かわら版 「風」
2001年8月1日号
第1巻 第2号 (通巻2号) 発行者 やまめの里 企画編集 秋本
治 五ケ瀬町鞍岡4615
電話0982-83-2326
●滝開きの御礼
7月22日(日)に開催しました木浦渓谷の「幻の滝開き」は、80名の参加者があり大変盛況でした。また、歩道の手入れもして頂き感謝しています。ありがとうございました。
当日の模様を掲載します。
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第1回・木浦渓谷滝開き
2001年7月22日、第一回の滝開きをおこなった。当日は、椎葉村の仲塔公民館と五ケ瀬町のやまめの里にマイクロバスを配車して参加者の輸送に当った。マイクロバスはすぐに満車となり、30名ほどは各々の車でバスの後について出発した。
20台ほどの車を連ねて国見トンネルの五ケ瀬側入り口から国見峠へ向かって登り、国見峠下のヘアピンカーブから右して国有林林道に入る。急峻な崖を削り取って造られたつづらおりの林道は、車がカーブするたびにその先が見えなくなるほどで車内では悲鳴と歓声がわきあがる。
車は、林道の土手から伸びる草や蔓を掻き分けながら荒々しい岩盤の上を上下左右に車体を激しく揺らして約1時間後木浦林道の終点近くに辿りついた。ここは、白岩山(1646m)から大きく東側に突き出した尾根の上である。先月から滝の調査のために切り開いた荒削りの歩道が深い谷間に向かって降りている。車の駐車が終わって全員集合し、簡単なオリエンテーションを済ますと一斉に滝をめざして出発した。
にわかづくりに開設した歩道を80人もの人がはじめて歩く。通常30分ほどで谷に下りるはずであったが、その行列はなかなか前に進まない。急斜面に戸惑う人が多く、しんがりの人たちが神事の場所に到達したのは1時間後であった。
滝つぼの入り口には、先発隊の「霧立越の歴史と自然を考える会」のスタッフが神事の注連縄を張り、お供えものやテープカットの準備などをして用意万端整えて待っていた。
今月のメッセージ
いよいよ念願の滝開きである。椎葉の厳島神社の宮司さんが装束を整えて烏帽子を被り錫を両手に持って胸のあたりに捧げると途端に神々しくなった。人跡未踏の地で行なわれる神事の舞台は、最高の演出である。お払いの祝詞から降神の儀に次いで滝開きの祝詞が滝の音が響く森閑とした森にろうろうと奏上された。玉串の奉奠が行なわれ、椎葉村の婦人連絡協議会の前会長の那須さんが次の「滝に捧げる詞(ことば)」を読み、全員がこれを朗読した。
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滝に捧げる詞(ことば)
太古の昔より、椎葉山中奥深く、
漆黒(しっこく)の岩肌に怒涛渦巻く瀑布を造り、岩清水を集めて遊ばせる幻の滝よ。
あなたは、断崖絶壁を盾にかたくなに人間の侵入を拒み続けて、白布を引いたように美しいその姿を隠してきました。
人知れず、獣たちと戯れながら自然の営みを営々と続け、悠久の歴史を刻んだ森よ。
あなたは、清らかな水を絶え間なく流し続けて美しい滝を育み、開発という名の元に荒廃させた自然を護ってくれました。
私達はこれまで、百間トドロや白水の滝として伝説を語り継いできましたが、このたび、あなたたちに近付きたいという願いを受け入れてくれ、遂に邂逅(かいこう)することができました。
神秘的な姿で出迎えてくれたニ00一年五月十七日を私達は終生忘れることはないでしょう。
私達は、地球誕生のエネルギーを秘めて燦然(さんぜん)と輝くあなたの美しさに惹かれ、あなたと交歓することの歓びを多くの人たちに分かち合いたいと願い、本日滝開きをおこないます。
多くの人々が、この聖地を訪れ、悠久の自然が奏でるエネルギーに、心の疲れを癒し、生きる力を蘇らせることでしょう。 私達は、この自然を傷つけず、汚さず、自然と共に生きることを誓います。
願わくば、ここを訪れる人々に安全と大自然のパワーを与え給い、生きることの素晴らしさをご教示賜らんことを。
ニ00一年七月二十二日
霧立越の歴史と自然を考える会
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こうして、厳かに神事は終わった。なんだか心が晴れ晴れしたような気分である。その後、宮崎、日向、延岡、椎葉、五ケ瀬と、それぞれの地域からの参加者代表に滝開きのネームの入った滝の写真を記念品として贈呈し、滝つぼへの入り口にセットしたテープにハサミを入れて全員一斉に滝つぼへ降りた。ため息と歓声があがり、滝のしぶきを受けながら見上げる人々の顔は紅潮していた。きっと滝のパワーを全身で受け止めていたのであろう。
この滝は、滝の基底が標高1050m、滝の上部が1200mで三段構成となっている。滝つぼへ降りたその部分は三段目の滝で落差75mある。この上流にもいわゆる「白水」といわれる内の一つであろうと思われる滝がこれも三段あって黒い岩盤の上を真っ白な水流が落下している。また、下流数百mの地にも大きな滝つぼがあり、しっかりした名前をつけなければ混同して場所を特定できない。これからの課題である。
滝へのルートは、急峻な尾根伝いを辿る上級者コースで、すべての人々が気軽に行ける歩道ではない。
霧立越の歴史と自然を考える会では、これからも椎葉村の参加を呼びかけながら、正式な歩道の整備と案内板等の設置をお願いしていきたい。滝廻りコースが完成したら素晴らしい観光地になるであろう。
議会情報
7月30日、初議会のための打ち合せ会が議員控室で開催された。事務局の説明に続き、長老の米田昭午氏(新議員を含めると橋本進氏が長老であるが、8月1日以前は米田氏となる)が座長につき議長選出について議長希望者を募ったところ2名が手を上げた。候補者複数ということで1日の議会では選挙と決まった。議長も副議長も候補者以外にも投票できるということであったがこの時点で決定したようなものである。
続いて監査委員についての案件になったので遠慮なく私が手をあげた。「商工会の監事も長くやっていたし、数字を読むには自信がある」と訴えたが、これは、座長の米田昭午氏がやるという。町政の機密を扱う役なので新議員では無理とあっさり断られた。
議長にしても監査委員にしても議論百出するものと思っていたが、どうも事前の根回しがあったのか以外とあっさり決定されて拍子抜けしたものである。
常任委員の構成は、各議員の希望を書いて封をし、議長選出の後、これを開いて参考にしながら議長が指名するということである。
8月1日午前10時から初議会が開かれた。まず、議会事務局から仮議長として議員最長老の橋本進氏(77)に指名があり、橋本進議員が議長席に着き開会を宣言した。
次は議長選挙だ。新議員の甲斐求議員と坂本亀十議員が選挙立会人に指名され無記名投票が行なわれた。議長候補は2名が立候補したので2人への投票となった。投票の結果、増永宗弘議員(60)が議長に選ばれた。
正式な議長が誕生したので仮議長は、新議長に議長席を交代し、議員の議席の指定を行なった。前列左から右へ順に当選回数と年齢の若い順に並べられ、1番興梠春男議員(47)2番が私、3番甲斐求議員(64)、4番坂本亀十議員(66)、5番橋本進議員(77)というふうに決められた。
続いて議長から議事録署名者の指名があり、興梠春男議員と私が指名された。その後、副議長選挙が無記名投票で行なわれ、立候補していた松岡耕一議員が副議長に選任された。
続いて議会運営委員及び常任委員の選任ということになり、議長、副議長、が別室で案をつくり、それぞれの常任委員に振り分けて指名した。これを受けてそれぞれの常任委員は、別室で委員長、副委員長を選出した。結果、次のような議会構成となった。
議長 増永宗弘(三ヶ所/3期)
副議長 松岡耕一(鞍岡/3期)
総務常任委員会
委員長 後藤桂治(桑野内/3期)
副委員長 甲斐 学(三ヶ所/2期)
委員 増永宗弘(三ヶ所/3期)
岡本康定(鞍岡/5期)
橋本進(三ヶ所/1期)
農林・建設常任委員会
委員長 白滝増男(鞍岡/2期)
副委員長 後藤貴人(三ヶ所/3期)
委員 坂本亀十(三ヶ所/1期)
甲斐 求(桑野内/1期)
興梠春男(桑野内/1期)
文教・更正常任委員会
委員長 甲斐啓裕(三ヶ所/2期)
副委員長 秋本 治(鞍岡/1期)
委員 松岡耕一(鞍岡/3期)
委員 米田昭午(三ヶ所/3期)
議会運営委員会
委員長 岡本廉定(鞍岡/5期)
副委員長 後藤貴人(三ヶ所/3期)
委員 後藤桂治(桑野内/3期)
白滝増男(鞍岡/2期)
甲斐啓裕(三ヶ所/2期)
※本会議は9月に開催されます。それまで委員会活動を続けて本会議に備えなければなりません。皆さんのご意見をお待ちしています。お気軽にご連絡ください。
鵜の目鷹の目
始めての議会、それも役員構成や組織を決める議会を体験した。
議場は不思議な空間である。責任の重い神聖な場所ではあるが、今の議場は少なくとも活発に論戦を戦うための場所ではないようだ。静かに言葉を選び、議事録(録音)をつくるためのセレモニーを行なう場所と見た。まるでお通夜のようだ。
「只今から選挙を行ないます。議場の扉を閉じてください。」事務局は議場入り口の扉にカギをかける。「投票が終了しました。扉を開いてください。」で扉のカギを開ける。というふうにマニュアルに沿って進行していく。誰も外にはいないし乱入の恐れは100%ない。
議長や委員長が決まる。だれも拍手しない。新議長や委員長が挨拶をする。誰も拍手しない。議長が退場する。誰も拍手しない。議場から出て「どうして拍手しないのですか。」と先輩議員氏に尋ねると神聖な場所で静粛にしなければならないからだという。これでは全く盛り上りに欠けるではないか。議論するには、精神状態を高めなければならない。そのためには、良い発言に対しては大いに拍手が必要だろう。ある議員は「拍手は、執行部に対して圧力をかけることになる。」ともいった。結構ではないか。
次の議会からは、大いに拍手を送りたいと思う。「あんたが拍手すれば私たちも拍手するよ」と、ある先輩議員は言った。拍手は議場のテンションを高める作用がある筈である。拍手がいけないとはどの条例にも書いていない。
もう一つ不思議な光景がある。議場に入る際には鞄の持ちこみもできない。そして靴を脱いでスリッパに履き替えなければならないのだ。これも「神聖な場所だからですか。」と尋ねたら靴を脱いで叩かれると靴が武器になるという。開いた口が塞がらない。
これまで、先進町村の議場を幾度も視察したが、町のむらおこしグループの人々が勝手に議場に入りこみ見学者に説明していた。靴を脱いで議場に入るのは今回が始めての経験である。
議場は議論をする場所の筈である。身じまいを正し精神を集中させなければ責任を持った論争はできない。靴を脱ぐと精神状態はリラックスしてくる。集中力も散漫になるのではないか。真摯に議論するにはキチンと身じまいを正して靴も履いていた方が緊張感があって良いと思う。第一面倒である。
その夜、懇親会があった。新議員5人を代表して挨拶をするように命じられた。私は、議場での拍手や靴のことを挨拶の中で話した。拍手があった。
随筆 連載シリーズ- 2
(前号の続き)
〜 都市と農村の交流 消費者と生産者の新たな共生 〜
北海道自治研修センター 中島興世
地産地消の意味
地産地消というのは、地域で採れたものを、その地域の中で、食べたり、加工に利用すること。地域で採れた物だから、とても新鮮だ。採れたてを食べることは、とても幸せなことで、同じ水、風土で育った物は互いに相性が良いということもある。
「身土不二」という言葉もあるけれど、体と土は分けることができない、人間も所詮は自然の一部にすぎないのだ。「四里以内で食を取れ」ともいう。消費する場所が遠いと、どうしても鮮度が落ちるし、出来立ての味を損なってしまう。それに、自分の地域のものが一番自分の舌に合っていておいしいというふうに感じるものなのだ。栄養分が壊れずにたっぷり詰まっていて、健康にも良い。
生物はすべてごく身近なものを食べて生きてきた。日本人も自分の身のまわりにあるものを食べてきて、身体の構造も日本にあるものを食べるように都合良くできている。繊維質の多い物を食べてきたから欧米人より腸が長い。急激に肉食に変化すると、大腸がん増えたり、いろんな病気が出てくる。
だから、地域内でできた新鮮な物が身近にあって、いつもそれを口にしながら生活できるのは、とてもぜいたくなことで、そして誇りのある生活だといえる。大量生産、大量輸入、大量消費、大量廃棄の社会システムは大きな転期を迎えているのだが、私たちの価値観、考え方が問われているのだ。
広がる地産地消
この地産地消の考えは急速に北海道で広がりつつある。私は1997年2月23日の北海道新聞に、「北海道独自のライフスタイルを」のテーマで、3つの道民運動を起こそうという趣旨の投稿をした。これは私たちのグループ(恵庭市役所まちづくり研究会)の地域での活動テーマが、北海道全体にも当てはまると考えて書いたものだ。
3つの道民運動とは次のようなものだ。1つは川とのふれあいを大切にする運動、2つは美しい景観、美しい北海道をつくる運動、そして3番目に「食べ物は地産地消で!」ということ。北海道の比較優位の条件を生かした、身近な資源を生かした豊かなライフスタイルの構築を目指そうというものだ。小さな記事だが、地産地消には、とても大きな反響があった。
北海道庁の反応は驚くほどだった。実に迅速な行動だった。地産地消を進めるということで、年度途中ではあるが、道産農畜産物の愛食運動を大々的に展開するということになった。
知事は熱弁を振るう。「その土地で採れたものは、その土地で賞味する」「近くの者が喜べば、遠くの者が来る」。北海道の目指す構造改革は「徹底的に道産品にこだわること」という。
北海道自治政策研修センターの研究テーマにも地産地消が取り上げられた。昨年の4月に『地産地消の発展を目指して』という研究報告書がまとまった。報告書が出来たことが新聞で報道されると、電話が鳴り止まず、作った1700部はたちまちにして出てしまった。道民の関心の高さを証明するものであろう。
道内各地で多様に地産地消が論じられている。異業種交流会のテーマが「地場の農産物を、地元で食べることが基本ではないか」であったりする。消費者の集まりでも地産地消が論議される。環境を考える集会でも食卓から環境を考えようと地産地消がテーマにされる。
過疎と地産地消
地産地消を主張すると、次の疑問が出される。「札幌に近く、市内にも多くの消費者を抱えている恵庭では良いかもしれないけれども、過疎の町ではうまくいかない」と。
その時に私は次のような例を出す。札幌の生花店の社長がこう言っている。「切り花の生産地は、競争が激しくて、栄枯盛衰を繰り返している。その中にあっても着実に伸びている生産地がある。そうした生産地には共通の特徴がある」と言う。そしてその共通の特徴とは「花の消費量の多いまちだ」という。
地域の人が花について高い見識をもっていて、その町の人達がこの花は良い花だと評価すると、外へ出しても売れる。その地域の中で消費が生産を引っ張っている町が生産地として着実に伸びていく。
これに反して市場の方ばかり見ている生産地は、伸びるときは伸びるのだが、必ずといって良いほど落とし穴に落ちる。切り花の生産量は膨大だから、地元の消費はごくわずかな量でしかない。しかしそのわずかな地場消費を大切にして、身近な消費者の反応を見ながら生産していくことが大切なのだということをその社長は指摘しているのだ。
このことは花について言っているのだが、他の農産物についても言える、とても大切なことだ。地元に愛されない農業に未来はないということだろう。地元の人がおいしいと言ってくれるものを外へ出すことが基本だ。市場を見ているだけでは、リスクがあるのだ、危険なのだということだろう。
地産地消の壁
地産地消は理念として分かりやすいけれども、具体的な実践はとても難しい。
「地産地消は良く分かった。しかし地元のものを買おうと思ってもどこにも売っていないではないか」と言われる。採れた物は市場に出荷され地元に残らない。この問題にどう挑戦するのか。これが次の問題になる。
農家経済を支えているのは市場流通である。小売りの主流は量販店だから、量・ロットが揃わないと市場では勝負にならない。だから農家は少品種で大量の作付けをする。収穫時には大量の作物が出来て、アルバイトまで雇って必死に働く。だから、わずかな地場消費にかまっていることはできないということになる。
また農家戸数の減少と高齢化ということがある。恵庭でいうと、現在の農家戸数は530戸。この10年で209戸の農家が減っている。平均年齢は60歳を越えているし、農家の後継者として戻って来るのは1年にせいぜい1人か2人。だから、これから10年で間違いなく200戸以上の農家がまた減少する。ただでさえ地場消費に対応する余裕がないのに、更に農家戸数の減少と高齢化が追い打ちをかける。
ではどうすれば良いのだろう。キ−ワ−ドは消費者の参加だ。「田舎倶楽部」は、そのささやかな試みのひとつである。
田舎倶楽部
田舎倶楽部は、「酒トラスト」という運動をベースに考えた仕組みだ。酒トラストは、良心的で、良い酒を作っている酒蔵を支える仕組みのこと。昔気質で良いお酒を作っている酒蔵に限って、流通の変化に乗り遅れたりする。またこの業界も、杜氏の高齢化など農業と似た構造的な問題も抱えている。酒蔵を店じまいしようかといったことも出てくる。そこでその酒蔵のファンが集まってお金を出し合って基金を作る。その基金で「樽」を買い込み、酒蔵を支えようという運動である。
1人1万円で300から500万円程度集める。一番大きなトラストは1,000万円を超えるものもあるという。酒の内容は、トラストのメンバーと蔵元、杜氏、蔵人で話し合って設計する。メンバーは好みの酒が確実に手に入り、酒米づくりの農家と酒蔵は、顧客がはじめから決まっているので、販売先を心配せずに、代金回収の心配もなく、思い切って腕を振るえる。新酒ができると新酒祭りをして、マスコミに情報発信したりする。また会員が口コミで、ここのお酒は美味しいよ、と宣伝していく。こうして酒づくりを支えていくのが酒トラスト。とても合理的で、良くできた、面白いシステムといえる。
酒トラストの農業版、野菜版をやろうというのが、田舎倶楽部の発想である。例えばスイカを10ア−ル35万円で作って下さいとか、じゃがいもや、かぼちゃを10ア−ル20万円で作って下さいとお願いして、仲間を集め、春にお金を払ってしまう。
冷害や水害で収穫できなくても、お金は返して頂かない。生産に伴うリスクは消費者が負担する。草取りなど、手伝う事があればボランティアで手伝いましょう。配達はしないので取りに行く。収穫作業には可能な限り参加する。生産者の負担を軽減しよう、生産者サイドに足場を置いた生産者と消費者の交流の仕組みを作ろうということなのだ。
栽培しているスイカは自根のスイカだ。店で売っているスイカは夕顔に接ぎ木している。昔のスイカはおいしかったという方がいるが、それは主に接ぎ木をしていない、自根のスイカであったことによる。夕顔に接ぎ木をすることでつる割れ病という連作障害には強くなるが、根の吸肥力が違うからスイカ本来の風味を損なうことになる。自根スイカのさわやかな甘さはスイカ好きにはたまらない魅力だ。
例えば市場に出ている大根の多くは60日の促成栽培。肥料を多く施した畑で作る。これを輪切りにして水の中に入れると浮いてしまう。しかし肥料を減らして、本来の生育期間である70日間かけて育てると、水に沈むことになる。私たちは消費者が一歩生産者に近づくことによって、市場流通する野菜とは違う本物のこだわりの野菜にありつくことができるのではないかとも考えている。
田舎倶楽部は今年で4年経過した。恵庭だけではなく、南幌、江別、北村に広がっている。南幌田舎倶楽部は、南幌産で元気を出そうパーティ、地産地消の講演会、シンポジウム、野菜のガレージセールなどこのところ活発な活動をしている。北村田舎倶楽部のスイカの作付け面積は30aを超えた。
試行錯誤の連続で、順調にいっているとはとても言えない。収穫が天候にどれほど左右されるものなのか改めて思い知らされた。しかし継続は力だ。楽しく続けていきたい。
昨年「遺伝子組換食品いらない!キャンペーン」の呼びかけで、大豆畑トラスト運動が始まった。消費者が1口(33u)3千円〜4千円を出して大豆畑のオーナーになり、農家が栽培する。消費者は、草取りや収穫作業、農家が教えるみそや納豆、豆腐作り教室などにも参加できる。
道東の消費者グループは小麦畑トラストを準備中だ。地元で作った小麦でパンを作ろうという運動だ。
農業トラストは21世紀における消費者と生産者の新しい提携関係である。農業トラストはまだ小さい運動だが、市民の関心と共感を集め、多彩な活動が展開され、我が国の食と農に新たな息吹きを呼び起こすものと期待している。
都市と農村の交流
都市と農村との交流や消費者と生産者の交流の必要性が強調されている。しかし強調される割にはうまく進んでいない。なぜ進まないのだろう。その原因は、消費者と生産者との交流といい、農村と都市との交流といい、それは専ら農村側の、生産者側の課題であるいうふうに意識しているからではないか。それは間違いだ。都市側や消費者側の課題なのだと主張したい。「消費者は神様」の考えを捨て、生産者に消費者への奉仕を求めるのではなく、消費者が生産者を支えることを考えるべきなのだ。
アメリカのCSA
消費者が生産者を支えるという考え方は特別なものではなかった。恵庭の消費者や生産者を中心に23人で、昨年2月アメリカのカリフォルニアに出かけた。CSA(Community
Supported Agriculture=地域が支える農業)という市民運動を視察するためだ。
CSAがアメリカで急速に広がってきている。なぜか。アメリカは大規模企業的経営の農業が主流の農業大国だ。数千ヘクタールの広大な農地を抱えて農業を営んでいる。しかし、他方で家族経営の小さな農家が、結構ある。だが市場で競争すると、価格競争力で小規模農業は敗れる。撤退して農地の所有権が大規模企業的経営の農家に移ると、農地の姿が一転するという。それまで多様な野菜を作っていた畑が、単品の大量生産の畑になる。全部大豆、全部とうもろこしになる。そしてそこでは、大量の化学物質を投入する近代科学農法が行われる。そうした事態に危機感を抱き、小規模な農家を支えようとするのだ。
CSAは消費者が農家から前払いで直接農産物を買い取る。消費者は農家とともに恵みとリスクを分かち合う。市場で価格が高騰しても追加の支払はない。水害などで受け取る農産物が少なくなる可能性もある。
収入が保証されるので、生産者は市場の動向を気にせずに生産に取り組める。消費者は安全で新鮮な野菜を手ごろな価格で継続的に手に入れることができる。野菜は会員がピック・アップ・ポイントまで取りに行く。個別の配達はない。
農作業を手伝う義務はないが、親子で農作業を体験するのは歓迎される。会員は農場で様々なパーティを企画する。農業を通して互いに求め合う関係を築きながらCSAを運営していく。
安全な農産物を求める日本の産直運動は、遠隔輸送もいとわない。一方、CSAは地域にこだわり、地域内での農産物の流通を目指している。消費者と生産者が協力して地域の農業と環境を守りながら、豊かなコミュニティを取り戻そうという試みだ。
私たちが訪問したアウァ・ファーム(http://www.permaculture-institute.org/ourfarm/index.htm)というCSA農場は1.5haの耕地面積に過ぎないが、45種類の作物を作っている。作物によっては10種類ほどの品種を作付けしているので200種のバラエティに富んだ畑だ。多品種少量生産がCSA農場の共通の特色だ。300人ほどの会員がいて、平均的な農家の3軒分の収入を上げているという。
ファーマーズ・マーケット
ファーマーズ・マーケットも視察した。ファーマーズ・マ−ケットというと、日本人の感覚では、農家がやっているマーケットと考えがちだ。しかし、アメリカでは少し違っていた。マーケットの運営主体は消費者グループであったり、環境保護グループであったりするケースが多い。
消費者が運営主体で農家の人に働きかける。ファーマーズ・マーケットに大規模農業は来ないから,これも小規模な家族農業を支えるシステムだ。消費者が中心となっていることに感銘を受けた。
大規模大量遠隔流通システムが我が国全体を覆っている。昔あった小規模な地域内流通システム、夕市や朝市、小さな地場市場は失われてしまった。しかし、失われただけに逆に小規模な地域内流通にはチャンスがあると考えることができる。生産者と消費者が力を合わせて復活させる道を見つけていきたいものだ。
新規就農者
私は昨年3月末まで、恵庭市の農政課長だった。札幌に近いこともあるのだろう。有機農業に取り組み、消費者へ安全で、おいしい農産物を直接届けたい。そうした夢を抱いて農業実習に励む若者が多く来た。
しかし、既存の農家でも経営が大変な時代に、すべてを新たに購入して始めなければならない新規参入者には経営の見通しが立たにくい。何人もの若者が農業への夢に破れ、北海道を去った。なすすべもなく見送るばかりであった。
カリフォルニア大学デービス校とサンタ・クルス校にCSA農場を訪ねた。そこで学ぶ若者は必ず就農できるとの強い確信を持っているように感じられた。野菜の作り方とともに消費者を組織する方法も実地に学んでいた。CSA農場の半分は新しく農業を始めた人で、農家がCSAをやるというより、新しい人が理想を求めて農業に参入してくるのだという。小規模でも成り立つ農業は、若者に農業参入への道を開くことになる。日本でもそうした道を開かねばならない。
新たな展開
編集後記
今回は、ボリュームが多く二部構成になりました。連載ものがいくつにも分断されると読みづらいと思ったからです。これからも最新情報を掲載しますのでご期待ください。
この私設「かわら版」は14区民の皆様を対象に配布しておりますが、14区以外の方にも送って欲しい方があればお送りできますので紹介ください。年会費1000円で郵送いたします。
連日暑い日が続きます。ご自愛くださいますように。(治)
田舎倶楽部の仲間の農家、アメリカのCSAを視察した農家が中心になって、今年「消費者との交流を深めたい農家集団=アグリ企画」を恵庭で旗揚げした。4軒の農家の小さな集まりだ。
新聞折り込みで市民に「収穫体験しませんか」と呼びかけた。アスパラ、スィートコーン、枝豆、長ねぎ、ミニトマト、トマト、メロンなどだ。私は、早速朝7時にアスパラを採りに行った。そのアスパラをバター炒めで朝に食べ、夜帰って来るとゆでたアスパラが冷蔵庫で待っている。ぜいたくこのうえない。市民の大きな反響を呼んだ。
ところが、こうした事がたたかれるという現実がある。次の文章は消費者に農家支援を訴えたものだ。
"アグリ企画"支援のお願い
6月2日の新聞折り込みをご覧いただいたでしょうか。恵庭市内の農家4軒の方が、市民に「地元の野菜をご自分で収穫し、とれたてのおいしさを味わってみませんか!」と呼びかけたものです。生産者と消費者の交流を願っていた私たちは、生産者の呼びかけに深く共感したものでした。
ところがこの企画のために、メロン生産農家である○○○○さんはメロンを自分で売らなければならないことになったのです。恵庭のメロンは本州の大消費地に売ることに決まっている。市民に売られては量を確保できなくなり困るということです。
どのような理由があるにせよ、恵庭で採れたものを地元に提供しては困るというのは、納得できません。地元の消費者を大切にしてくれる農家は私たちの宝です。支援に立ち上がりましょう。
"消費者との交流を深めたい農家集団=アグリ企画"を支えたい。そのために下記により会議を行います。ご多忙のところ、また急なお願いで恐縮に存じますが、ご参集いただきますよう、ご案内申し上げます。
メロンは出荷を目前にした状態にあった。時間の余裕はなかった。水曜日に40枚はがきを出して、金曜日の夜に集まるようお願いした。42人も集まり、熱気があふれた。3,000枚のチラシを持っていってもらった。注文が相次ぎ、見事に完売した。
またひとつ、消費者と生産者の信頼関係は深まった。近い将来、恵庭は消費者と生産者の交流が最も盛んなまちとして、全国の注目を浴びることになるだろう。(終)
次号からも地域づくりをテーマにした論文を掲載します。ご意見をお寄せください。
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