かわら版 『風』 
2001年11月15日号
第1巻 第9号 (通巻9号)  発行者 やまめの里 企画編集 秋本 治 五ケ瀬町鞍岡4615  電話0982-83-2326

最近のニュースから

中国のWTO加盟が承認される
 11月11日付の各新聞は一斉に中国のWTO(世界貿易機関)加盟を報じました。11日夕、カタールで開催されているWTOの閣僚会議で中国の加盟が承認されるという内容です。
 世界人口の5分の1に当る13億人余の人々が住む巨大市場の中国は、共産主義の下で関税率も高く総量規制などがあり自由貿易ができない国でした。今回のWTO加盟により世界標準の国際的な通商ルールが適用されることになり、自由貿易の国となるわけです。
 中国の農村部の収入は、2,253元、日本円で約35,000円ですから日本の10分の1の人件費です。日本の製造業はますます製造拠点を中国に移していく。農産物も栽培技術や資金を中国に投資して開発し逆輸入現象が加速されるでしょう。
 今でも、私たちの身の廻りには「メイドイン・チャイナ」と表示された中国製の安い製品が出回っていますが、今後ますます中国製品に囲まれた暮らしとなることが予想されます。
 13日のニュースでは、中国からお正月用の注連縄が福岡に陸揚げされていると伝えています。農産物もますます苦しめられそうです。日本の産業空洞化が進むことを覚悟しなければなりません。
 一方、中国も国際競争力を欠く穀物生産農家や自動車産業(自動車には100%もの関税が掛けられていた)では失業者が急増、小麦、綿花農家だけで1,038万人の失業者が出るといわれています。
 日本の林業は、前々号に書きましたように将来、中国のお金「元」の切り上げと円安の時代を待つより仕方がないかも知れません。反面、中国からの観光客が増加するかも知れません。これからも注意深く推移を見つめていく必要があります。

交付税2兆円を圧縮
 13日付の日本経済新聞は、塩川財務相が2002年度予算の概算要求額から地方交付税交付金を2兆円減額して17兆円台にする意向を固めたと報じました。小泉首相のいう国債発行30兆円枠を堅持するには、歳出の絞り込みが必要との判断からです。
 五ケ瀬町の本年度当初予算では、国からの交付税交付金が22億円あります。単純にその比率で計算しますと来年は2億2千万円以上の歳入不足となります。五ケ瀬町が将来とも自立するためには、今後このような締め付けがますます強くなることを前提にして自立のための改革に取り組まなくてはなりません。
 町村合併問題も賛成反対だけで対処できる問題ではありません。今までの延長線上でぬくぬくしていれば、まさに破綻してしまいます。人件費を切るか公共事業を切るかの選択も迫られることになります。先月号で書きました行政評価制度や事務事業評価制度の導入なども検討課題です。
 行政評価制度は、本年7月現在で全国の市町村の内、導入済みが150。試行中が140。検討中が1519となっています。この中で導入し、すべて公表しているのは74の市町村です。全国3200余の市町村からすればまだ少数派ですが早いと見るか遅いと見るか判断がせまられているということでしょう。

育林コンクールで黒木鹿雄氏入賞
 11月9日、高千穂町総合公園において第24回宮崎県育林祭が開催され、席上14区の黒木鹿雄氏が除間伐の部で入賞し表彰されました。おめでとうございます。
 育林祭は、本年で24回目を重ね林野庁長官(代理)、松形知事、緒嶋県議会議長、県森林林業活性化議員連盟会長、県林業協会長などが出席、総合公園駐車場脇にモッコクを記念植樹した後記念式典が開催されました。県知事賞の表彰者は次のとおりです。
1.除間伐の部
最優秀賞 西郷村  菊田誠志氏
優秀賞  五ケ瀬町 黒木鹿雄氏
     日南市  松浦愛子氏
優良賞  諸塚村  梅田義輝氏
     高千穂町 吉田寅重氏
     西米良村 板谷原野組合
2.育林部門
     高千穂町 工藤謙一氏
     椎葉村  山中 功氏
     西米良村 尾前幸男氏
     高岡町  原田捨男氏
     日南市  中尾貞美氏
3.林業経営部門
     椎葉村  椎葉達人氏
     北郷村  弓削訓通氏
 式典の最後は「みやざき悠久の森づくり」県民憲章を朗読して閉会しました。
県民憲章は次のとおりです。
「私たちは、
1.水や空気、そして心をきれいにする生命(いのち)の森をつくります。
2.安全で安らぎのあるくらしを守る森をつくります。
3.未来を担う子どもたちが遊び学ぶ、ふれあいの森を作ります。
4.さまざまな生き物にやさしい共生の森をつくります。
5.循環型社会をめざして、世代を越えて資源再生の森をつくります。

私たちは、みやざき悠久の森づくりに参加し、みどりの地球を未来へ贈ります。」
2001年4月8日提唱
宮崎県・社団法人宮崎県緑化推進機構

議会便り
国保委員の研修会が開催される
11月12日午後1時30分から、宮崎のサンホテルフェニックス国際会議場において国民健康保険運営協議会委員の研修会が行われました。五ケ瀬町議会からは、文教厚生委員長の甲斐啓裕氏と委員の松岡耕一氏と筆者、そして甲斐福充氏、斎家弘利氏、飯干國光氏と住民課長補佐の寺一義氏が受講しました。
 研修は、「医療保険の現状と課題」と題して宮崎県福祉保健部介護国民健康保健課長植田哲年氏の講演。続いて「医療制度改革と国保制度」と題して国際医療福祉大学教授松田鈴夫氏の講演がありました。松田氏は現在政府が取り組んでいる改革案の狙いとして医療保健の破綻回避、世代間の損得勘定の回避、など詳細にわたって述べられこれからの国保制度への影響、改革に向けた利用者の期待などわかりやすく解説されました。
 医療保険の現状は、一言でいうとまさに破綻状態です。国民の医療費は、31兆円、内老人医療費11兆円。国民健康保険が3000億円の赤字、組合健康保険が2000億円の赤字、政府管掌健康保険も3000億円の赤字で14年度に積立金が枯渇するということです。
 このため来年4月には診療報酬、薬価基準2〜3%引き下げを政府としては検討しているということです。また、来年10月からは高齢者の自己負担対象高齢者を75歳に引き上げる案や、高額医療月額負担限度額や一部負担額の引き上げなどが検討されているようです。
 面白いデータがありました。温泉を使った健康づくり事業で高齢者が健康になり医療費が低減されたということです。長野県北御牧村17.4%減、青森県新郷村9.6%減、北海道広島市8.4%減、などです。
 本町でも町病院建設計画の際、筆者は、温泉掘削の計画もあったので併せて温泉を使った医療を進めるべきだと考えて、東京で全国各地の病院を設計している某設計事務所に個人的に依頼してマスタープランを作成し、町にプレゼンテーションを試みたところですがだめでした。
 設計事務所には迷惑をかけましたが、現在の温泉の住民貢献度を思うと残念です。高千穂町立病院、蘇陽病院とも一線を画した新たな試みが採用されていたら現在の町病院のあり方がもっと変わっていたはずと思うのですが、終わったことを悔やんでも仕方ありませんですね。これからの対策の方を考えなくっちゃあ。


宮崎県民体育大会・冬季大会
 12日の国保委員研修会の日、9:00に県スキー連盟理事長に県民室に来てもらい県スポーツ振興課に同道してご挨拶に上がりました。
 用件は、先般より緒嶋県議会議長を通じてお願いしておりましたスキー大会についてです。
 現在、宮崎県では宮崎県民体育大会として町村対抗の郡大会と市郡対抗の県大会が毎年5月から6月にかけて盛大に開催されていますが、この大会に冬季大会を加えようとするものです。
 国体では、夏季大会・冬季大会とありますよね。それを県民大会でも取り入れようという狙いです。
 スポーツ振興課では、丹生進一課長補佐、笠野謙次主幹に面談して趣旨を説明し、実現に向けての取り組みをお願いしました。
 また、国保研修会終了後16:30から県総合運動公園内にある県体育協会に理事長と共に出向き、有嶋三次専務理事に面談して同様のお願いをしました。
 県では、現在新規事業の全面ストップが申し渡されているそうで下からの積み上げだけではなかなか難しくトップダウンによる働きかけが大切ということです。緒嶋議長に期待しているところですが、折を見て知事のところへも出かけるつもりです。
 町も町議会も褐ワケ瀬ハイランドの光井常務さんも支援していくということですので期待できると思います。
 尚、県には次のような文書を提出しています。
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趣 意 書

宮崎県民体育大会冬季大会の開催を要望します。

 宮崎県スキー連盟はスノースポーツを通して心身の健全な発達とスキー技術の向上を目指し、また会員相互の親睦を図ることを目的として活動しているところであります。
 現在、スキー競技部門においては、国民体育大会冬季大会や高校総体を目標に選手の養成を行い年間を通して身体を鍛錬して練習を重ね、同大会においては、十名以上の選手を出場させております。
情 報
 一方、初心者から中級者にはスキーの楽しさを指導し、スキー競技出場の機会をつくって、競技を競う楽しさを体験させておりますが、スキー競技を体験したほとんどの人からは、「又競技をしたい」「もっと滑って上達したい」という向上心が芽生えており、連盟としては、成人男女はもとより、もっと多くの中高生達にも経験させたいと考えているところです。
 現在、県内において開催している最も大きなスキー競技は、南九州四県連(熊本、大分、鹿児島、宮崎)による国体予選を兼ねた「九州四県スキー選手権大会」であります。本大会は、既に8回を数え、選手のエントリーも100名を超えております。また、近年スノーボードの利用も増加していることから、平成14年1月の九州四県スキー選手権大会においては、スノーボート競技も取り入れることとして計画を推進しているところです。
 この「九州四県スキー選手権大会」の会場となる五ヶ瀬ハイランドスキー場は、斜面が緩急に富み、片斜面やカーブ等あらゆるスキー技術を駆使できる極めて高度なアルペン競技向きコースを持っています。加えて、その雪質と眺望も素晴らしく九州唯一のアルペン競技最適スキー場として、九州四県スキー選手権大会の成果を高めているところであります。
 こうしたことから、宮崎県スキー連盟では、広く県民の皆さんにスキーに親しむ機会を積極的に創出し、スキー技術の向上と共にスキー選手を掘り起こし、選手の層が厚くなることを期待して、県内市町村全域から参加できる「宮崎県民体育大会冬季大会」の開催をご提案申し上げたいと存じます。
 冬季大会は、五ケ瀬ハイランドにおいては、アルペン、クロスカントリー、スノボード等の開催が見込まれます。また、えびの高原スケート場においては、施設を充実されてスケート、アイスホッケー等の競技が開催されますならば、選手の層も厚くなり、国体における宮崎県の成績向上にもおおいに貢献できるものと存じます。
 また、大会そのものは数時間ですが、その大会の為に年間を通して心身を鍛錬して練習する必要から、スキー場の入場者増と共に県内各地のグラススキー場等の利用も増加し、観光振興の役割も大きなものがあると存じます。
 本県のスキー連盟としましては、冬季大会の運営について充実した大会が開催できるよう更に大会運営や技術の研鑚を重ねて参る所存です。
 関係機関におかれましては、よろしくご検討賜り、冬季大会の実現に向けてご支援くださるようお願い申し上げます。
平成13年10月
宮崎県スキー連盟会長 秋本 治?
    々   理事長  藤本 潔?

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 これを受けて既に地元むらおこしグループでは、早々に「宮崎県民体育大会冬季大会を成功させよう」の看板をキジヤの道路沿いに立てられました。
 まだ、予算化されていないことや関係機関すべての根回しができていませんので全面的にニュースとして扱うことはできませんが、スキー連盟の理事会を開催して今度のスキーシーズンにプレ冬季大会の開催を決定した時点でニュースとして流すことができると思います。
 この大会が実現しますと県内44市町村対抗の大会となりますので選手は、シーズン中に少なくとも数週間の練習をしなければなりません。スキー場への入り込み増加は確実でしょう。

九州脊梁山地連携
 国保委員研修会の同日、10:30に熊本県のアウトドアショップ「山想」会長の永谷誠一氏、熊本県中小企業診断士の田代了亨氏と県民室で待ち合わせ、県企画調整部地域振興課地域計画主幹佐藤健司氏、課長岡田輝彦氏、原田大志氏に面談しました。
 用件は、九州脊梁山地県際連携についてです。霧立越はかなり有名になりましたが、熊本県側もこれに乗じて向坂山から黒峰へ、向坂山から椎矢峠へと尾根伝いを伐開し、国見岳を主峰とする向霧立山地の尾根伝いにつなぎました。これにより、五ケ瀬側からも五家荘まで尾根伝いに歩くことが可能となったわけです。
 そこで、椎葉、五ケ瀬、蘇陽、清和、矢部、泉村の関係町村で県境を越えた連携をつくり九州脊梁山地の登山ルートマップや案内板、トイレ、駐車場、避難小屋の整備、また植物等の盗採防止について協議会を設置して取り組み、脊梁山地を広く東京まで売り込もうという案です。
 祖母傾については各種協議会もあり、しっかりした登山マップもあります。県としては脊梁山地連携に強い関心を持たれ支援したいという意向がありました。しかし、これはあくまでも関連町村の協議会ができたことを想定してのものです。民間人で県境を越えて町村をまとめるというのはしんどいです。霧立越や幻の滝など椎葉村さんとの協議でさえ苦労している現実を考えるとため息がでます。しかし、やるっきゃないか。

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 秋が深まると夜神楽の季節になります。宮崎は、山間地帯から海岸まで多くの神楽があり、獅子舞を含めると200種を超え全国一の神楽が多い県となっています。このことからも宮崎は日本神話発祥の地であることが解ります。
 五ケ瀬町でも、鞍岡祇園神楽、三ヶ所神社の神楽、古戸野神社の神楽、桑野内の神楽という風に4つの種類の神楽があります。
 神楽は、地域毎に違いがありますが、神楽の違いは地域の違いでそれぞれ地域の民族性が現われています。
それでは、「鞍岡祇園神楽」をもう少し詳しく見てみましょう。

伝承の経緯
 「鞍岡祇園神楽」は、五ケ瀬町鞍岡の「祇園神社」に伝承されているお神楽です。
 古くは、地域の小集落ごとに行なわれるお祭りにも民家で舞われていました。もっとも盛んに神楽祭りが行われたのは、大石の内地区の「おてんとさん」です。
 「おてんとさん」とは、天照大神(あまてらすおおみかみ)をお祀りした「天津神社」のお祭りを言います。また、「おてんとさん」のことを「おひまち」とも言いますが、お社(やしろ)に「お籠(こも)り」して日の出を迎える「お日待ち神事」です。
 毎年旧暦10月14日の満月の前夜に行われていました。それぞれ、その年に収穫した自慢の農産物をお供えしましたのでお祭りはまるで産業祭のようでした。境内には夜店が立ち並び、月光の中で草相撲があり、夜を徹して神楽33番が舞い通され、村人や近隣の村々から集う老若男女で賑わっていました。
 満月の夜は生きとし生けるものは皆ハイテンションになるといわれますが、夜祭り特有の雰囲気がありロマン漂うお祭りでした。近年は、11月中旬から下旬にかけての土曜日の夜に行なわれるようになりました。今年は、11月24日(土)に行われます。このため月光の中の夜祭りの雰囲気はなくなりましたが、神楽保存会では、この日には昔のように33番の神楽すべてを舞い通すことにしています。
 こうしたことから考えると「鞍岡祇園神楽」は「おてんとさん神楽」ということもできます。お社に「お籠り」して日の出を迎える「お日待ち神事」の神楽は他にないものです。充分国の無形民俗文化財としての価値があるものと思われます。

神楽の舞台
 神楽の舞台となる「神庭」は、舞台の一角に幕を引いて幕の前に岩戸と榊を立てて天岩戸を定めます。天岩戸が東の座となって東西南北の方位が決まり、その四方に七五三の下がりをつけた注連縄(しめなわ)を張り巡らします。「注連引けばー、ここも高天原なるぞー、集い給え四方の神々ー。」と神楽唄にありますが、注連縄を引いたその中は神聖な場所と見なされて神庭となります。
 天岩戸は、天照大神がお隠れになった神話の場所で、古事記に「かれ是に天照大神かしこみて、天の岩戸にさしこもりましき。ここに高天原皆闇く、葦原の中ツ国悉に闇し。」と書かれているところの場面です。「八百万(やおよろず)の神々が神集いに集い給い、神儀りに儀り給いて、常世の長鳴鳥を鳴かしめ、天の真榊を根こじにこじて、笛太鼓手拍子よろしく、天の宇受賣命が伏せ桶を踏みとどろこし、小竹葉(ささば)を打ち振り神懸かりして、胸乳をかきいだし調子面白く舞い給えば、天照大神のお怒りを解き給うなり。」という神話が神楽起源とされる場所になります。

神楽の構成
 神楽は、麻苧で編んだ舞衣(まいぎぬ)、狩衣(かりぎぬ)、千早などをまとい、烏帽子(えぼうし)、天冠、毛笠などを冠り、命(みこと)づけの神面(おもて)などを着け、鉢巻や襷を掛けたりして、手には扇、鈴、太刀、鞭、御供鉢、幣などを採って舞います。所謂「採物神楽」と呼ばれる古典的な舞です。
 舞いは、東の座に向うことから始まりますが、一人舞いの場合は西の座から東の座へ、次いで南の座から北の座へと定められた足を踏みながら移ってそれぞれの座で所作を行ないます。また、二人以上で舞う舞いは、定められた足を踏みながら東の座と西の座に分かれて向かい合って所作を行い、次に南の座と北の座で向かい合い、最後に下の並び(西の座)上の並び(東の座)と並んで所作を繰り返します。このように東西南北それぞれに所作を行なうことを四方を割るといいますが、これを基本として33番の舞いが構成されています。このため演劇風な要素を取りいれる余地が少ないので、古来の形そのままを伝承されているといえます。
 神楽を舞う人のことを舞子と呼びますが、舞子は神楽を舞う時にそれぞれ神の命付(みことづけ)がなされます。すなわち、手力男の命、天照大神、須佐之男命などなど、いろいろな神の身代わりとなって舞います。命付により、舞いはその神を表現することになり、舞いの意味が深くなってきます。「神楽は、神の身代わりをなし、神を慰めるもので、礼儀を重んじ厳粛の中にもまた賑やかでなければならない」とされております。
 奏楽は、笛、太鼓、撥、手拍子(シンバル風のもの)の4人により奏します。当地の神楽は六調子が主体となります。神楽笛は、シノダケの一節を切り取って指で寸法を測りながら穴を開けてつくります。太鼓は締太鼓と呼び、山の木をくりぬいて鹿の皮をなめして貼り付けます。笛も太鼓も生きた楽器で、焼酎を吹きかけたり、卵の黄身を塗り込んだりしながら使い込んでいくわけですが、作り方のマニュアルもなく全て口伝で伝承されています。
 お神楽33番は、夜を徹して舞いながらしだいに夜明けが近づくと天岩戸準備の舞となり、朝日の昇る時刻に合わせて、天岩戸から天照大神をお連れするという構成です。太陽の象徴である天照大神は稚児が舞います。太陽は、夏に向かって天高く昇り、万物のものを育て、秋にはしだいに力尽きて低くなっていくと考えたのでしょう。太陽の力の蘇りを願うために天照大神は、未来のエネルギーを秘めた子供が舞うことにしたものと考えられます。

それでは、代表的なお神楽のいくつかを詳しく見てみましょう。

式3番(3番神楽)
1番 地神楽
 神楽始めの舞いで4人で舞います。白袴、白足袋、白衣の上に舞衣(まいぎぬ)を着け、烏帽子(えぼうし)を被り、手には扇と鈴を持ちます。
 舞衣は、麻苧で編んだ手作りのものです。当地方では、古来より麻苧が盛んに栽培され、各家庭で機織されていました。麻苧は換金作物としての他、「たなし」と呼ぶ作業着や農作業や狩猟などに必要なロープが作られ、その麻殻は茅葺き屋根の下地として利用され、囲炉裏の焚きつけに使うなど暮らしになくてはならないものでした。
 また、麻の色は神の色として今日でも棟上祝いの吹流しや、神の宿るみてぐらの「幣」に付けられて、麻苧は神聖なものとされています。現在使用している舞衣は、昭和のはじめころまでに奉納されたものです。麻苧の栽培は昭和20年代後半まで続けられました。
 命(みこと)づけは、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)、大禍津日神(おおまがつひのかみ)、神直毘神(かむなおびのかみ)、大直毘神(おおなおびのかみ)の4神です。
 八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おおまがつひのかみ)は、禍いをもつ穢れの神です。神話では、伊邪那美神(いざなみのかみ・女神)を追いかけて黄泉の国に行った伊邪那岐神(いざなぎのかみ・男神)が逃げ帰り、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊(みそぎ)をし、中ツ瀬に降りて流れに潜ってすすがれた時、洗い落とされた汚垢(けがれ)から生まれた神です。八十(やそ)とは多くの穢れを指し、大(おお)とは、大きな穢れの意です。
 神直毘神(かむなおびのかみ)、大直毘神(おおなおびのかみ)とは、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊(みそぎ)をした時、その禍(まが)を直そうとして生まれた禍(わざわい)を直す神です。
 地神楽は、このようにして穢れの神と穢れを直そうとして現われた神の舞で、神庭を清めるもので「神鎮の舞」として一番はじめに舞われます。また、打ち振る鈴の音は、神の降臨を誘うものといわれています。

2番 場神楽
 この神楽も4人舞いで、採物は、舞衣、毛笠、扇、鈴です。命づけは、大国主命(おおくにぬしのみこと) 事代主神(ことしろぬしのかみ) 少名毘古那神(すくなひこなのかみ) 建御名方神(たけみなかたのかみ)で非常にテンポの早いリズム感に満ちた舞いです。
 大国主命は皇祖神の系譜に入らない出雲神話の神で、天照大神から国土の奉還の命を受けて国譲りをしました。
 事代主神(ことしろぬしのかみ)は知恵の神で、国譲りの時、大国主神は事代主神に神意を伺わせ、その託宣によって国譲りを決定しました。
 少名毘古那神(すくなひこなのかみ)は、大国主神と共に国を経営された神。大国主の大と少名毘古那の少との関係は陰陽にも通じるといわれます。
 建御名方神(たけみなかたのかみ)は、大国主神の子で力持ちの神。神話では『建御雷神(たけみかづちのかみ)と力競べをして、建御雷神の手を掴んだ。すると建御雷神の手は氷柱に化し、次いで剣刃に変わった。そして、今度は建御雷神が建御名方神の手を握ると、その手は葦のように柔らかくなってしまった。建御名方神は恐れ驚き慄え上がって「命だけは助け給仕え。この地以外はどこへも行かない。父・大国主神と兄・事代主神の命令や意思には背きません。この豊葦原の中津国は天津神に奉ります」と申された。』とあります。

3番 地荒神
 一人舞いで、千早を着て毛笠を被り、神面を付けて鈴、扇を採って舞います。命づけは、猿田彦神(さるたひこのかみ)。
 神話では、『邇邇芸命(ににぎのみこと)が降臨した時、天之八又(あめのやちまた。八方辻の意)で高天原と下の葦原中津国を照らしている神がいた。天津神は「吾が御子の天降りする道を遮るのは誰か」と問い給えば「吾は国津神なり、猿田彦と申す。天津神の御子が天降りされると聞いたので御先導申し上げようとここまで来た」と答えた。そこで邇邇芸命(ににぎのみこと)は猿田彦神に道案内を命じた。
 鼻の長さ七咫(ななあた)、背の高さ七尺余、口尻は明るく輝り、眼は八咫鏡(やたのかがみ)のごとくして照り輝くこと酸醤(ほおづき)に似たり』とあります。このようなことから猿田彦神(さるたひこのかみ)は道案内の神といわれ、高い鼻の赤い面を付けて祭礼の神輿の先導をつとめます。

 以上の3番が、式3番と言われて祭典に舞われる神楽です。神話は、皇祖神の系譜を持つ天津神と皇祖神の系譜以外の国津神に分けられていますが、神楽では、1番で場を清めて神を鎮め、2番で国津神が登場、3番は天津神の降臨を道案内した猿田彦の舞いとなり、その後天津神が登場するように構成されています。
 国津神を縄文系の神、天津神を弥生系の神としてご覧いただければ分かり易いかと存じます。日本神話は、渡来してきた弥生人が縄文人を征服して大和国家を築いたことを伝えたと思われますが、渡来してきたことを天から降りてきたとして大和国家起源を神格化したものであることが伺え、民族学としても興味があります。

素盞鳴尊の八岐大蛇退治
 この神楽は、9番の「岩くずし」から始まり、13番「酒こし神楽」、22番「八雲舞」に象徴されています。

9番 岩くずし
 2人舞い。白衣に鉢巻を締めて襷、鈴、扇、太刀を採って舞います。この神楽は、酒こし神楽の前に舞われるもので、命づけは、須佐之男神(すさのおのかみ)と須賀八耳神(すがのやつみみのかみ)です。
 始めは、鈴と扇を持って舞い、次に襷の舞いで襷を掛け、次に刀を抜く舞い、そして抜身の刀を持って切りつけるかまけわざのような舞いに発展します。いわゆる末広がりとでもいうような舞いです。悪魔除けの舞いといわれています。
 この神楽で唱える唱儀は
1.小夜中に綾の風こそ吹き来たり、神風なればしなや神風。
2.抑々(そもそも)神子宝剣、内待所に依りて神子とは、来白天魔王の麿の尾の中にありたる物これなり。
3.抑々天神七代、地神五代と申す内、今、出雲の国、築の宮、素盞鳴尊八岐の大蛇を退治給うこれなり。
4.さあれば尾の中に一つの剣あり其の剣、大神宮に納め奉る草那伎の宝剣これなり。
5.此の剣、今尾張の国熱田神宮に納め奉る物これなり。
6.仰ぎ願くば四人の祈が静かに遊びを参らする御正儀これなり。
とありますので、素盞鳴尊が八岐の大蛇退治を表現する準備の舞いであることがわかります。

13番 酒こし神楽
 この神楽は、二人舞いで、千早と着物を着て襷を掛け、手拭いを被って、毛笠、神面を付け、手には桶、ショウケ(ざる)、杵、碗などを採って舞います。
 命づけは、足名椎神(あしなづちのかみ) と手名椎神(てなづちのかみ)です。高千穂地方では、酒こしの舞いは、伊邪那美神(いざなみのかみ・女神)と伊邪那岐神(いざなぎのかみ・男神)の国産みの舞いとされていますが当地では足名椎神と手名椎神になっています。
 神話によれば、足名椎神と手名椎神は大山津見神(おおやまつみのかみ)の子で、肥河(ひのかわ)川上の夫婦神です。足名椎神は夫、手名椎神はその妻。8人の娘があり毎年1人づつ八俣大蛇(やまたのおろち)に人身御供(ひとみごくう)を求められていました。
 ある時、須佐之男命(すさのおのみこと)が肥河(ひのかわ)を逆上っていくと足名椎神と手名椎神が娘を囲んで泣いているところへ出合いました。訳を聞けば、最後に残った櫛名田毘賣(くしなだひめ)もやがて捧げなければならないということです。そこで須佐之男命は一計を案じて、足名椎神と手名椎神に八塩折酒(やしおりのさけ)という強い一夜酒を造らせました。その酒を八つの樽に注いで八俣大蛇が出て来るのを待ちます。やがて酒好きの八俣大蛇が出てきて八つの頭を八つの樽に突っ込んで酒を飲みはじめます。
 そこで、八俣大蛇が酔ったところを見計らって須佐之男命は、剣を抜き八俣大蛇を退治しました。神話のストーリーでは、退治した八俣大蛇の体内から日本尊命(やまとたけるのみこと)の草薙の剣が出てくることになります。八俣大蛇退治の場面は22番の八雲舞にあります。
 このように神話の中で最初に酒造りのお話がでてくる場面は、この足名椎神と手名椎神ですので、鞍岡祇園神楽は神話に沿った正当な神楽と言えるかも知れません。
 当地方の神楽は演劇風要素が少なく、単調で古典的な採物神楽ですが、唯一、酒こし神楽には演劇風要素が採り入れられており、四方を割りながら楽に合わせて面白可笑しく舞うことになっています。酒を造って八俣大蛇を退治できるという喜びに満ちた舞いですが、夜神楽で深夜になると眠気を催すので座を賑やかにして目覚めを促す意味もあるということです。

22番 八雲舞
 八俣大蛇退治の舞です。命付けは、須佐之男命(すさのおのみこと)稲田毘賣神(いなだひめのかみ)足名椎神(あしなづちのかみ)手名椎神(てなづちのかみ)の4神で、舞衣、千早、毛笠、神面、鈴、扇、太刀、大幣、襷などを採って舞います。
 この神楽は、酒こし神楽についで多少演劇風な要素を持ちます。先ず、ワラ細工で八俣大蛇に見立てた蛇のつくりものを準備してからはじめます。
 足名椎神(あしなづちのかみ)手名椎神(てなづちのかみ)の舞いのなかで稲田毘賣神(いなだひめのかみ)がおどろおどろとしているところに、須佐之男命(すさのおのみこと)が登場して剣を抜いて大蛇を退治します。そして大蛇の下に隠していた草薙の剣を取り出して高く掲げる舞です。

天岩戸
 天岩戸の場面は、24番の伊勢神楽から始まり32番まで続きます。その内の代表的なものを記します。

26番 宇受賣舞
 天照大神を天岩戸からお迎えする準備の舞いで、命付けは天宇受賣命(あめのうづめのみこと)。狩衣に神面を付けて天冠を被り、背中に幣を立て、大幣と鈴を採って舞います。「笛太鼓手拍子よろしく、天の宇受賣命が伏せ桶を踏みとどろこし、小竹葉(ささば)を打ち振り神懸かりして、胸乳をかきいだし調子面白く舞い給えば、天照大神のお怒りを解き給うなり。」という神話にあるところの神楽起源の舞とされています。
 偉大な天照大神に近づきますので神の宿るみてぐらの幣も大幣という大きな幣になり、天冠を冠ります。舞は、立幣、横幣、かたげ幣(担ぐ)で、幣を主にした所作をおこし、それぞれ四方を割る舞です。
 天宇受賣命(あめのうづめのみこと)は、女性の神なので内股で足を踏み優しく舞うこととされています。

27番 柴引き
 天岩戸の前の榊を抜く舞で、命付けは手力男命(たじからおのみこと)。千早を着て襷を掛け、毛笠、神面を付け、鞭を採って舞います。鞭は、竹の棒の両端に房をつけたもので、ある時は、測量用具に見立て、ある時は、鍬などの農耕具とみなされます。手力男は力持ちの神で、力強く所作を行うには千早を着て襷を掛けます。千早は、千早ぶるという神にかかる枕詞になります。周りに悪魔がいないか見極めながら、榊に近づいて所作を行ないます。

28番 戸取り
 この神楽は、天岩戸を押し開く舞で、命付けは同じく手力男命(たじからおのみこと)です。柴引きと同じように千早を着て襷を掛け、毛笠、神面を付け、鞭を採って舞います。
 「左手(ゆんで)の扉は、日向の国の阿波岐原に投げ捨て給う。右手(めて)の扉は、戸隠し山に投げ捨て給う。」という勇壮な舞です。

29番 手力(たじから)
 同じく手力男命(たじからおのみこと)の舞ですが、手力男命の力強さを表現した舞で、天照大神に近づくため再び天冠を冠り大幣を採って、立幣、横幣、かたげ幣(担ぐ)という幣を主にした所作をおこしそれぞれ四方を割ります。いよいよ天照大神をお迎えするという喜びの舞でもあるように見えます。

30番 たたら舞、31番由布の舞、32番拝みの舞
 30番から32番までは、基本的には、別々の舞ですが、普通一般的には3番通しで舞われます。命付けは、手力男命の舞で、狩衣、毛笠、天冠、に神面を付け鈴、襷を採って舞います。
 たたら舞では、襷を手に持って舞います。天岩戸の前にかしずいて楽の調子が変わると由布の舞になり、襷を両手に掛けて舞います。これは、天照大神に対して乱暴はいたしませんという表現です。
 舞開きは、天岩戸の前にかしずいて、つぎの唄を歌うところからはじまります。
1.榊葉はやー、何時の月日に植えそめて。天の岩戸にやー、口を定むる。
2.岩戸出てやー、四方の国地も明らかに。しめくぎ縄のやー、しるしなるらん。
3.うれしさにやー、我はここにて舞遊ぶ。舞い姿ぞやー、開く天の岩戸
4.大神宮のやー、まします道に綾はえて。にしきとはえてやー、神はまします。

「岩戸を出てやー」との歌いのところで天岩戸に見立てた幕の中から天照大神をお供する舞になります。
 この時、太陽の象徴である天照大神は稚児が舞います。稚児は神面をつけ天冠を冠り両手に鏡を持って出て参ります。太陽は、夏に向かって天高く昇り、万物のものを育て、秋にはしだいに力尽きて低くなっていくと考えたのでしょう。
 太陽の力の蘇りを願うために天照大神は、未来のエネルギーを秘めた子供が舞うことにしたものと考えられます。このように天照大神を稚児が舞う神楽は他にありません。鞍岡祇園神楽の特徴です。

 こうしたお神楽は、地域の遺伝子となって日本神話を伝える仕組みが構成されているように見えます。かつて村の中心となるものはお祭でした。お祭に1日で歩いて集まれる範囲がコミュニティをつくり、村の原点が構成されました。神楽の違いは、地域のアイデンティティとなって住民のスピリッツを形成していたのです。
 かつて、熊本県側のニ瀬本神社を国土庁の地方振興アドバイザー事業で調査したことがありました。ニ瀬本神社には、ニ瀬本神楽が伝承されており、熊本県の重要無形民俗文化財に指定されております。
 ところが、ニ瀬本神社の由緒書を拝見しましたところ、ニ瀬本神楽は、桑野内の古戸野神社の神楽を学んではじめたと書いてあります。古戸野神社から譲り受けたとされる古い神楽面もありました。
 それにしても熊本側では、文化財に指定され、本家本元の古戸野神楽は町の文化財にすら指定されていません。鞍岡祇園神楽もしかりです。
 宮崎側はどうかしている。文化財に対する意識が低いと思ったものでした。

投稿寄稿

山陰の旅
鞍岡本屋敷 那須利泰
 さる八月末に東京で大学の同窓会があり上京した。帰路は、車で山陰地方の旅を楽しみながらゆっくり帰った。出来る限り日本海側の道を選んでみたが、山陰地方の日本海側近くは道路が整備されていないので運転に気を使った。どうしても近寄ることが出来ない所が多々あった。
編集後記
今回も長くなりました。皆さんからの疑問質問にもお答えします。気楽に投稿ください。
 この私設「かわら版」は14区民の皆様を対象に配布しておりますが14区以外の方にもお送りできますのでご紹介ください。郵送料として年会費千円のご負担をお願いしています。
(治)
 名所は天橋立・鳥取砂丘・出雲大社等々たくさんあるが、残念なことにそれらを結ぶ道は整備されていない。山陰高速道路の建設とかが巷で噂されているが、高速道路でなくバイパス的な道路の整備で良いと思う。
 日本海側の道が整備されていないのと対照的に中国山地には驚くほどの道路が整備されている。山陽高速道路と中国高速道路が平行して建設されているのだ。車の大部分が広島北JCで広島高速道路を経由して山陽高速道路に抜け下関に出るようだ。このため隣を走る中国高速道路は、交通量が極端に少ない。私がウィークデイに走ったせいかもしれないが、中国山脈を抜け中国高速道路を走る私の車はまるで貸切のような道路の一人旅だった。
 中国山脈を抜けるトンネルはそのどれもが全長4キロ(1里)以上のものばかりだ。このトンネルを作るためには膨大な建設費を要したことだろう。トンネルを抜ける度に税金の無駄遣いと怒る私を、血圧があがると笑われた。
 山陰地方は岩肌が多く土地がやせている。日本海から吹きつける風雪で、草木は細く曲がったものばかりで大半が松の木のようだ。その松の木が枯れてまるで紅葉を見るようであった。土地の人に聞いてみたら今年の枯れ具合は例年になくひどいとの事である。原因はわからぬが数十年を要してこれまで育った木が枯れてしまった事は誠にさびしい事であり、また風光明媚な土地柄の美観が損なわれている。
 それに引き換え我が五ヶ瀬の紅葉はなんと素晴らし眺めだろう。恵まれたこの自然環境保全に全力を傾注することの意義を痛感した山陰の旅であった。
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 那須利泰様投稿ありがとうございました。
 筆者も、伊勢湾や天草の龍ケ岳町の海岸で膨大な松枯れ現象を見ました。日本の海岸地帯は凄い松枯れです。あれは松食い虫の被害に違いありません。山全体が死の山となり不気味に感じました。
 それから中国高速道路ですが、東京の石原都知事が地方の道路建設は不要とぶったのは、この道路を都知事が走ったことからはじまったようです。「あんな無駄な道を作っといて」と中国高速道路が槍玉にあがっていましたね。
 筆者が何かの会で国の役人に「九州の道路インフラ整備について最初に九州中央山地縦貫道を建設して太平洋側と有明海側を結ぶことがなぜできなかったのか」という質問をしたところ「中国山地を見てみなさい。山陰側が取り残されたではないか」と反論されてしまいました。
 他の地域にまで悪影響を振りまく中国高速道路を我田引水した政治家はいったい誰か。まったく、責任をとってもらいたいですよね。
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