放棄地との矛盾をどう解決するのか。
また、生産品目ごとに目標や考え方を明確化できないかなどです。
産業育成についてはwebネットの活用やワイナリー、スキー場の問題などがあります。
Bは、情報公開条例制定の目標など、ガラス張りの町政を求めます。
Cの住民サービスの課題や問題について具体的に述べますと、例えば地籍調査があります。
この調査が終了するのはいつ頃になるのか明確に目標も設定されていません。
地籍調査担当者に説明を求めましたところ本町の面積約16,000haの内、調査済みの地域が約4,733ha、未調査地域約11,000haとなっています。桑野内地域から三ヶ所川右岸を上がり、右岸が終了したら左岸を下って廻り淵方面で三ヶ所地域は終了。次に鞍岡の五ケ瀬川右岸を上がって松が平、小仁田山から波帰字まで、以後五ケ瀬川左岸を揚地区まで下りる、という計画です。
今、内の口から上流域にかけて調査中ということで現在は、毎年250〜300haを調査しています。このレベルで進めますと年250ha調査の場合は、実にこれから44年間もかかってしまいます。
広大な山林面積を所有する山村は、林業の不振と高齢化により林地の境界や所有権すら曖昧な部分が多く、高齢化の進展に伴って現地の確認が難しくなりつつあります。
この事業は、国土調査促進特別措置法(昭和37年法律第143号)等に基づき実施されていているもので、国50%,県25%,町25%の事業費で行われます。九州の進捗率は、下記のとおりです。
地籍調査進捗率(H11年度)
佐賀県 88 %
福岡県 69 %
鹿児島県 67 %
熊本県 55 %
長崎県 50 %
大分県 49 %
宮崎県 47 %
以上のように九州で最も遅れているのは宮崎県ですが、北郷村など既に調査が終了している地域もあります。本町は、H13年で16000haの内4722haということですので進捗率は29%です。上記表と同じようにH11年度に置きかえるともっと低い数字となります。西臼杵郡内でも最も遅れている地域です。
住民の財産を守り、森林や地域計画に欠くことのできない地籍調査ですが、これでは著しく住民サービスが低下しているとしか思えません。
このため事業の大幅繰り上げによる早期達成を強く求めていくつもりです。
また、コミュニティづくりに欠かせない集落センターについての問題もあります。
町内には14の各地区にそれぞれ区の公民館がありますが、それ以外にも地域の集落センターがあり、区公民館と同等あるいはそれ以上の活用がなされています。
しかしながらこれらの施設は老朽化が進んでおり、また高齢者の利用に不便な施設が増加しております。こうした施設は、今後国や地方の財政状態が逼迫する中でいわゆるハコモノづくりは難しい時代へ突入していきますので、地域で修理、修復しながら大切に活用しなければなりません。
ところが、こうした施設を地域で補修するのは多額の費用が嵩み、地域のみで補修修復することは到底不可能に近い状況です。
これに対する補助事業としては、区の公民館は、事業費の50%補助の制度がありますが、地域の集落センターは、事業費300万まででその中で事業費の30%、100万円を上限とした補助制度があるのみです。住民にとっては、区公民館も集落公民館も活用にかわりはないわけです。
このため、地域の集落センターにおいても区公民館同様の助成制度の創設を求めていきたいと思います。
こうした件に対して皆さん方のご意見をお待ちしています。
読者のご意見から
緊急間伐助成金支払遅延について
このことについて「町では間伐実施後6月に助成金の支払をするという説明であったが今だに支払がない。どのようなことになっているのか。」という問い合わせがありましたので調べてみました。
農林課に問い合せたところ、事業主体が森林組合のため掌握していないということでしたので、森林組合に出向いて調べました。
その結果、13年度は、99haが実施処理済みで、予算不足のため227haを14年度に繰越している。集積間伐については只今精算事務をしているので来週(7月8日(月)からの週)には支払いできる見とおしであるということでした。但し、切捨間伐については、目下のところ何時になるか見込みがたっていないということです。
この事業費は、国75%、県25%で構成しており、5ケ年の継続事業です。集積間伐か切捨間伐かについては、事業主と森林組合で見解の相違もあるということで詳細は、森林組合五ケ瀬支所の藤川さんに問い合わせてくださいということでした。
それにしても、6月支払を説明して事業実施を促したのであれば、事情はどうであれ、遅れることの説明責任は果たしてほしいですね。
この件で問題があればご連絡ください。
6月27日 宮崎県民スキー大会が県体冬季大会に決定。
この日開催された、宮崎県民体育大会の実行委員会で、満場一致でスキー大会が可決されました。本年度は公開競技、次年度から正式大会となります。日程は、3月1日が開会式、翌日2日に競技が行われます。
大会は、県体要綱によって行われますので市郡対抗戦となります。
日程は、現在では
3月1日(土)
14:00〜15:00代表者会議(スキーセンター内)
16:00〜16:30開会式(スキーセンター前)
18:00〜20:00歓迎会(波帰公民館)
2日(日)
7:00〜7:20 インスペクション
7:30〜9:00 競技(1000m)
10:30〜11:00 表彰式
となっています。
本当に関係者の皆さんのご尽力に厚く感謝申しあげたいと思います。
6月29日〜30日 国土交通省の地域振興アドバイザー派遣事業で鳥栖に行きました。
鳥栖市は、人口6万人あまりで鹿児島本線と長崎本線の分岐地点にあたり、近年は高速道路の長崎線、大分線、熊本鹿児島線がクローバー型ジャンクションで交叉する九州の物流拠点として発展しています。
鳥栖市の農業は、農家人口5.234人、1.187世帯、農用地面積1.670haで、主用生産品目は、米13億4千万、麦5億3千万、アスパラガス1億6千6百万(いずれもH12年)となっています。
今回のアドバイザー事業は、河内ダムサイト隣接地にH6年度に建設された滞在型農園施設(宿泊施設、貸し農園、運動広場)の活性化を図ることです。
東京の地域計画研究所代表の井原満明氏、熊本大学教授の徳野貞雄氏と筆者の3人チームで当たります。
今回は、二日間にわたって鳥栖市の永家経済部長、石丸農林課長、西山農政係長、桑田事務局長他施設の職員の皆さんに集まっていただきヒヤリングを行いました。
隣接するダムサイトには広大な芝生広場はあるし、テニスコートもあるし、実習や会議施設の「とりごえ荘」と宿泊施設の温泉付「やまびこ山荘」はあるし、市民の森に隣接しているし、鳥栖から定期バスで20分の地の利です。
これから来年2月までにアドバイザーは有効な対策を打ち出さなければなりません。そのための多くの宿題を出してきました。皆さん熱心です。
我町は負けるなあ。
7月6日(土)〜7日(日)
KKTテレビ 幻の滝取材
熊本の民放「KKT」が幻の滝の現地取材に訪れます。7日は午前8時頃から滝へ出かけます。まだ滝へ行ったことのない方は、車の座席に余裕がありますので一緒に行くことができます。ご希望の方はご案内しますので筆者までご連絡ください。
7月13日(土)
幻の滝への通路整備
20日に滝開きとシンポジウム開催のため滝への通路を整備します。霧立越の歴史と自然を考える会主催ですが、ボランティア事業です。ボランティアでご協力下さる方がいらっしゃいましたら13日午前8時までやまめの里にご集合ください。ナタと鍬などが必要です。よろしくご協力の程お願いします。
7月20日(土)〜21日(日)
霧立越シンポジウム
先月号で一部お知らせしました第8回・霧立越シンポジウムが決定しましたので以下に掲載します。是非多くの方のご参加をお待ちしています。
ホームページでは下記URLです。
http://www.miyazaki-nw.or.jp/yamame/sympo8.html
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第八回・霧立越シンポジウム
「九州脊梁山地の地質と構造」
―幻の滝と構造線を考える―
中央構造線の謎は存在するか。
九州山地から大論争が巻き起こる。
2002年7月20日(土)〜21日(日)
講 師
宮崎から→山北聡氏(宮崎大学地学教室助教授・山北研究室主宰)
熊本から→小林伸行氏(滝研究家・医学博士)
長野から→後藤拓磨氏(中央構造線の謎を探る会・飯伊地域メディア振興協会事務
局長)
長野から→森田和美氏(フルート演奏家・オフィスもりた)
新潟から→芳賀俊一氏(気の場探索者・カタカムナ研究家)
第1日目 7月20日(土)
幻の滝開き
幻の滝フルートコンサート
滝のエステとヒーリング体験
◎幻の滝・フルートコンサート&滝のエステとヒーリング体験
伝説を秘めた幻の滝は標高1200m、深い森の中で周囲が崖に囲まれているため落下する水滴の微粒子が大気中にキラキラと渦を巻いています。こうした環境は、カラダにいいマイナスイオンが充満しているといわれます。マイナスイオンは心身の疲れを取り去り、ストレスを解消して美肌効果や免疫力を高めるヒーリング(癒し)効果があるといわれますが本当でしょうか。何はともあれ、幻の滝で瞑想し「滝のエステとヒーリング体験」をしてみましょう。
フルート奏者、森田和美さんのフルート演奏を聞きながら滝つぼで瞑想に入ります。フルートが周りの崖に共鳴し、更に滝の音と共振して街のホールでは体験できない演奏会になることでしょう。
瞑想中は寒くなりますのでビニール合羽や敷物等をご持参ください。滝つぼには、まろやかで美味しい岩清水が湧出しています。持ちかえり用のペットボトルもお忘れなく。尚、滝への通路は急坂路のため登山靴などしっかりした足回りが必要です。
08:30〜09:00受付(フォレストピア)
09:00 ホテル発(マイクロバス)
09:50 木浦林道滝入り口着
09:50〜10:00 オリエンテーション
10:00 木浦林道滝入り口発(徒歩)
10:50 滝到着
11:00〜11:40神事及びテープカット
11:45〜12:15 昼食
12:20〜滝のフルートコンサート
12:20〜滝のエステとヒーリング体験
14:30 滝発(徒歩)
15:30 林道滝入り口(マイクロバス)
16:30 フォレストピア着
◎―地層・断層・構造線探険―
中央構造線と仏像構造線に挟まれた五ケ瀬・椎葉にまたがる脊梁山地の地質と構造、岩石の種類と情報の読み方などを宮崎大学地学教室山北聡先生のご指導のもとに黒瀬川帯や三宝山帯の露出面を探し断層の場所を現地で学びます。幻の滝の上流を遡上してもう一つの滝も調査予定です。手袋、帽子、長袖シャツ、登山靴にスパッツなどをご用意ください。
08:30〜09:00受付(フォレストピア)
09:00 ホテル発(マイクロバス)
09:50 木浦林道滝入り口着
09:50〜10:00 オリエンテーション
10:00 木浦林道滝入り口発(徒歩)
10:50 滝到着
11:00〜11:40神事及びテープカット
11:45〜12:15 昼食
12:20〜 幻の滝より遡行して林道に上がり林道を移動しながら断層や地層を学びます。
17:30 フォレストピア着
第2日目 7月21日(日)
講演&パネルディスカッション
―中央構造線の謎にせまる―
場 所 鞍岡中央公民館
参加費 1,000円 学生500円
受付 8:00〜
開会行事8:30〜
■セッション1(08:50〜09:50)
講演「脊梁山地の地質と構造」
講師 山北聡氏(宮崎大学地学教室助教授)
中央構造線と秩父累帯・その形成過程、宮崎県北部・霧立山地の地質と構造、岩石の種類と情報・その見方と読み方
■セッション2(09:55〜10:55)
講演「滝 学」
講師 小林伸行氏(滝研究家・医学博士)
九州の滝・宮崎の滝、滝の定義と分類、幻の滝から読み取れるもの
◎コーヒーブレイク(10:55〜11:15)
ちょっと一服・癒しのフルート
演奏 森田和美氏(フルート演奏家)
■セッション3(11:20〜12:20)
講演「中央構造線を考える」
―21世紀の聖地論―
講師 後藤拓磨氏(中央構造線の謎を探る会)
中央構造線上の分杭峠と気の里づくり、地球磁場の誕生、磁場を感知する生物と能力、断層と岩石と聖地の仮説
(昼食)
■飛躍するセッション(13:30〜15:30)
パネルディスカッション
「地質構造と地域学」
地域おこしへの活用と地域の役割
パネリスト
山北聡氏(宮崎大学地学教室助教授)
小林伸行氏(滝研究家・医学博士)
後藤拓磨氏(中央構造線の謎を探る会)
森田和美氏(フルート演奏家)
芳賀俊一氏(気の場探索者)
コーディネーター
秋本 治(やまめの里代表)
閉会 16:00
解説
五ケ瀬町から椎葉村にかけては、臼杵-八代構造帯と呼ぶ日本列島を二分する巨大断層の中央構造線があり、その南部には仏像構造線が並んであります。こうした2つの断層に挟まれた地域には、祇園山のシルル紀(四億三千万年前)の地層が露出
する「黒瀬川帯」や中生代ジュラ紀(1億5000万年前)の地層の三宝山帯があり特異な地層を形成しています。
これらの地層では、金、銅、スズ、マンガン等の鉱石類も生成され廻淵鉱山、財木鉱山など大規模な鉱山跡があります。かつては鞍岡の長峰、一の瀬、古賀、小川、荒谷、波帰などでも金や銅、マンガンなどが採掘又は試掘されておりました。
鉱山跡以外の地域においても壕のような試掘跡が点在し、磁石に反応する岩石が見られます。かつては、マンガン鉱を探す鉱山師が暗躍したといわれ「ジッシン・マンガン」(マンガン鉱を見つけて大儲け・ジッシンとは当地の方言で大儲けの意)という言葉がありました。
地形的にも急峻で、恐ろしいほどの崖地が多くV字谷を形成しています。2001年5月17日発見された木浦谷の幻の滝も、そうした特異な地層のなせるわざでしょうか、そそりたつ絶壁に囲まれて75mの落差を持つ見事な滝が姿を見せてくれました。
植物の分布上においても植生に特異なものが多く、白岩山は「白岩山石灰岩峰植物群落地」として天然記念物に指定されております。また、1999年5月には、珍しいサクラの群落が発見され地域固有種として、和名「キリタチヤマザクラ」、学名「Cerasus
sargentii Var.akimotoi 」と命名され学会の注目を集めました。このようにして当該地域には特別なアイデンティティがあるような気がします。
それでは、中央構造線の断層は一体どこにあるのでしょうか。仏像構造線の断層は椎葉のどこで見ることができるのでしょうか。私たちはこうした地質構造や足元にある地層について、これまであまりにも無知でありました。
近年、長野県では中央構造線上にエネルギースポットと呼ぶ「気」が立ち上がる「磁場ゼロ地帯」が発見されたといわれます。磁場ゼロ地帯には「マイナスイオン」があり、疲れを癒しストレスを解消して免疫力を高めるとして、地元の長谷村では「気の里づくり」を掲げた生涯学習センターを建設して地域おこしに取り組んでいます。
九州の中央構造線はどうでしょうか。果たしてこのような構造線の謎は存在するのでしょうか。目で確認することができないため何となく気になる存在ではあります。
第八回・霧立越シンポジウムでは、こうした中央構造線と仏像構造線の断層をテーマに脊梁山地の地質と構造を学び、幻の滝の生成過程や構造線の謎にせまります。
お申込・お問い合わせ
霧立越の歴史と自然を考える会事務局
〒882-1201 宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町大字鞍岡4615番地
TEL0982-83-2326 FAX0982-83-2324
E-mail:yamame@miyazaki-nw.or.jp
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本年2月に岡山県西粟倉村で行われた「全国源流のむら会議」について以下に掲載します。会議録は4部ありますが、紙面の都合で今号にはその第1部のみを掲載し、次号には第2分「飛躍するセッション」を掲載予定です。
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山村が行きぬくための交流会議
「全国源流のむら会議」
メインテーマ
「源流域の循環経済を考える」
2002年2月15日(金)〜
2月16日(土)
場所 岡山県英田郡西粟倉村
国民宿舎あわくら荘
主催 全国源流のむら交流会議実行委員会
趣旨
地方は、地域振興の旗印の下に企業の誘致にしのぎを削り、リゾート開発を競い合いましたが、バブルの崩壊とともに夢が崩れた1990年代を「失われた10年」といいます。
何が失われたのか、それは国の活力です。源流域はその僻地性ゆえに20世紀の工業化社会の中で忘れられた存在でした。それゆえに、美しい景観や自然、山や川、農地などは工業化の波に飲まれることなく維持され、活力として蓄えられています。「地域の再生」を目指す基調は「山」「川」「農」への回帰であり、地域の活性を自然との調和の中で取り戻すことです。ここでいう「源流域」とは、時代を超えて変らずこんこんと湧き出る水源域という意味で、環境や文化など活力を蓄えた地域と捉えています。
この会議は、源流域に暮らす私たちと工業化社会の実現によって得たものの大きさより、失われたものの尊さを知っている心ある人たちとの交流から生まれてくる古くて新しい暮らしの再生を始めようと考えたものです。
源流の暮らしと文化を誇りとし地域にあるものを活かして、地域の文化や伝統、経済を作りだしたい。各地で新しい価値を発見し、地域で情熱を注ぐ「人」との幅広い交流を通じて「知恵」や「活力」を得るとともに、我が源流域の地域情報を全国に発信し、活力ある地域づくりを目指すことを目的としています。
2月15日
セッション1
「森林から文化・経済を考える」
東粟倉村は、長い間、森林はその木材生産という経済行為に主眼が置かれ、杉、桧等の人工林化が進められてきました。森林の持つ機能は、果たしてそれだけであろうか?。森の中にはもっと宝があるかもしれない?。普段私たちが見落としがちな森の宝を再発見しよう。そして、新しい木工芸文化の創造も発見しよう。
セッション2
「手仕事から文化・経済を考える」
西粟倉村は、現代の工業化社会の中、地域で失われつつあるものは昔から続いてきた手仕事である。「カンジキ作り」や「ミノ作り」など失われていく「手仕事」の復活の手法について探りたい。高齢者は宝だ、積み重ねてゆく魅力の発見もしよう。
セッション3
「町並みから文化・経済を考える」
大原町は、因幡街道の宿場町の面影を残す古町地区があり、現在町並み整備が進んでいる。しかし、空き家となっている建物も多い。空き家といっても素晴らしい魅力的な昔の商家である。時代を超えて生き残った「町家」は地域づくりの核になれるか、その手法について考える。
2月15日
若杉原始林カンジキツァー
セッション4
「飛躍するセッション」
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開会挨拶
西粟倉村長: 皆さんこんにちは。西粟倉村の道上です。振興局長、大原村長、西粟倉村長がお見えになっておりますが、私が代表致しまして歓迎とお礼を申し上げたいと思っております。
本日、全国源流の村会議を開催致しまして、県内外から沢山の皆さんが東粟倉村、大原町、西粟倉村におこし頂きまして本当にありがとうございます。この会を催すにあたりまして、岡山県そして山梨県の早川町長さんそして鈴木先生等、早川町の上流文化圏の色々なお手伝いを頂きながらやっとこの会を開催する事が出来ました。本当にお礼を申し上げたいと思います。
皆様もご存知の様に今は非常な激動期であります。したがいまして、地域社会に住む我々にとってもこれからの21世紀をどのように生き残っていくか模索していくという非常に大きなテーマがございます。ですので、多くの先輩や地域でご活躍のゲスト方々をお迎えしていろいろな議論や情報交換をしていく事が非常に意義があると思います。
今、世の中は国際化・マーケット至上主義等、非常に大きな動きがある中、地域社会も戦後非常に頑張ってきたと思います。しかし、時代は効率というものを非常に求めており地域社会にまでその波はやってきていますが、地域社会の生き方が効率だけ問われるもので良いものかと私自身も、そして皆さんも疑問に持っていらっしゃると思います。
そして私自身の個人的な感情かもしれませんが、交付税を使う事が悪いように感じてしまうというような世の中になってまいりました。その様な中でこれからは、我々の人間的・社会的・資性的な価値観というものが求められて行くのではないかと思います。
今日、ご参会の皆さんは極めて自主的に非常に遠くからお越し頂きました。それから、地域の皆さんは自分の判断で参加して頂きましたので、ぜひ色々な議論を戦わせていただきたいと思います。
そして、皆さんでスクラムを組んでこれからの地域社会をより素晴らしいものにする為にも多くの情報交換をして頑張って行くと言う事がこの会の大きな目的になる事と思います。
終わりになりましたが、多くの皆様が遠くから起こし頂きましたこと、そして本多副知事様には非常にお忙しい中懸けつけて頂いた事にお礼を申し挙げまして開会の挨拶に換えさせて頂きたいと思います。本当に本日は有難うございました。
岡山県副知事 本多重信 氏 挨拶
副知事: 皆さんこんにちは。今日の朝、岡山は良いお天気で北の方はどうかなと思っておりましたら、案の定途中から雪が降り西粟倉は雪景色となっておりました。まさに岡山は、日本の縮図の様だと狭いながらにその変化に驚いております。
今日は「全国源流の村会議」という、いわば知恵の交換会ともいうべき会にお招き頂きまして、本当にどうもありがとうございました。このところ全国各地で知恵を出し合った色々な町作りが行われております。そのようなそれぞれの地域独自の知恵を出し合った地域の活性化という取組みは、比較し合う時代になってきたのではないかと思います。
先ほど村長さんの話しにもありましたがこれからそういう流れが加速度的になっていくのではないかと思います。そのような中で最終的に地域作りに求められている物は、地域に住む人々が自分達の村の風土が持つ資源を洗いなおしそれを積み木細工のように組みなおして、村作りに対する大きなコンセプトを導き出してそれを広域的に広がりを持たせたモデルにすると言う事だと思います。
その時に村の中の人達だけで考えても、本当の意味においての資源の見直しは出来ないと思います。ですので、ノウハウや実績を持った外のネットワークを活かしてもう一度自分たちの地域を見直すという作業も大切であると思います。
そういう意味においても今回の会は、それぞれの志を持った方達との知恵や情報の交換会になると思います。その時に誰をコーディネーターとするのかと思いましたら、鈴木さんで安心致しました。十年来の付き合いである鈴木さんは、膨大なネットワークをお持ちであり、今日お集まりいただいたゲストの方々も地域作りでは達人の域に達せられた著名な方ばかりです。
そういう方々だからそこ、町や村を冷静に評価し議論していただけると思います。その議論の中からはっとするような事を感じとって、この地域の人々が行政と具体的な村作りへの思いを持つようなきっかけになってくれればと思います。
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セッションT
森林から文化・経済を考える
コーディネーター:秋本 治氏
ゲスト:大廻政成氏 福井県丸岡町
:辻 一幸氏 山梨県早川町
:西田明夫氏 東粟倉村
秋本:こんにちは。宮崎から参りました秋本です。実は、本日パネリストとしてここに参加予定だった鹿児島の雅叙園社長の田島さんは、急にドクターストップをかけられたということで残念ながら本日は不参加となりました。田島さんは、「天空の森」という面白い施設を運営しておいでです。ビデオテープが届いています。せっかくの機会ですから最初にそちらをちょっとご紹介します。
――――――――――――――― ビデオ上映
ビデオ終了
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秋本:それではゲストの方々を簡単にご紹介します。山梨県早川町長の辻一幸さんです。本日の会議の発端ともなった「日本上流文化圏会議」を立ち上げた方です。
次は福井県丸岡町の大廻政成さんです。日本一短い手紙で町おこしを展開されています。今回、田島さんのピンチヒッターとして急きょ駈けつけてくださいました。
それから地元の東粟倉村から参加で、ユニークなカラクリオルゴール作家の西田さんです。西田さんはもともと地元の方ではなく、長野県白馬村から越してきた方です。この地域には何も無いから引っ越してきたといわれます。よろしくお願いします。
さて、山村は過疎、高齢化、不況の中で大変厳しい状況にありますが、反面、山村ならではの魅力を秘めたものも数多くあります。日本の高度経済成長の中で山村の大事なものが忘れ去られていた部分というのもいろいろあると思います。そういう中で本日のテーマは「森林から文化・経済を考える」ということですが、実はこちらのゲストの3人はそれらについて大きな示唆を与えてくださる方々で、独創的なアイデアや哲学でさまざまなことに取り組んでおいでです。わが国のトップランナーと言えるでしょう。先ずは、自己紹介を兼ねておもちゃづくりをされている西田さんからお聞きします。
長野県の白馬村でペンションを営んでおられたそうですが、何故ここに移り住まれたのでしょうか?。この村には何もないからよかったのだとおっしゃいますが、とても独創的な取り組みをなさっておいでですね。
西田:私は1946年兵庫県明石市で生まれました。3歳のとき、740軒が焼ける火事がありまして、私の父親が兄を頼って大阪に出て、大阪でも3回ぐらい引越しをしました。サラリーマン時代は、東京に住んでいました。
最初は文京区のまちなかでした。朝起きて雨戸を開けると隣の雨戸が見えるというのが気に食わないという感じでした。それから千葉県松戸市にも引っ越しましたが、そこもだんだん賑やかになってきますとこれも気に入らないと思い、習志野市に引っ越しました。当初は職場から20分のところに住んでいましたが、最後には1時間40分もかかるようになってしまいました。
中学、高校は山岳部に所属していました。山に登るのが好きで、いつかは山の中で生活したいと思っていました。28歳の時、会津磐梯山に住もうと思案し引っ越しましたら、その年の冬、いきなり5mの雪が積もりまして、ここには住めないなこれはだめだ、とても生活できないと思いまして2年で撤退しました。
それで長野県の白馬村へ行きまして、そこでペンションを始めました。ですから、幼いときの思い出というのはあまりなく、私は幼馴染がいませんし、守らないといけない家、家族とかのしがらみがありません。基本は自分ということです。非常に気楽なものですから、生活できれば何処でも良いと思っております。
白馬村でペンションをやっていたときには、4年間大阪の美術大学に通っていた学生が冬になるといつの間にか家に来まして居座ってしまいました。アルバイトとして4年間も居候していた男の子がいました。その子は今東粟倉村に住んでおり、この村の出身の人でもあり、西田さんにお世話になったということで東粟倉に遊びに来たんです。この村は日本昔話にでてくるような村で、夕餉の頃に茅葺屋根の煙突から煙が出ているのをみて気に入りました。東白馬村ではペンションを建てました。そして、からくり人形などを作っていました。それで静かに丁寧に生活できればいいなぁと思っていました。
秋本:ありがとうございました。それでは大廻さんお願いします。「日本一短い手紙」のきっかけ、経緯については大変興味があります。
大廻:はい、こんにちは。急遽、ピンチヒッターで来ました。何を話して良いのか分かりません。森林・源流の中で皆さんに何をお伝えすることができるか、この時間の中で見つかってくると思います。
平成5年から「手紙」がスタートしていますが、これまでにトータルで76万通もいただきました。これはもちろん、うちのアメリカ事務所に来ているアメリカの手紙もあるでしょうし、英語の手紙を世界中から集めまして、それらも合わせての数です。そして他にも思入れの手紙も普通の手紙もあるでしょうし、そっと隠し持っている手紙なんかもあるはずなんですね。
そんな手紙を燃やしてしまうのではなくて、うちに預けてくれませんかと、そういうようなこともやっております。そんな話をしてからですが、70いくつのおばあちゃんが私のところへきましてね、ボロボローっと涙を流されましてね、「何でそれを早く言ってくれなかったの?」と恨むような顔で言ってきたんですね。
そのお話は、夫が亡くなってまもなく1年になろうとしているそうでなのですが、その亡き夫と交わしていた100通の手紙をもういいと思って先週、燃やしてしまった、というのです。涙を流しながら、たぶんこれはいずれ子供達が全部燃やしてしまうだろうと思い、いずれ燃やされてしまうのならばいっそ自分で燃やそうと思い、焼いてしまったらしいんです。
ところが、やはり燃やしてから随分後悔をした。そして僕の話の手紙を募集している話を聞いて、何でもっと早く言ってくれなかったのかとわざわざ言いに来たのです。まあ、僕に言われても仕方がないんですけれどもね、あの涙にはこたえました。
それから、これはいけないと思い、どんどんあちこちにそのような話をしましたところ、どんどん手紙が届くようになりました。「これは夫婦の間で交わした357通の手紙です」と、やはり70幾つの方がですね、こちらのご夫婦はご健在ですが、私のところに送って下さいました。
そして中身を見たら、ご主人が放送局に勤めておられたので転勤などが多かったようでして、20歳ぐらいから手紙を交わしていたようでした。おもしろかったのは、20歳の頃に交わしたご夫婦の手紙のアツサよりも、アツサというのは、温度の熱さですね。最近交わした70越えた後の手紙の方が熱いんですね。
私はこれには感動しました。いつかこの「357通のラヴレター」というテーマで映画を作りたいと思いましたね。20歳の頃の手紙よりも70を越した手紙の方がいい手紙が多かったのです。
今年、4月発表しますが、「日本一短い手紙の喜怒哀楽」というのをやります。20数万通いただいてから、100万通にして手紙博物館を作り、そして芝居小屋を作って去年大阪の中座を丸岡に貰ってきました。トラック10台分をです。それで緞帳とかも丸岡に来てしまっています。子供歌舞伎を昨年創設したのですが、それも多くの人々の関心を呼びました。
最後にこれからのこととして、来年着工されると思いますが、芝居小屋と手紙博物館を作りたいと思っています。木造の芝居小屋を作りたいですね。手紙博物館も木造で作りたい。これまでの消防法ですとこれが不可能なんです。700〜800人収容の建造物は木造ではできないのです。
ところが去年、丸岡町の間伐材の有効利用を考えている浅野さんという方が、木材による不燃材というものを開発しまして、それが通産省で認可されました。
それを使って木造の芝居小屋を近々創設します。そこで丸岡町だけで作られた幕の内弁当を皆さんに食べていただく。丸岡町のいろいろな木材を不燃材に加工して、それを使った劇場というものを近々立ち上げたいなと思います。是非見に来てください。以上です。
秋本:その内容はどういうものですか?
大廻:『おかあさん、私を生んでくれてありがとう』という手紙がありますよね。これを歌舞伎仕立てで上演するとどうなるだろうと、いう話なんです。
来週月曜日18日に、勘九郎さんとお会いして打ち合わせるという予定になっているのですが、勘九郎さんになるのか光五郎さんになるのか藤山なるみさんになるのか、というようなことを木製の芝居小屋と話したら大変驚いて感動してくれました。
皆さんが出した手紙がひょっとしたら、歌舞伎仕立てになって専属の役者が上演するかもしれないです。喜怒哀楽で、今回出して頂いた手紙の中から歌舞伎仕立てで上演されることがあるかもしれません。是非おこし下さい。
秋本:はい、ありがとうございました。楽しみですね。さて、辻さんは日本上流文化圏で壮大な構想をお持ちですが、そのあたりからお願いします。
辻:どうも皆さんこんにちは。3町村共催で全国源流のむら会議第1回の開催をして頂いたわけですけれども、この会議を企画される際に当町との関係もできまして、実は今日、私達の町から日本上流研究所の所長、事務局長、それから役場の担当課長、研究所職員、私と5名で参加させて頂いておりますのでよろしくお願いいたします。
先ほどご紹介されました岡山県の音楽家の山本ひろゆきさんの関係ですね。実は今日のこのようなきっかけができたわけですけれども、どうして岡山県の音楽家の山本さんと私どもの地域が関係できたかと言いますと、山本さんは岡山県のご出身であり、東京で活躍されている方でありますが、たまたま私達の地域、−南アルプスの真っ只中の本当に寒村なのですが−、平成6年からスタートいたしました地域づくりの「日本上流文化圏構想」というものがあります。
その中で山の中がもう一度よみがえって行くための取り組みを我々の研究に取り入れていこうというものです。
その構想の一環として、「日本上流研究所」という研究所が平成8年から町を中心にして立ち上がり今日に至っているわけですけれども、そこで行われた研究会に山本さんが参加していただいたことがきっかけです。
一つには山村の農地の文化を再構築しようということが大きな目的なのですが、もう一つは、日本全国に向かって同じような仲間と交流を続けていきたいということもあるのです。こういうことが、地域の一つの大きな課題であったわけですね。
それで、研究所がスタートいたしましたし、それにあわせて関心を持っていただく地域との交流会を開いてくれということで、今日も大勢仲間の方が見えておられます。北海道から九州から静岡からと、山本さんが是非自分のふるさとの方で何か交流ができないかな、きっかけを持てたらいいな、ということで今日の交流会につながったというわけです。
それからもう一つ、私は「縁」というのは不思議なものだなとつくづく思います。丁度今から20年前にですね、今の村長さんではありませんでしたけれども、たぶん、そのときの村長さんがじきじきに私のところに電話をくれまして、「はやかわ町という町はどういう町だ」とお尋ねになったんです。まちづくり・地域おこしで自治体が先頭になって太鼓を作ったということをお聞きになったそうで、早川町でですね、その取り入れ方を教えてくれないかという話題でありました。
まだその当時は竹下さんのふるさと創生基金などというものはなかったのですが。私どもは町職員も町会議員もみんなでですね、わざわざ山梨からバスで10時間掛けてこの西粟倉へお邪魔して今の国民宿舎へ一泊泊めていただいて、粟倉の方々とお供させていただきながら太鼓の話をしたと、そういう思い出があるんです。そんな縁もよみがえってきまして、世の中というのは不思議なものだなとつくづく思うわけでございます。
今、粟倉には粟倉太鼓という太鼓が存在して総務課長さんも打っておられたそうですね。実は、こういった兄弟関係が生まれてきたわけです。宗家である長野県のおすわ太鼓をはじめ、その流れをもった団体が200団体ありまして、なかなか会う機会がないのですが、粟倉村も我々もメンバー、仲間だなというつながりを持っているわけです。
改めてまたこういう形で皆さんとつながりが出てきたというのが大変ありがたく思います。
やはり、山村や地方というのは、その町や村がそれぞれに悩みを抱えていますし、また、同時に夢を持ちながら前進していきたいと思っているわけです。しかし、たとえそれぞれの町村が遠くにあっても、−北海道にあっても九州にあっても−、同じ仲間というのはなんらかの形で手がつなげるのではないかなと思っています。
我々が日本上流文化圏構想、上流文化圏研究所を立ち上げたこと自体が外に向かってのテーマになっていくわけですけれども、他のいたるところでもですね、こういう会が立ち上がりつつあります。
また来年も岐阜県にそういう動きがあるということです。そして、こういった会議が終わった後でもですね、それで終わりではなくてそれからが始まりであって、これをきっかけとしながらそれぞれ会議に参加していただいた人たちが思い思いの考え方を秘めながら、それを今度は生かしてゆくということ、その姿が尊く、また大事なことだと思います。
そういう点で、大原町さん、東粟倉村さん、西粟倉村さん、一つの地域としてのテーマを、是非、今日の源流会議を契機として、そういうものを高く掲げて前に進んでいっていただければ、多少なりとも山梨から来た甲斐があったな、と思うわけであります。
それにしてもですね、長い間20世紀の後半というのは、我々の山村というのは惨めでしたね。なんとか立ち上がろう、立ち上がろうとしても、大きな国や世界の中でこのままじゃないよと、このままではあってならんよ、と思いながらも、東京を見て一生懸命あくせくしてきてしまいました。
そうするのではなく、広いところを見て、もう一度自分達の足元からしっかりと見直そうじゃないかと思うんです。そして、マイナーな考えではなくて、自分達の地域というものは歴史的にもいろいろな点からも過去から現在、未来に向かってどうあるべきなのかということを一人一人が掴んでいくことによって一人一人が地域に対する愛着や誇りを持てれば、だいぶ違うと思うのですね。
だめだと思って暮らすのも一生、良いと思って暮らすのも一生だと考えたら、いいと思って暮らそうじゃないですか、皆さん。そして、少しでもよくしていこうじゃないですか。そのためにはどうしようかということをですね、皆でスクラムを組んで取り組むことが重要だと思うんですね。
都会と山村の比較をしたときに思ったのですが、都会というのは一人でも生きていける。隣が何しようが関係ない。自分だけがよければ生きていけるというのが都会の生活だと思うのです。
しかし、山村で暮らすとしたらですね、この地域が良くなって初めて自分が良くなるということを考えなければだめだということを私はいつも自分に言いきかせます。
自分さえ良ければという人はですね、この西粟倉村に住まなくてもいいと思うんですよ。西粟倉村、この大原地域一円が良くなったら、自分も良くなるよという発想でこの地域に住んでいかないと、自分も地域も良くならないんですね。
そういう意味で、今、私達は大変に大きな曲がり角へきています。来ていますけれども、今までと違った21世紀というのはそういうものを取り戻すとことによって山村も生きられると思っています。農村も蘇ってそこで生きられるようになってくる。
そこに住んでいる人たちが惨めな思いで生きていくのではなくて、むしろ都市に向かって誇りを持っていきながら、立ち上がっていくような、そういう姿勢というのが今後の農村の可能性につながるんじゃないかなと思いながら、そういう構想を今、南アルプスの真っ只中の私どもの地域で進めております。
我々の地域は、過疎と人口流出、人口減少、高齢化の地域です。ほんとに日本一です。それでも住んでいる皆は、そういう目標に向かって胸を張りながら、知恵を出し合わなければならない。しかも連帯しながら進んでいこうということで今回ここにお邪魔させていただきましたし、是非、この源流の村会議が今日をきっかけにますます皆が奮い立って進んでゆくことを願ってやみません。以上です。
秋本:ありがとうございます。もう一度自分達の足元からしっかりと見直そうじゃないか。都市に向かって誇りを持って立ち上がっていくことが大切とおっしゃいます。山村の力をどう高めるかということですね。現実には非常に厳しい問題もありまして、自然環境の方も悪くなっているというようなこともあるわけです。こうした環境を保全するという大事な部分もありますが、今日の毎日新聞をちらっと見ましたら、地方交付税が8,000億マイナスになるんだということです。そういう財政の厳しい中でどうやって克服していくのかが問題です。
西田さんは森が好き、山が好きだとおっしゃいます。そしてここには何も無いから良かったんだと。何もない山村にやってきて自分の好きなことをやっていて、それが実は文化や経済になっているという風に見えるんですけれども。
西田:山の中で住むことが好きなんですね。元々は私の手元にあるようなからくり人形を作って生活をしているんですけれど、こういうものを作って静かに丁寧に暮らしていければいいなと思っております。たったそれだけの思いでスタートしたんですけれども、簡単に状況が変わってきたんですね。
秋本:今、お作りになっているのは間伐材を利用するとか、そういうことを掲げて取り組まれているのでしょうか。
西田:いや、ないですね。うちの村でも人口植林が75%で自然林が25%という数字になっています。昭和30年代の村の歴史を観ますと、一斉に植林をしたようです。
ところが、外材が非常に安く手に入り、農業が衰退してくるという過程の中で、かんばつ材がうまく立ち行かなくなってきた。これは、東粟倉だけでなくて日本全国どこでもそうだと思いますけどね。
そういう状況の中でかんばつ材を使って、という思いもするのですが、今のところはカナダ産の材料を使っております。作るのがからくり人形なものですから、非常に緻密でクリーンな少ない材を使わないと物が作れないという制約があるので、非常に寒いところで育った木というのをメインにして使っています。しかし、かんばつ材を使ったおもちゃも社員に作らせております。
秋本:なるほどね。大廻さんはどうでしょうか。
大廻:個人的には山も好きですし、家の周りは山に囲まれてはいますね。うちの町は酒井平野の一角ですから山に近いです。うちの町は108平方キロメートルありますが、そのうちの3分の2が山林なんですね。
一番多い人は6000町ぐらい山林を所有してますね。松平さんという知り合いなのですが、自分の山だけ通って岐阜県へ行けてしまうという方がいらっしゃる。そういう人たちの山が荒廃しようとしています。
私の知り合いがそのかんばつ材を使えないかということで10年ぐらいやっていまして、私もある程度は手伝いをしていたのですが、やっと最近さっきお話した不燃材が使えるようになったのです。修正材よりも不燃材を使った方が材木としての価値も高くなるというようことで、こちらが今年ぐらいには商品化されると思います。
それを使って今、そっちの町長と話をしているのですが、例えば、アスファルトを使わずに道路にひいてみるとか、城を100年計画で元に戻そうというようなことをやっています。城の散策路には、かんばつ材を約30センチ埋め込んで公害の出ない樹脂を若干注入したものをずっと使ってやっています。
秋本:不燃でも全く燃えないわけではないでしょう。また、不燃加工したことによって環境への汚染はないのですか。
大廻:それは全部クリアしています。これは新しいものですから、新たな問題がでてくる可能性はあります。その辺については、私は専門家ではありませんので、聞いた話とか、実際には目の前でバーナーで燃やしているところを観させてもらいました。
秋本:燃えないのですね。やっぱり。
大廻:黒くはなりますけど燃えない。1分ぐらい、バーナーに当てても燃えない。一定の基準があります。不燃材に加工をすることによって、その木材は数十倍の価値になりますね。質の良いものは芝居小屋に使ったりします。比較的細いですから、細いものはとにかく幾何学状に組み合わせて芝居小屋を作るという設計をしております。全て可能かどうかは実験中です。できなかったことに挑戦しています。100ある内、1でも成功できたらと思っております。
秋本:木材を不燃材に加工して芝居小屋を作るという新たな挑戦ですね。辻さん、更に早川町の取組みと考え方を聞かせてください。
辻:私どもの地域の説明をさせてもらいます。本当に不便なところでして、鉄道も通っていませんし、国道も私達の地域ではないですね。唯一の幹線道路である県道は、完全に行き止まり状態になっています。その集落の最北部では道がストップしてしまうわけですね。南アルプスの真っ只中です。
南アルプスというのは、静岡県と長野県と山梨県の3県にまたがるところです。その3県にまたがる18市町村で南アルプスにすっぽりはまるというところは、3県の中で私達の地域だけです。町といっても名ばかりで、峡谷の山村であります。
3000m級の山は日本には21山ほどありますが、そのうちの半分が南アルプスにあるんですね。私どものところにあるのは日本で2番目の3192m北岳という山です。周りには日本で4番目の山、あるいは10番目の山など高い山がいっぱいありますので、住んでいる所の山というのは、2000mを越えています。
もちろん集落もありますが、まぁ大変なところですよ。96%が急峻な地形と山林があるという地域ですけれども、林業だけで食べていけるかといったら、全く食べていけませんね。
皆さんも林業関係、また行政関係でも苦労されていると思うのですが、本当に大変ですね。ただ、森林の持っている価値というのは、新しい資産と公益的な価値だと思っています。人間が生きていく上での森林が果たす役割というのは、今、日本全国では75兆円の価値がある、こういう評価をされているわけであります。
森林を中心とした環境の整備というのは、もう日本の国だけの問題ではなくて人類の生存や地球温暖化まで広がっていっていると思います。こういう中で、われわれ山村が果たす役割、あるいは山村が持っているそういう意味での使命というのは、20世紀以降の新しい時代に、環境と価値のテーマとして高まっていくのは間違いないでしょうし、高まっていかなければならないと私は思うのです。
今の山村を収入の中心にしたい、山村を維持していきたい、というからには、これは一つの町や村のテーマだけではなくて、県や国も国家的なテーマにしていかなければならない。つまりこれからの山村文化と経済をどういう風に立ち直していかなければならないかというのを真剣に考えて行かなければならないと思います。
生きていくこと自体、経済に関わらないわけではないですが、そういうことを考えたときに我々の地域というのは、まさに価値が膨らんでいく、新しい価値を作り上げていくというテーマを探していくということが大切だと思うのです。
私は、今日の西田さんにしても、それから大廻さんにしても、地域にしてもですね、そのすべてが地域で生きているというわけでありまして、山、あるいは森林、畑がなくなると生きていけないと思うのですね。しかし、私もそういうものにですね、反れて来たのではないか、というようにも思います。
山村に生きながら、農村で生きながら、山から目を背けたりしないで、地球環境を守る、維持するということが大切ではないでしょうか。今、そういうところを取り戻す、というところまできて、そういうものを背景にした地域の文化だったとやっと気付いた気がします。
脈々と作られてきたものは何らかのものをバックボーンにしながら作られてきて文化となったはずなんですけれども、そういうものに対して根本から皆が目を背けてきてしまったところに問題が我々の地域にあるのではないかということを思います。
それからもう一つ、自分達の持っている地域文化から、果たしてここでいう本当の交流の場とは何なのかということを、近代の方が取り入れなければならないと思います。昔は非常に交通が不便であっても、よそとよそが遠くても、その地域の文化というものは交流の中から芽生えてきて今に至るという気がしてならないのですね。
もともと、国で独自に作り上げた物じゃなくて、頻繁によその地域に出て行ったり、例えば大阪から入ってきたりと、そういう交流の中からこの西粟倉村の文化というものが醸成されてきたというのを認めなければならないと思います。
未来の地域のあり方ということを思われた西田さんが、東粟倉村に根付いてきたというのはやはり素晴らしいことだと思います。過疎で人が出て行き、残ったものは年寄りになってしまって、地域には後継者が残らず、さぁこの地域はどうしてゆくべきか、というときにですね、私どもの町は新しい風を入れていくということをまちづくりに採りいれ、これをテーマにしているわけです。
来る者は拒まん、出てゆく者はやむをえん。地域がだめだろうと判断して出て行くならば、これは残念だけれども、やむをえん。しかし、入ってくる人たちを拒むような地域では文化も育たない。
新しい文化を育ててゆくとしたら、例えば、西田さんが根付いてくれたらですね、この人をやっぱりきっかけとしながら、新しい粟倉村の文化を皆で作っていこうということです。意外と近代の我々が今日知っていたものというのはそういうものであって、よそから風が吹いてくるというものに対して拒むような傾向がむしろ近代にあると思います。昔の文化というものにはなかったのではないかと思っています。
逆に、交流が不便なところであっても、山の中であっても、あるいは尾根であってもですね、よその風がたくさん入ってきて、そこに新しい風が吹いて、その地域のものが新たに作られ文化が栄える。地域文化というのはそのように作られてきた気がするのですね。
そういう意味で、我々は今まで拒否し続けてきてしまった部分があります。よそからさまざまなものが入ってきて楽しいと思えるような人が一人でも多く増えてくれることが、新しいこの地域の文化を作り上げてゆくし、さらには経済の活性化にも新しい風が出てくるのではないかという気がしてならないのです。
福井県の丸岡町さんは3万人、4万人もの大きな、豊かな地域なのに、なおかつこういう発想があるということは、本当にうらやましい限りだと思います。皆さん、福井県と言っても知らないですね?わかりますか?丸岡町って言えばご存知ですね。福井県はわからないけれども、丸岡町といえばどの県にありますかって言われてますよね。私は福井県より丸岡町の方が有名だと思います。
それはやっぱり新しい文化を創ろうという取り組み、しかもですね、今度は芝居小屋まで持ってきて丸岡の大きな目玉にしていこうという迫力というものが凄いんだと思います。こういう動きはやっぱり大事ですね。
大廻さん一人でやっているのかも知れませんが、やっぱり企画者がいないとこうはいかないということ、また、そのようなきっかけを持った人がいないといけないと思います。以上です。
秋本:大廻さん、どうですか。一人でやっている。(笑)
大廻:私は決して一人ではやってきていません。そうですね、たぶんうちは役場という単位で考えれば、こういうスタンスの人間は半分くらいでしかないと思います。うちは300人の職員がいますが、そのうちの150人は動いてくれます。それがあるからできるので、私一人では何もできません。
はっきりいって私は、福井ではハッタリのものというわけで、私の事を避けて通るような人もございますから(笑)、今日申し上げたことは、まぁ50%ぐらいで聞いていただければよろしいのではないかなと思うんです。
辻さんがいってくれて目が覚めましたが、私は基本的に、街については目をそらしていました。私も本当にその可能性があると思いますね。どこをそらしていたかというと、丸岡にある3ぶんの2の山を、こんなものどうしようもないと思い、時には飛行場を作ろうとしたこともあります。
基本的に私は企画人でありましたし、こういうことにいくらでもタッチしていましたが、行政としてその3分の2の山をどうすればよいか、という発想の中でそんなことを考えてばかりいた時代もありました。
それを、ずばり目をそらしてといわれてドキッとしました。私は今日辻さんが言われたこの言葉を持ち帰って、町を劇場にしたいというですね、要するに町民に演技をしてもらってそれを見に来てもらうということを考えてみたいと思います。
こういう村、町がですね、山にあろうが何処にあろうが、辻さんであろうが、西田さんであろうが、そういう感覚で日ごろ生活を大なり小なり送っているわけです。また、いろいろと基本的な問題があるにせよ、研究所というような考え方は持つべきだと思いました。
役場の人間というのは偉そうというか、偉すぎますよね。(苦笑)特に若い職員は偉そうなのがたくさんいますが勘違いしてますよね。基本的にサービス業なんですよ。だから、私は図書館を創立した時に来たお客さんになんて言ったらいいかというような話のときに、「いらっしゃいませ」と言おう、町民が「ありがとうございました」と言うことと合わせ、たぶんほぼ実現できると思って言っています。
小さな街に大きな図書館というわけで、職員は10人いるんですけれども、今後はもっと増やしてそのうちに365日会館したいというのを目的にしています。職員を15人にして365日会館していきたいと思っております。というのが当面の夢なんですね。
なぜそう思うかというとこれはサービス業だからなんですね。先程も少し話したのですが、初めて公務員の給料が下がったつい去年ぐらいから、公務員の給料は下がらないという神話がまさに見事に崩れました。何故崩れたかというと、そのサービス業というものをなくしていこうという風潮にあるということだと思います。
秋本:ありがとうございました。新しい風を入れていくまちづくりがテーマと辻さんがいわれました。西田さん、交流の中から、新しい文化を創っていくというお話がありましたが、今、この地域にお住みになって何かを感じることがありますか?
西田:その前にですね、資料のフィルムを持って来ていますので、それを見ながらおもちゃの話をしていきたいと思います。このセッションのテーマが「森林から文化、経済を考える」です。多分それが一つでも当てはまるだろうということでよろしくお願いします。ドイツの話なのですが、是非見てください。
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西田:チャイコフスキーのバレエの組曲、胡桃割人形というのはご存知ですよね。そもそも胡桃割人形というのは、これです、こういう人形です。元々ホフマンという小説家が書いたものなのですが、デュバがそれを書き直したものが元になった人形です。
これを作っているドイツのザイゼンというところがあるのですが、場所はですね、見えますでしょうか。ここにチェコってありますよね、チェコからずっとこっちの方に行きまして、この辺りにあります。そのザイゼンという村があるところから、ベルク地方というのですが大森林地帯があります。
それで、歴史そのものは元々ドレスデントというのがありまして、岩塩を山の中から町の中を通って取ってくるというルートだったわけです。塩を運ぶ人たちが、あるとき川の底に銀の鉱床を発見しました。それでにわかにアメリカのゴルドラ州にあるように、銀が取れると言うことで、「わーっ」とたくさんの人が押し寄せて来るわけですけれども、今でも『銀の道』とも言われていて、銀やすずなどを鉱石を掘り出して、非常に栄えたところです。
ところが30年戦争というのがあったんですね。その後、ペストが大流行して、人口の半分以上が死んでしまうとか、ナポレオンが侵攻してきましてぼろぼろにやられてしまう、それに輪をかけて、他の国から安い鉱石が手に入るということがありまして、一気に滅んでいってしまうわけです。でも、滅んでいってしまっても人が住んでいるわけです。
それでは、住んでいる人たちはどうしたかといいますと、大鉱山地帯だった大森林地帯があるのですが、そこに生えている木を利用してお椀とかお皿とか食器などを作っていくわけです。
場所はこの辺になるわけです。ここがドレスデントですね。ここのところに町がありまして、その上の方、ここです。ここがザイゼンというところですね。東に2キロほど走ります。そこに住んでいる人たちは轆轤の技術を持っていたものですから、大森林地帯に生えている木を利用して食器を作っているわけです。
それで食いつないでいくわけですけれども、だんだんドイツという国の国力が豊かになってくるに従って、食器から今度はおもちゃづくりに入っていくわけです。今、ここの産地の中におもちゃを作っている会社がある。それだけおもちゃづくりが盛んなところであるわけです。
特にその中のザイゼンというところはですね、人口はたったの3000人なんですけれども、そのうちの2000人がおもちゃづくりに従事しているというところなんですね。この村におもちゃ屋は50件ある。それを目当てに年間ずっと世界中から人が来ています。
去年、一昨年の冬に行ったのですが、ホテルのレストランで食事をしていましたら、隣りではフランス語が聞こえてきて、他からは英語なども聞こえてきまして、世界中から観光客が来ているのがわかったんです。ただ、非常に歴史がありましてね、いいじゃないかと思われがちなんですけれども、実は昔の旧東ドイツなもんですから、10何年前まで社会主義だったのでこういうことをされてきたわけです。
どういうことをされてきたかというと、おもちゃを一所懸命つくりますよね。儲けたいと思って一生懸命作るわけですが、そのアトリエの会社などがだんだん発展してゆき、家族も10人以上になってしまうと会社の資産が没収されていってしまう、というようなシステムがあったのです。
そこで働いているおもちゃの職人達は当然それが嫌だということになってですね、絶対に家族を10人以上に増やさなかったわけです。非常に荒んだ歴史なんですね。よく、百貨店なんかにいきますと、プロペラのようなものがくるくるまわりますよね。これがザイゼンという村で作ったものなのです。村の人たちも一緒に作るわけなんですけれども、社会主義の時代には、家に飾るというのを許されなかった。
そうやって家に飾ってクリスマスを楽しむ余裕があるんだったら、全部国家に供出して外貨を獲得しようということだったのです。自分達はクリスマスを楽しみたかったのですが、自分達の家で祝うということができなかったのですね。でも、やっぱり祝いたいと思い、いろいろ考えました。
どうやったかといいますと、室内の電気を全部消してしまって部屋に厚いカーテンなどを引いてこういうものをくるくると回して、唄を歌うというのが、ザイゼンという村でのクリスマスの楽しみ方だったのですね。
ところが、東西ドイツが統合になってから花が開くわけです。どうしてかといいますと、社会主義だから彼らの技術や文化というものが残ってきたわけなんです。これがザイゼン村の近くの森林の写真です。こういう大森林地帯の木を使っておもちゃを作っているのです。
これはザイゼンで木を切りまして、製作しているときの写真です。昔の写真ではありません。つい最近の写真です。今でも木を切ってそれを生活にも使っている、ということです。
これはザイゼンのメインの町です。ここに建っているのが教会です。必ず町に建っているのが教会なんですけれども、これらは鉱山教会、つまり鉱山で発達した教会なのです。
これはクリスマスのシーズンですけれども、こうしてライトアップされていて、今ではこのようになっています。何年か前に村に行ったときに「どこから来ましたか?」と聞かれましたので、「日本から来ました」と言いましたら、「日本人は1901年に初めてこの村に来ました」とびっくりして言っていました。
そんな100年も前に日本人がこんな辺鄙な村に来たということを聞いて、「その日本人は何をしにきたのですか?」と聞きましたところ、「技術を盗みにきた。あなたはそれについてどう思いますか」と反対に訊かれました。こういうことがあったので、「例えばドイツ人にスリにあったとしても、ドイツ人全員がスリをする人ではないのですか」と話をしました。アトリエに行って、日本から来ましたと言いましたら、4ヶ所で1901年の同じ話をやられました。非常に日本人て評判が悪いんです。
どういう技術を盗みにきたのかというと、轆轤なんですね。濡れた木をそこら辺から採って来て輪切りにして、刃物をあてて使っています。何を作っていたかというと動物をなんです。これはさっき作っていたワッカなんです。切っているときは何を作っているか分からないのですが、そのワッカがバームクーヘンの形になっているのをぽんぽんぽんと割っていくと、中から牛とか豚が出てきたりします。これができるという人は世界中にたった10人しかいないそうです。そういう技術なのです。
彼らはそれらをずっと守ってきた。門外不出にして絶対に他には出さなかった。普通に住んでる人には悲惨だったんですけれども、社会主義の国だったので、うまい具合にその技術が外に流出することがなかったのです。
今、花が開き、これが現在の姿です。こちらは90年前の写真です。90年前も全く一緒、全く変わらない技術です。昔は水車で回して轆轤を引いていたらしいのですが、現在はモーターに変わったというところだけが違いで、技術は全く一緒です。
彼から聞いてみますと「それは伝統なんだ。伝統をなくしてしまったらうちの存在はない。しかし、伝統を守りながら新しいものを取りいれていく。そういうスタイルをこれからも続けていく」というのです。
社会主義国時代から今でも抱えている問題はなんですかと聞いてみると「経済です」という言い方をしていました。これが1853年のドレスデンのクリスマスマーケットで、そのザイゼンのお父さんが木で作ったおもちゃに、お母さんが色を付けて、子供達がそれを持ってドレスデンの町までおもちゃを売りましたというものです。いまから150年も前のことです。イラストですね。この人が、ザイゼンで胡桃割人形の現在のスタイルを完成させた人ということで、大変有名な方です。
これが今から90年前のおもちゃづくりのシーンですけれども、このおもちゃをちょっとみていただきたいんです。90年前のおもちゃなんですが、よく見ると、ここに「ストリートチルドレン」というような意味の言葉が書かれているのです。こういうものを90年前に作って帽子被った子供が駅伝スタイルで何かを作っているという姿です。これが90年前の姿です。90年前も今も全く同じ物をつくり、売っているのです。
先程も言いましたように、3000人の村で2000人の人がおもちゃを作っているのです。皆ちゃんとそれでご飯を食べていて、同じ町の中に50数件のおもちゃ屋があって、世界中からクリスマスのおもちゃを目当てに観光客がたくさんくるのです。
12月に入りますと、宿泊施設の部屋が取れません。それぐらいの賑わいを見せています。どうしてこんなものをやっているかといいますと、昔、ブリキのおもちゃを国外輸出するという場合、金額ではなくて重さで税金がかかったというのです。
それで、彼らはどうしたかというと、どんどんどんどんおもちゃをミニチュア化していったんですね。小さく小さくしていった。それは二つの大きなメリットがあったのです。一つは、小さくなったときに手間がかかったらどうしようかということでして、同じ手間でできる方法を考えようとしたわけです。そして、思いついたのが轆轤を使う方法なんですね。あっという間に100匹とかできてしまうんです。牛もできてしまうんです。そういう技術を開発しました。
それと、森林を保護するということです。今、どういうことをやっているかといいますと、やっぱり同じような問題を持っています。酸性雨だとか、それと、近年観光客がたくさんくるというような問題です。今まで伝統的なものをやってきたのですが、やはり人の心というのは様々でして、今たくさん観光客が来ているから今のうちに儲けてしまえという非常に荒っぽい仕事をやる人が増えてきています。そういう人たちは、やはり非常に荒っぽいものを作っているんです。
日本でもあるような観光バスガイド日帰りコースを考えて、そのお店とここで買うとまけますよというようなツアーを考えていたりします。そう悪くはならないと思いますが、この村をリードしている人たちは、物が分かる人で、この間行きましたときに、不易有効という言葉があると教えたら、帰れ帰れと怒られました。
何故こんな話をしたかといいますと、からくり人形は、一個一個手で作っていて、どうしてもコストがかかる。時間もかかる。一個が何万円という価格になります。しかし、小売店で皆さんにお買い上げいただいている人が言うのですが、「もうちょっと安ければいいなぁと思います」と言います。
ザイゼンの村に住んでいる人たちは殆ど全部が職人さんたちです。僕もものを作っていますが、決定的な性格の違いというのがありまして、僕は一個作ると嫌になるのです。ところがザイゼンにいる職人さん達というのは、同じ物を1,000個、10,000個と作っています。では、お互いが組むことはできないかと聞きました。それで、今、僕がデザインしたものを彼らが作っています。
ちょっといくつか種類があるのですが、これは第1弾で、マッチ箱にチーズの絵が書いてありまして、箱を開けるとねずみが出てきてオルゴールが鳴ります。一個0、25ユーロで売れます。私にはロイヤリティーが入ってきます。何にもしなくても儲かっちゃうっていうそういう世界です。
いろいろバリエーションがありまして一概には言えないのですが、ザイゼンでも、新しい作家さんが出てきています。非常に流行しているのですが、これは蜂蜜の絵が書いてあって中から出てくるというものなのですが、日本の総代理店は西田がやっております。向こうでは結構売れているみたいなんです。
次に今年やってみたいなと思っているのは、やはり小さなマッチ箱に入っているのですが、普通ヤジロベーというのは、両足で立って両手を広げているんですけれども、これはストロングノーズというタイトルをつけたのですが、鼻でバランスをとるというものです。これは日本で作っているものですから高くなってしまうのですが、ザイゼンに持っていくと日本の3分の1ぐらいで作ってくれます。彼らは、大量に生産するというテクニックを持っているので、お互いが組んで新しいものを作り、彼らも儲かるというシステムをとっているのです。
彼らの中で一番大きな問題というのは何かというと、実は後継者の問題なのです。そこをなんとかうまくいくようにするために、州立のおもちゃ学校があるのです。これは3年間無料で学べるんですね。おもちゃに興味のある人は来て下さいというわけなんです。日本人の女の子もいるのですが、ドイツ語も勉強してそこで3年間おもちゃに関してずっと勉強するんです。デザインから何まで学んだ後は、マイスターの称号が得られるのです。それでそこで3年間ご奉公するんです。
それが終わったらもう一度、マイスター制度を受ける試験があるんですね。その試験を受けるためにさらに学校が2年もあるんですね。それもタダでいけるわけです。そこでマイスター制度の勉強をさらに2年間やって国のマイスター制度に受かったら、社会的にはいわゆる大学の博士ぐらいの地位、称号が得られるというわけです。そういう風にそこでは後継者を育てているのです。すいません長くなってしまって。
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秋本:楽しい話、有り難うございます。やっぱり奥が深いものですねえ。辻さん、今の話を聞いてどうですか。
辻:やはり、そういう人が地域にいるというのは素晴らしいことですよね。西田さんが地域の人間でなくて、地域へ来てこういう活動を始めるというのはやっぱり新しい文化が西田さんをきっかけに生まれてくるということではないでしょうか。とてもいいことではないですか。そう思いますね。
秋本:ありがとうございます。残念ながら、もう時間が来てしまいました。この続きは明日の「飛躍するセッション」につないでいけたらと思います。それでは一言ずつ西粟倉村、東粟倉村、大原町の皆さんにメッセージをお願いしたいと思います。大廻さん、お願いします。
大廻:夢とか色々あると思うのですが、結局何が大事かというと、今の西田さんの話もそうなんですけれども、物語があるんですよね。是非、その物語を、優れたものかどうかは別として、誰しもが参加してみたくなるようなものを作っていただきたいです。3人もやればいいものができます。物語を作ろうという人が3人でてくれば、できるということです。
秋本:西田さんお願いします。
西田:僕は山の中に、会津磐梯山に28年、同じようなところをあっちこっちと行っていましたが、具体的な話は一回も聞いたことがないのですが、このままではだめだという話ばかり聞いてきました。
こういうのはもういいかげんにしたらどうかなと思っているんです。具体的にアクションをおこしていかないと、うちの村でも凄いスピードで高齢化社会が進んでくると思います。そのうち、滅びると思っているんですね。
だから、もう、お題目は置いておいて、具体的なアクションをおこしていかんと、本当に何とかしないといけないところまで来ていると思います。
秋本:はい、ありがとうございました。では、辻さんひとつまとめをお願いします。
辻:私は行政の立場に立って言いますが、省庁なんて4年で終わりだし、議員なんて4年でお終いですが、地域づくりというのは、100年計画というのは、もっと違う意味で、もっと力を合わせて何をしたらいいのか、ということを考えた行動が大事だと思います。
そのことによってですね、行政でやる地域づくりではなく、皆でやる地域づくりが地域の文化を育てるんですね。それが食っていくことにも経済にもつながって行く場合もありますし、もっと大事なことはですね、自らがとても豊かに暮らせるんですね。人間は基本的に豊かに暮らしていかなければならない。だからそういう行動をおこさなければだめだと思いますね。
行政の方の立場で言わせてもらいますと、私達の町の方で例えば山口県というのはワインの産地でして、岡山と張り合っているかもしれないですね。桃なんかも張り合っているんです。張り合っているかもしれませんけど、山梨で早川町はワインといっても知らないんですね。私の地域は。たまたま山葡萄が山にいっぱいになっている山は、これを使って山葡萄のワインを始めたわけです。
でも、まだたいしたことはないんですけれども、その農家の人たちが関心を持って動き出している。ワインなどはあまりお金にならなくても、ワイン文化なんていうことでやったら粋でいいんじゃないでしょうかね。そういうようなものが広がっていくということが大切だと思います。
あるいはですね、地域おこしの中で上流文化圏が住民に向かって街づくりの支援事業をしようとしたわけですね。住民にアイディアを公募して、Aのランクのものには10万円出そうということになりました。お金に換えちゃ申し訳ないんですが、Bのランクはですね、出したアイデアを体を張って取り組んでいくということをしてくれたら100万円の援助をしようということにしました。
このような提案をしようということです。上流圏の研究所が住民に向かって、今、情報発信を始めているわけです。これが産業と文化だと思うんです。新しい文化を創ろう。そして産業をおこしていこうという、そういう前向きな一つの姿勢だと私は思います。
しかし、農家にしてみれば、区切りは森林組合だと大変であるし、かといって、県や町でそれぞれ森林組合を存続していくというのも大変だから、県も合併して、国も合併して、という動きがあります。
この地域はどのくらい森林組合が残っているかどうか知りませんけど、そのように森林組合を合併して都会に持っていくなんてことをしたら、その地域の森林はどうなりますか。
私は森林行政というのはまさに山村を守る国の領域だと思いますね。私は国で怒られながらも、県で叱られながらも、補助金をもらわなくても、早川町では本当に歯を食いしばりながら森林組合にがんばってくれ、がんばってくれ、ということで今日までやってきました。
今、新しい人たちが森林、山に関わろうとしています。都会の人たちが森林組合に就職を始めていますね。新しい風ですよ。林業に対する新しい風だと思います。皆が山を放り出して出て行っちゃった。山を放置してしまった。地元の人たちはだめだ。
しかし、新しい人たちが、山と関わろうとしている人たちが、東京からも大阪からも、静岡からもですね、あの小さな山村の早川町の森林組合に就職を求めてきています。こういうわけだと私は思います。
地域づくりというのを行政が町長の4年間の任期でやろうとか、議員さんの4年間の任期でやろうとか、そんなケチな話ではなくて、本当の地域づくりというものをもう一度地域の人たちが見直しながら事を起こせば、例えば先ほどの西田さんのような行動を起こせばですね、そこに初めて具体的なものが生まれてきて、それが大きなメインになっていくということです。
私は山村の森林を中心とした地域の責任もありますし、このように思います。以上です。
秋本:ありがとうございました。山村にも若い人が入って来ているわけですね。地域づくりというのは、息の長いもので100年計画だと。そして何かを生み出していく力が必要。そのヒントは交流の中から生まれるというお話でございます。
私はよく山女魚の養殖と比較して考えるのですが、山女魚の場合、水温が体温なんですが、水温が上がってきますと餌を食べ、下がってくると餌を食べなくなるのです。いわゆる積算温度でコントロールする。そこで養殖効率を追求するとですね、もっと早く育てとギリギリの高温のところで精一杯やろうとすると必ず障害が起こる。温度を倍にすると半分の期間で育てられるわけですけれども、やはりその温度をどんどん落としてふ化した稚魚をじっくり時間を掛けて育てていかなければいけない。
人間の暮らしというものも、時間に追われてその効率や経済を追求してばっかりやっているとですね、だんだん歪になってくるんではないでしょうか。そういう思いを持っています。人間もやっぱり自然と共に生きていくということは、大切なものではないのかなと思うんです。源流の村でそういう暮らしの文化だとかいろいろな経済も生み出していきながら自然の中に身を置く時間をつくることが人間性としては非常に大事ではないかと思います。時間がきてしまいましたけれども、本日は、西田さん、大廻さん、辻さん、本当に参考になるお話を聞かせていただきまして、まことにありがとうございました。まとめになりませんが、皆さん方がそれぞれの思いで聞いていただいたことと思います。どうもありがとうございました。
[了]
あとがき
今号は、「全国源流のむら会議」を掲載しました。ご意見をお待ちしています。
このかわら版は、14区の皆さんに配布していますが、どなたにでもお届けできます。ご希望の方は郵送料として年会費千円を添えてお申し込みください。(治)