パソコン奮闘記
―引越しの記録―
2003.12.22
秋本 治
近年は雑用で夜明けの明星を目にしながら事務所に入ることが多くなった。平成15年11月14日も早朝から朝霧たなびく養魚場に出かけた。魚を狙っている鳥たちを追い払いながらデスクのパソコンでe-mailのアイコンをクリックする。やがて画面が現れデータを読むモデムの小さなランプがチカチカと点滅始める。今日はどんなメールが届いているのやら、見知らぬ人からの便り、懐かしい友人からのメール、メーリングリストの情報、etc。ドキドキするような気分で画面を見つめる。この画面は、自分と世の中をつなぐ窓口なのだ。今や手紙を書くことは無くなった。毎日数十通の情報が届き、そしてその日を境にして何かが変わっていく。
その日も、大きな変化を予感させるmailが届いていた。インターネットのサーバーを借用して長年お世話なっていた県ソフトウェアーセンターから「プロバイダ事業終了に関するお知らせ」と題して「諸般の事情によりプロバイダ事業を終了することになりました。」とある。
―>ええっ、本当ですか。寝耳に水の心境です。気軽にご相談もできていたのにどうしたのですか。とmailを打ったら、―>秋本さまには弊社プロバイダ事業開始当初より大変お世話になっており、この時期にプロバイダ事業を終了することになりましたことを大変申し訳なく思っております。長い間のご利用本当にありがとうございました。と返事がきた。「さあ、大変」。この日を境に私の暮しが狂うことになった。
先ず、市内通話で接続できるプロバイダーのアクセスポイントをネットで探す。県や市町村が出資して設立したソフトウェアーセンターは、政策的に高千穂にもアクセスポイントが設置されていてそれを利用していたが、当時は、他にはアクセスポイントを持つプロバイダーは無かった。時代は急速に山村にも変化をもたらしたものだ。調べてみると多くのアクセスポイントが高千穂にも設置されていた。だが、ADSLの時代というのにここは1時代遅れのISDN回線しか利用できない情報の過疎地帯である。先ずは、最もメジャーなNTT系列のOCNのアクセスポイントをネットで申し込んだ。
webは本当に便利である。画面上で申し込み、カード決済でカード番号を入力すればすぐ使えるようになるのだ。次は、レンタルサーバーである。OCNにもレンタルサーバーはあるけれども、どうせなら安くて多機能を備えた専門業者の方がいいと、東京のアイルホスティグサーバーに申し込んだ。ついでにyamame.co.jpというドメイン名も取得した。次はメーリングリストである。メーリングリストは、アイルにもセットで用意されているが、登録メンバー数に上限がある。そこで、メーリングリストサーバーの専門業者、大坂のカームコンピュータにwebで検索して申し込んだ。次は、フレッツ回線の申し込みである。利用が多いのでつなぎっぱなしの契約の方が安上がりになる。
こうしてアクセスポイント、ホスティングサーバー、メーリングリストサーバーと接続にこぎ付けたが、パソコン内には、旧ソフトウェアーセンターのアクセスポイントIDとパスワード、サーバーへのIDとパスワード、メールのアカウントとパスワード、FTPのIDとパンワード。それに、新しいOCNのIDとパスワード、アイルサーバーへのIDとパスワード、ウェブマネージャーのIDとパスワード、サーバー管理のパスワード、ホスティングFTPのIDとパスワード、メールのアカウントとパスワード。そして、メーリングリストのカームコンピュータへのパスワードと管理IDとパスワード。こうしていろんな記号がワーッと混在した。ホテル事業のパソコンは複数台のため一本のフレッツISDN回線でLUNによる接続を試みた。ここにも、多くのID、アカウント、パスワードが次々と新しく振り当てられてくる。ここで、混乱が生じてしまったのである。
回線接続ウィザードも以前のIDやパスワードを上書きしてしまう。幾つもの接続ルートが混在しているのでどれがどれかわからなくなってしまった。最初に接続していたところも接続不能となった。ウェブマネージャーのパスワードにもログインできない。webで提供されるマニュアルは不親切だ。どの画面にどのID、アカウント、パスワードを入力するのか抽象的にしか書いてないのだ。サーバーにログインできない。数日間はここで右往左往する日が続く。そして、やっと解決できた。パソコンのセキュリティによってログインできない現象が起るということもわかった。これは、セキュリティのレベルを下げることで解決したのである。こんなことは、マニュアルには書いてない。四苦八苦の上すべての接続が正常になったころプロバイターからの契約書とマニュアルが届いた。「こんなもん遅いわい」。
全体では100MBを超える旧ホームページを不要な部分を削除、50MB程度にして新たなサーバーに移動する。何だか、自分も新居に引越しするような気分である。メーリングリストの方も新サーバーが認識してくれるようになったのでリストを登録し稼動始めた。
ところがである。年間22,800円、100MBまでというサーバーは、引越しの最後のファイルを受け付けない。ページの容量は53MBというのに。問い合せてみると、なんとホームページ領域は50MBで残りは、メール領域となっており、システム上領域の調整はできないという。「なんだっ」と、詳しくガイドのページを開いてみるとホントそう小さく書いてある。「どおりで安いと思った」。仕方ないのでワンランク上の250MB、年間58,800円のサーバーに変更契約し、再び最初から面倒な設定を始めなければならなくなった。
で、ようやく再度の引越しを完了し、ホームページを開いてテストをする。と、ここでまた問題が起った。新居のホスティグサーバーはホームページのcgiを認識してくれないのだ。サーバー側に用意されているのは、様式にしたがって記入していけばcgiに変換されるというシステムでその様式には合わない。サーバー側に問合せたところ、お客様独自のcgiはお客様独自で設定してくださいとメールは冷たい。ソフトウェアーセンターならこんな時一緒になって解決してくれるのにと恨んでも仕方ない。「困った」。これが1人立ちの厳しさというものだと自分に言い聞かせるより他はない。
ホテルの予約も、ヤマメの贈答の注文も、一番大事な季節に機能しなくなった。慌てて古いcgiの本、まだwindows95時代の参考書を本棚から埃を吹き払いながら取り出して読んでみる。もともとcgiは暗号の組み合わせみたいなもので、そのパズル的なものを理解できないまま、何とか画面からアクセスできるように繋ぎ合わせた珍プログラムである。時間にせかされるし、cgiの言語は難解だし、メモパットで開けば文字化けするし、大文字小文字やブランクまでキッチリ識別してエラー表示になるし、どこが悪いのか見当もつかない。頭が真っ白になってしまった。Javaも難解だがcgiも素人には難解である。すらすらとプログラムを書けるわけがない。参考書を見ながらのつぎはぎだらけのプログラムだ。
落ちついてと自分に言い聞かせながら、先ずは一番単純なファイルから何度もFTPで移し変え、場所を変更してテストを繰りかえす。これに数日かかってしまった。そしてぇー動いた。ブラウザから入力したのが返ってきたのだ。飛びあがるほど嬉しかった。とっかかりが掴めると後は応用だ。応用には割りと強いのが取り柄だ。まだまだ、見直さなければならない部分がいっぱいある。でも、取り敢えず正常化したのだ。
ホテルのLUNにも苦労した。接続機器をNTTの116で注文したら、業者が来て機器を取りつけた。ところがこの業者は、電話回線以外のことは全く分らないとそのまま帰ってしまった。LUNケーブルは熊本へ出かけて買ってきて接続したがもう一方のパソコンにはUSBポートしかない、そして、接続機器には、LUNの位置にUSBポートはない。ほとほとに困っていると、NTTから技術者が派遣されてきた。技術者は「もう一方のパソコンにLUNカードをつけてください。」という。冗談じゃない、ここは超田舎だ。LUNカードを買いに行くには熊本市まで出かけなければ手に入らないのだ。そこで、「何とかUSBポートで接続できるようになりませんか」とお願いした。さすが、技術者である。やってみましょうとマニュアルを長時間かかって読みながら夕方までにUSBポートに対応できるよう接続機器の設定内容を変更してくれた。おじさん、ありがとう!。
事務所の回りは、ギフトの受注や出荷準備でてんやわんやである。年末の忙しい時に俺は一体何をやっているのだろう。忙しく立ち動いているスタッフを横目に、こんな時期に廃止するというソフトウェアーセンターを恨み、1日中パソコンにかじりついている自分に自己嫌悪が走る。それでも、すべてのパソコンが正常に動くようになった時は世の中が薔薇色に見えた。
この山奥には技術者がいない。指導してくれる人がいないのですべて自分で設定し、プログラムも書かなければならない。または、とてつもない大きなお金を出して都市のエンジニアに委託するかしかないのだ。自治体のあちこちでホームページ作成するため数百万の委託料を計上しているのを見て驚く。それでも完成したページは、パンフレットでしかない場合が多い。
長い時間を掛けてようやく新居に移転が完了した。この喜びと苦闘の記録を残したいと再びパソコンの前に座り込んでいる自分がいた。一皮むけたかなあ。
そして記憶を辿り、ホームページを最初に作成した時の以下の記録を懐かしく読み返している。
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念願のホームページ開設
―パソコンとの格闘記録―
1997.9.23 やまめの里 秋本 治
1997年1月、これまで使っていたパソコン「FACOM
9450」と、そのOS「APCS」に別れを告げて"windows"との新たな出会いがはじまりました。思い起こせば、昭和55年から「APCS」上のEPOACEで経理システムを構築してから長年の付き合いがあった「FACOM9450」です。"windows"で最初に戸惑ったのは画面のアイコンとマウスでした。APCS上の画面とは概念がまったく違うわけですから・・・。ずいぶんファイルも壊し、またインストールしなおす作業を繰り返しました。
1月も終わる頃になり、ようやく操作が少し理解できるようになったので、"Windows"上で動くACEWINのソフトで経理システムの構築をはじめました。ちっぽけな零細企業ですが、ホテル部門から、養魚場の生産部門、加工部門、販売部門はじめ、部門が7つも8つもありますので単純にはいきません。時には徹夜をしながら、また伝票発行のちょっとした部分でプリントがうまくかみ合わず、何日も何日も先に進まずマニュアルの不親切さに嘆きながら、悪戦苦闘の連続でした。
ブナ林の新緑がまぶしい5月になり、ようやく苦労して構築した経理システムを事務所の経理のパソコンに移行しました。事務所の素直な美人揃い?の女性たちは、おっかなびっくりでACEWINとの新たな格闘がはじまりました。早朝、経理のパソコンを覗くと電源が入ったままです。貼り紙がしてあり、紙には「画面がどこかへ逃げてしまい、終了できなくなりました」と書いてあります。
何度も走らせてテストを繰り返し、完成したと思ったシステムが、経理の皆さんの高度な?キー操作により、動かなくなったり、へんてこなデータが出てしまったり、ファイルを破壊したりで、事務所に顔を出すと待ち構えたように「社長、また変になりました。直してください」。
こうして悪戦苦闘したシステムも、今では事務所の皆さんのリズミカルな素晴らしい指の動きで次々とデータが入力され、加工され、合計残高試算表、各種補助簿、売掛管理、請求書発行などなどいち早く作成してくれるようにりました。今では「よくもまあ、あんな不便なパソコンを使っていたなあ」と埃を被り事務所の片隅に放置してある古いパソコンを見やって「そろそろ処分しなければ」と感慨ひとしおです。
そして今、インターネットと向き合っていますが、これもなかなかのつわものです。福岡の写真家、岡友幸さんの助太刀で昨日どうにかホームページがたちあがりました。これから、いろいろと情報を出していきますのでよろしくお願いいたします。