かわら版 『風』 
2001年11月1日号
第1巻 第8号 (通巻8号)  発行者 やまめの里 企画編集 秋本 治 五ケ瀬町鞍岡4615  電話0982-83-2326

最近のニュースから
10月26日付
―地方債への手当て半減。施設建設支援せず。地方に「痛み要求」―との見出しで、地方自治体が実施する公共事業の事業量に応じて交付税を配分する「事業費補正」の総務省見なおし案が25日明らかになった。と報じた。
主な柱は、
@補助事業で自治体が発行する地方債の元利償還費に対して交付税で手当する割合を現行の60〜70%から30%に半減。
A無駄な施設建設を助長すると批判が強い地域総合整備事業債(地総債)を廃止する。
などである。これらは、今のところ案のため決定されたわけではないが、いずれも地方自治体にとって苦しくなることは間違いないでしょう。

11月1日付
「いかなる市町村とも合併しない」
 福島県の矢部町議会は31日、同町が今後、市町村合併に加わる考えがないことを示す「市町村合併をしない矢部宣言」を決議した。政府が市町村合併を推進する中で、真っ向から反発した形となった。
 宣言は議員提案で、市町村合併について「小規模自治体をなくし、交付金・補助金を削減して財政再建に役立てようとする意図が明確」と指摘。「いかなる市町村とも合併しない」としている。と報じた。
 市町村合併について、腫れ物に触るように曖昧な態度の自治体が多い中で堂々と町の考えを示した矢部町議会はさすが東北人の真骨頂というところか。我が町もひるんでいてはならない。

議会便り
議員研修会が開催されました。
10月15日〜17日の3日間、新議員5名は、議員控え室において午前9時から午後5時まで、みっちりフルタイムで研修がありました。
15日 午前:財政課長、総務課長
午後:企画商工課長
16日 午前:税務課長、農林課長
午後:町立病院事務長、出納室長、
福祉課長
17日 午前:教育委員会次長、建設課長  午後:住民課長、議会事務局長 まとめ
の順に1課1時間〜2時間で本年度の予算書の説明から各課の事業内容の詳細について説明を受けました。
 連日、数字や資料との睨めっこでとても疲れましたが、大変有意義な研修会でありました。お蔭様で行政のシステムや予算、決算の流れ、その仕組み等がわかり有意義な3日間でした。
 また、各課それぞれ取り組みや説明の仕方も特長があり、各課長の姿勢等も理解できました。欲をいえば、9月議会前にこのような勉強会があったらもっと良かった。

予算編成について
 これからの新年度予算編成の流れは概ね次のとおりです。
@.11月20日前後、翌年の予算編成について財政課から各課へ説明。
これを受けて
A.12月中旬を締め切りとして各課とも新年度予算の策定、場合によっては御用納めの日までずれ込むこともある。
B.1月7日頃から各課と財政課のヒアリング。
C.2月中旬、町長査定。
D.2月下旬、決定。印刷。
E.3月、議会 予算上程。
F.5月、出納閉鎖
G.6月、議会 補正予算。
H.9月、議会 前年度決算。
I.12月、議会 補正予算。
 以上のようなプロセスで町の予算は策定され、事業の執行が行われます。この中で大切な予算の策定が11月下旬から12月中旬までの間に新年度の予算をすべてまとめてしまわなければならないので、担当課は大変忙しいことになります。
 このため、11月以前に新年度の事業については、充分煮詰めておかなければ付け刃のような予算となります。
 夏から秋にかけては住民や議会とも充分な意見交換をして新年度の予算に反映させるような取り組みをしてもらいたいものです。議会としても、出来上がった予算書を3月議会で審議するだけでは改革できません。予算策定前に議論を深め知恵やアイデアの発掘ができればいいなあと思いました。

議員交流会が蘇陽町で開催される
 10月26日(金)9時30分から蘇陽町そよ風パーク及び町体育館において椎葉村、清和村、蘇陽町、五ケ瀬町の4町村の議員により視察研修とミニバレー大会並びに懇親会がありました。
 研修会では、「変化が見えますか」という演題でそよ風パーク社長の宅間博志氏の講演。宅間氏は、荒尾出身で元ダイエーに在籍していた流通業のプロです。
 講演では「今、世の中は大きく変化している。過去に成功したから、町もいままでやれてきたから、ということでは変化に対応できない。ダイエーやマイカルも変化に対応できなかったから苦境に陥った。現在を否定することから始めなければならない。」と熱っぽく持論を展開されました。
 ミニバレー大会では、蘇陽町議会が優勝、来年の開催地は、我が五ケ瀬町ということです。懇親会では、清和村の兼瀬村長と町づくりについて随分議論でき大変有意義でした。

11月の議会日程
11月9日(金)11:00〜14:00
宮崎県育林蔡。会場高千穂町総合公園。
11月12日(月)13:30〜16:00
国民健康保険運営協議会委員研修。会場 サンホテルフェニックス国際会議場。
 この日午前中、橘地域産業研究所の田代氏、蘇陽町、清和村、外、熊本県側の皆さんと県地域振興課に陳情に出かけます。霧立山地と向霧立山地を併せた九州脊梁山地の尾根伝い歩道整備について熊本側がつながったので脊梁山系の県際町村が連携してマップをつくり、東京に売り込もうという計画です。
まちづくりのキーワード
 行政評価システム
 市町村の行政評価システムの取り組み状況は、12年12月現在で、導入済が77、試行中が94、検討中が1569市町村あります。
 特に、徳島県鴨島町、北海道の大樹町、白老町など先進的な取り組みをしている地域もあります。県レベルでは、宮城県、三重県、滋賀県などが先進県でしょうか。滋賀県のベンチマークはとてもわかりやすく現状や目標が見えて素晴らしいです。
 「しがベンチマーク」については、次のような解り易い説明がありましたので転記します。
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「ベンチマーク(bench mark)」には、もともと「測量の水準基標、または水準点。判断や判定のための基準・尺度。計測指標」といった意味があります。
 近年、企業の業務改善を進めるための経営手法や米国の諸州や自治体などにおける指標を活用した地域運営手法として「ベンチマーク」を用いることが多く見られます。
 「しがベンチマーク」は、滋賀県が目指そうとする基本的な政策の方向を明らかにし、その実現目標や現在の水準を示そうとするものです。
 これらを身近な指標を用いて数値で表すことによって、よりよい地域づくりに向けた取り組みの現状や成果、さらに目標に対してどのくらい達成できたかを一目でわかるようにし、また、他の自治体とも容易に比較できるようにしようとするものです。
 いわば、「しがベンチマーク」は、滋賀県の現状と未来を測るための「ものさし」の役割を果たすものであるといえます。
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 行政評価システムには、いろんなタイプがあるようですが、庁内、住民、第3者機関等により、政策、施策、事務事業について「PLAN(プラン)―DO(ドウ)―SEE(シィー)」つまり、「計画―実施―成果の見直し」を一定のモノサシのもとで繰り返しチェックしていくというマネジメントサイクルを確立するというものです。
 行政評価システムは、これまでのような
1.行政の減量・事務事業の廃止方向から行政の効率・事務事業の選別方向へ。
2.財源主義支出主導型から政策選択効果主導型の方向へ。
3.行政の主観的財源的基準から行政の客観的効果測定基準の方向へ。
4.管理内部の非公開独断的決定から全庁的・市民参加の公開的決定へ。
5.支出主義による行政需要充足から目標設定による市民需要充足へ。
と方向転換をはかろうとするものです。
IT時代
 行政評価システムは、住民との対話を行う一つのツールで、行政職員間の意識を共有するものであり、質の高い行政サービスの提供と効率的な行政運営を行うための手段だといわれています。
 まず見える内容に情報を整理することから始めなければならないでしょう。
 行政の事務事業のチェックは議会がその機能を果たしていますが、このような専門的高度な技術は、議会といえども数値化など一定のモノサシを作ることは不可能です。
 評価される職員には、まことに厳しい職場にもなるわけですが、それが現実です。
 行政評価システムや事務事業評価システムの導入は、わが町においても自立するためには真摯に検討しなければならない課題ではないでしょうか。
全国過疎問題シンポジウム
 10月31日、総務省の「全国過疎問題シンポジウム2001inおおいた」に出席しました。大会の趣旨は、
 「過疎地域においては、人材、産品、景観等の地域資源を十分に活用し、都市とは異なる独自の取組みを展開する一方、都市との交流と連携を一層推進するなど、地域の創意工夫による自立促進を図ることが求められている。
 このような中、起業、情報化など過疎地域の自立への新たな視点について、過疎対策に携わる全国の行政関係者、地域づくり実践者等を交えて幅広く議論し、情報交流を図ることを目的にシンポジウムを開催する。」というものです。
 参加者は、全国の行政関係者、地域づくり実践者等約1,000人。メインテーマは「自立への新たな視点」で、地域活性化研究所代表川島正英氏の基調講演「豊かな国土に内発する志を」に続き、分科会では「地域における起業と産業高度化」「共生の時代の地域づくり」「地域づくりと情報化」等について討論を行いました。
 筆者は第2分科会で「いいちこ」の焼酎でお馴染みの三和酒造会長の西太一郎氏をコーディネーターに水俣の福田農場社長の福田興次氏や「くじゅう花公園」で知られる河野忠美氏、食品流通ジャーナリストの川島佐登子氏らと議論しました。
 三和酒造は、商品アイテムたった5種類で売上500億という超優良企業です。西太一郎氏の経営哲学に感服しました。
 この大会で山梨県早川町が総務大臣賞を受賞されました。筆者も何かと早川町のお手伝いをしていたので大変嬉しく思いました。

 
連載・まちづくり講座

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10月15日号の続きです。
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農山村地域における「中間領域」の創造(その3)

■感動は連続性や多様性を生み出す基本
 「じょんのびの精神」が創りだす景観や生活文化が魅力となり、多くの人々の心を引きつける。暮らしと風景が一体となった「景観のぬくもり」、暮らしの場が小さいことの「優しさ」、自然と向かい合っている「気持ちのよさ」、地域に暮らす人の精神が真に「じょんのび」でないならば、本物の人気は長続きしない。「星霜歳月の評価に耐える」ことがこれからのまちづくりの大きな課題である。そうした意味では土地柄・人柄づくりが戦略となる。
 じょんのびに関わっているデザイナーの原研哉氏は、「来てくれ、来てくれと言うな。地域情報もどんどん出さないで上手に隠した方がいい」と話し、「情報の日陰」という秘伝を伝えた。1枚の写真で個性的な一部分だけを見せ、人の豊かな想像に任せる余地を残した情報発信が必要だ。こうした「土地柄の良さ」=情報価値が分かる人は必ず来るというのだ。
 平成7年から、こうした感性や哲学、デザインを学ぶ学習会が連続して開催された。若い人の人間性を磨くために、平成10年は先端で活躍する人を講師として招く「風の学校」を行ったが、これが未だに面白かったと好評なので復活しようとの話が出ている。11年は原点から地域を考える「源シリーズ」の講演会を開催してきた。日本の第一線で活躍する人の話ははっとさせるものがあり、目の鱗はとれ、感動が心に残る。感動は連続性と多様性を保証する基本である。
 一方で、門出和紙(高柳町)の職人・小林康生さんは、和紙を使う作家などにより、生活文化の磨き上げ方を学び、自然素材や民具を活かしたインテリアデザインのセンスや技を身につけていった。小林さんのファンは人間性素晴らしさによって集まり、新しいことに絶えず挑戦する彼を励ましている。
 高柳町は、前述の「ネスパス」という場をうまく活用して山里文化を連続的に創造していった。東京という場の使い方が上手である。じょんのびの新価値創造の波状攻撃の場となり、地域に多様性を生み出している。

■情報は人を媒介にして運ばれる
 ハードを活かすソフト、ソフトを活かすハード、この関係が生まれると地域は活性化する。じょんのびの精神を具現化している「狐の夜祭り」は、実に素朴なイベントである。型絵染めの芹沢_介先生の弟子・村田仙三さんが和紙と木で作った三角柱の提灯、それを手にして、ゆっくりと山道を歩くだけの演出はじょんのびそのものである。ラストシーンには、自分たちの山里の風景を上から見下ろす仕掛けは素晴らしい。狐は人間と自然のより良き関係を表し、風景を守ることが大切であると体全体で教えてくれるイベントである。住民の自主的なイベントであり、準備は2月間かかり、毎晩のように会合がある。
 荻ノ島地区(日本で唯一の茅葺きの環状集落)で行う厳寒の撮影会、どんどん焼きの火と豪雪に埋もれた茅葺きの風景の美しさに、懐かしさを感じて心は振るえる。幻想的な風景は雪国の生活文化から生まれてきたのものである。どちらもこれ以上演出にこると、密度、速度、経済の世界になってしまう。じょんのびな加減がいい。荻ノ島には、多くの人が訪れるにも拘わらず、2棟の茅葺き宿泊施設のほかに売店はもちろん、自動販売機すら置いていない。生活が生み出す風景がいわゆる観光地とは本質的に違った感動を呼び起こすのである。
 地域に暮らす人の人情は一番重要なメディアである。今年完成した荻ノ島の茅葺きコミュニティセンター「陽(ひかり)の楽家(らくや)」は、建築家の隈研吾さんと地元の大工・永井謙司さん、和紙職人・小林康生さんらの共同作品としてできあがった。平成12年7月に集落住民によるオープニングが行われた。これには物語がある。荻ノ島では、荒れ果て放置してある家を立て替えたいと考え、何回か会合が持たれた。「維持が大変だから茅葺きだけは止めてくれ」という地元住民の話に、隈研吾さんは茅葺き以外の地元の説明用の図面を鞄のなかに入れていた。しかし、彼は茅葺きへの思いが断ち切れないで、その図面を出さず、忍耐強く地元の住民の声に耳を傾けていた。荻ノ島の住民の口から「あの場所では茅葺きしかない。茅葺きをダメだというのでは無理というものだ。ここは茅葺きでやろう」という声があり、これで決まった。その会の中で、便利さを追って自分の茅葺きを壊したと、自己批判する人も出てきた。「個性とは何か」、「じょんのびとは何か」、これほど学習するのによい場所はなかったと思う。
 「陽の楽家」は、小林康生さんの和紙でくるまれ、建物の際まで水田で、稲が庭の草となっている。この茅葺きを舞台として使ってのイベントは雰囲気がある。家の前にある「たね(雪を溶かすための池)」に住民が腰までつかり、照明としてぼんぼりをセットし、背景の水田の稲は風にそよぎ、手前の道路にござを引き、観客席にして住民は楽しんで見ている。
 高柳町は、平成11年に第8回「美しい日本のむら景観コンテスト」で集落部門の農林大臣賞、12年4月に第7回「優秀観光地づくり賞」で自治大臣賞を受賞した。また、高知県のデザイナー梅原真さんは、「風の学校」の講師として高柳町に訪れ、「ジブンはジブン」「ジブンの町を楽しむ」など、「じょんのびを楽しむイマジネーション」を展開した。平成12年3月、彼が制作したじょんのびのポスターは、日本観光ポスターコンクールで銀賞(日本交通公社会長賞)となった。これは、米山孝さんが高柳町の暮らしの中に入り込み、昭和56年に日常の暮らしを撮った写真を地元の要望でこれを採用し、梅原さんがデザインした。一般的に観光ポスターは数ヶ月しかもたない使い捨てのものが多く、施設紹介のポスターになりがちである。じょんのびのポスターは永久保存版として制作して欲しいと依頼され、「一家に1枚、農作業している住民の笑顔が実にいい顔をしていて、山国の人はどこか違う、実にじょんのびなのである。ポスターは住民の顔を通じて、「じょんのび」を伝えようとしている。
 また、平成12年冬には、「源から学ぶ」として、詩人の宗左近さんの「じょんのびと縄文」などが開催され、夜遅くまで大雪の降りしきる中、人でいっぱいになった。高柳町発行の「じょんのびだより」は、このときに感動した大橋勝彦さんを見て、編集長の役割を渡した。彼は東京の出版社に勤めていた人で、巻頭文があこがれの宗左近さんで編集されている。新住民にもふさわしい役割を与え、町の新たな戦力とするしたたかさ。町のパンフレットは、町の写真倶楽部「ポーカス(フォーカスのぴんぼけ)」のメンバーに任せられ、コピーから写真まですべてが住民の手作りで作成された。お金を賭けずにレベルが高い仕上がりである。公共印刷物づくりが住民に解放され、規制緩和された。

■オフの地域遺伝子がオンに
 早川町での地域遺伝子の口述伝承法(2000人のホームページ)を応用し、高柳町で「じょんのびのまちづくり」の10年の歴史を検証することになった。外からの目ではなく、住民の自らの目でまちづくりを評価する手法である。その結果と2600人の町民全員アンケート(小学6年生以上)の発表会が住民と学生の共同の作業としてまとめられ、平成12年3月に住民による発表会が開かれた。じょんのびのまちづくり10年間を振り返った通知表と位置づけ、行政批判も含めて、結果のすべてを情報公開して自由に論議された。
 この会の席で、過疎に悩む高柳町高梨地区の住民は、学生が引き起こす風を受けて、「いえ」や「むら」中心的な考え方を変え始めた。地区は高齢者が多く、「自分たちの力では棚田を維持していくことが困難になってきている」と高齢者の住民が発表し、身内に後継者がいないことを嘆かずに、「全国公募をして地域を引き継いでもらいたい」とまで言い出して、みなを驚かせた。
 「むら」社会とは外に開かれない閉鎖的なことを言うが、さまざまな交流によって、年寄りの心を開き、地域で活用されることのなかった「オフになっていた地域遺伝子」がオンになり、地域の良さを継続していく「地域生命の設計図」が働きだした。未来に対してコミュニティがやる気さえ持てば、地域の歴史を引き継いでいく可能性がある。

■地域で研究する中間セクターが必要
 「中央から地方へ」というシステムだけを追求する日本社会の中では、地域行政はそれに従わざるを得ない。新しい山村社会システムの構築のためには、住民が示す理念の明確さと、共鳴するネットワークの結節拠点としての住民による中間セクターの存在が必要である。これまでの町の歴史はある意味では行政のひとり勝ちの歴史であり、住民の生活から町のあり方を眺めることはなかった。
社会学者の鶴見和子は、「種は多様であるから存続できるのであって、単一の種では持続的に存続することは不可能である」(海洋学者・ジャック・クストー)という言葉を挙げながら、「全ての社会が同じ方向をめざす近代化論の収歛概念では人類は存続できなくなる。いろいろな存在やシステムがあって互いに調整するから、一方が弱くなっても、別なものがそれを支える」、さらに、「たんに地域『を』研究するのではなく、地域『で』、また地域『から』研究することが可能な時代が、いまようやく訪れている」と述べている。(註6)
農山村を残すことは、多様さの確保と考えるべきである。しかし、地域振興の即効薬にはならない地味な研究への理解、財源の確保、首長の交代など、乗り越えるべき課題は多く、地域を掘り下げることは時間も手間もかかる。しかし、その手間なくしては、時を越える理念に基づく新しい地域創造=コミュニティの可能性はない。そして、そうした手間をかけていくシステムとして、地域の成り立ちと多様な地域遺伝子を掘り起こす機関が地域には必要である。行政は、こうした地域の掘り下げる仕事を住民組織に権限を譲り渡していくことが必要である。
また、地域住民と外部を有機的に結ぶ地域創造事業も必要で、こうした受け皿として中間セクターは役立つ。学生インターンなど若者をコミュニティで積極的に受け入れ、若者が求める生き生きしたコミュニティづくりを模索する研究機関として活用できる。外からの新しい文化の刺激により、地域の持っていた潜在的な「オフの遺伝子」をオンにさせ、新しい地域文化を作り出すこともある。
日本上流文化圏研究所とじょんのび研究所は、住民の持つ潜在的な地域遺伝子を目覚めさせる。地域仲間の信頼の集合体としての中間セクターは、地域への想いと感動と信頼のネットワークをエネルギーに、そこで暮らす人同士が、あるいは、訪れる人たちにも、豊かな気持ちでお互いの人間性を高め合い、お互いの個性を大切にする確かなコミュニティの実現を模索し始めている。
(この項終わり)
投稿寄稿
読者のK.Kさんから投稿いただきましたのでご紹介します。
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先般来、かわら版「風」をご恵送賜りありがとうございました。これまでいろいろな議会便りやミニコミ紙を見て参りましたが、こんなに面白く、かつ役に立つ読み物ははじめてです。既に、多くの友人にも廻し読みしました。私一人ではもったいないからです。
 感じたことを一言
1.毎月一回、又は定例議会程度でもよいのでは。―息長く続ける為に―
2.1〜2枚くらいで。―読む人も大変だか書く人はまだ大変―
3.将来は、写真入や新聞スクラップ添付の記事も。
4.こんな素晴らしい活動と、獲得する票が比例しないことがある。
でも、腐らない!、あせらない!、根気づよく頑張りましょう。
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K.K様、ありがとうございました。
>2.1〜2枚くらいで。―読む人も大変だか書く人はまだ大変―
そうですね。書くのは勝手に書いていますので面白いところのみ飛ばし読みしてください。あの、この文章を全部書いているのではありません。例えば、「まちづくりキーワード」にしても「まちづくり講座」にしても、今回の「IT」の記事にしてもインターネットで受け渡したファイルをこの中に流し込むだけなんですよ。
 また、書くことにより、思考の整理ができますし新しい発見もあります。自分史にもなり、なにより日記がわりです。今号も31日夕方別府から帰って来てパソコンと格闘して1日に作り上げました。
>3.将来は、写真入や新聞スクラップ添付の記事も。
はい。今でも簡単に入れ込めるのですが、問題は印刷費がかかるのでやれていません。
>4.こんな素晴らしい活動と、獲得する票が比例しないことがある。
でも、腐らない!、あせらない!、根気づよく頑張りましょう。
あっははは、まったく。票については考えたこともありませんでしたが、ホントそうかも知れませんですね。

編集後記

今回も長くなりました。先日は、有志の方(Z.S氏)から14区の皆様に配布して欲しいと、この「かわら版」を綴じるための「ファイル綴じ」を50部提供いただきました。ありがとうございました。ますます私も逃げられなくなりました。まあ、時々は文章を短くしてK.K氏のご意見のようにすることもあると思います。ご了解ください。
また、皆さんからの疑問質問にもお答えします。気楽に投稿ください。

 この私設「かわら版」は14区民の皆様を対象に配布しておりますが14区以外の方にもお送りできますのでご紹介ください。郵送料として年会費千円のご負担をお願いしています。
(治)
かわら版のお詫びと訂正
 本紙6号(10月1日号)で議会議事録の一部と批評を掲載したところ議会からお叱りを受けましたので訂正してお詫びします。
要旨
1.執行部から逆質問が出た場合は、答弁として数えない。従ってルールは、厳正に守られている。
2.常任委員会制度について批判的な意見が掲載された。議会内部の問題は、議会の中で正してしていくべきもので外に向かって言うべきことではない。議会の品位を傷ないよう言動には気を付けること。
3.破綻と言う過激な言葉には議会として問題がある。
などです。気軽にのって書きましたのでどうもすみませんでした。

 ただ、破綻と言う言葉を使った背景についてもう少し説明させてください。
 「行政評価システム」を研究されている高寄昇三氏(甲南大学経済学部教授)の論文に次のような記載があります。
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 「地域開発の過剰投資による自治体財政の破綻、公共投資による環境破壊などが、次第に歴然としてきた。市民のみならず自治体自身も、公共投資の見直しを痛感したからである。
 これまでの自治体の公共投資をリードしてきたのは、事業決定における財源主義、支出主義のみであった。公共投資のもつ経済的効果を過大評価し、マイナスの経済効果を過小評価してきた結果が、財政破綻の要因となった。
 しかも、公共投資戦略においても、拙劣であり、バブル経済がはじけると、開発型第三セクターの経営破綻によって、財政危機に見舞われる自治体が続発した。
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 このように、町づくりの議論ではよく「財政破綻」という言葉がでてきます。財政状態が今一つよく見えない我が町は、大丈夫だろうかと軽く使ってしまったのです。申し訳ありませんでした。訂正してお詫びします。