市町村の広域合併を考える

2001年3月21日  秋本 治

 総務省は、市町村合併特例法が2005年3月で期限切れになることから各都道府県に対し「市町村合併推進要綱」の作成を要請していたが、その内容が明らかになったと18日付の毎日新聞は報じた。また、2001年の早い時期に市町村合併支援本部を設け合併推進のための「合併重点支援地域」を指定するよう19日に都道府県に通知したもようである。
 
全国3227の市町村を1000程度に再編するという「平成の大合併」で、いよいよ「広域合併」について政府の動きが本格化してきた。今回の「市町村合併推進要綱」で作成された30都県の合併パターンを見ると、削減率の最も高い鳥取県が39の市町村を最大3〜12とし、削減率が最も低い宮崎県では、44市町村を20とする案になっている。

 「市町村合併」については、与党3党が「1000程度に合併」と公約しており、野党は、民主党が全国10程度の州とし1000程度の市に再編する「分権連邦国家」構想を示し、自由党は「300程度に段階的に統合」することを提案している。

 熊本県選出の野田毅さんが自治大臣の時、全国3200余の自治体を1000程度に広域合併をめざすというニュースが流れた。この時「本気なんだろうか」「地域の状況を理解できているのだろうか」と疑ったものである。

 都市周辺の町村において今でも都市部におんぶにだっこされているようなところはよしとして、都市部から遠く離れた広大な面積を持つ山村まで更に大きく併合させれば、磨けば光るものをもっている地域まで一挙に村を崩壊させることになるのではないだろうかと思ったものである。

 思い出すのは、昭和31年のわが村の合併劇である。当時、私は中学生であったが村中が合併の問題で大揺れに揺れたのを記憶している。町史を開いても当時の合併劇が記録されている。「合併は経済的、交通的、文化的あらゆる面から不合理なり」として誰一人賛成した住民はいなかったもようである。議会も県が押しつけた不合理な合併として自治庁(当時)まで全員出向いたが、ついに押しきられて泣く泣く合併に賛同したと苦渋の決断の記録がある。今でも合併しない方が良かったとの声が聞えるほどである。


失われた地域文化とコミュニティー
 市町村が広域化することは、自治体のコスト削減だけを見た場合には確かに短期的には有効な手段ではあるが、安直にコスト削減のために広域化するという議論の前に「今の自治体が自立するためのシナリオをどうするか」ということを分権と合わせてもっと議論がなされなければいけないような気がする。

 どうしても自立できない地域であれば仕方ないが、自立できるように知恵を絞って必死になって経営するのを国が支援するのが本筋ではないだろうか。3割自治といわれるように、これまであまりにも国におんぶされ過ぎて無駄なことがどんどん膨れ上がっているのが現状で、このまま広域化してもまた同じようになってしまうだろう。

 今、住民参加の長期ビジョン策定とかで「地域の宝探し」と称してワークショップなどで住民に夢を持たせる手法をとっているところもあるが、国の交付金は財政悪化のためにやがて底をついてしまうだろう。町村が自立できなければ夢はすべて絵に描いた餅に過ぎないのだ。

 過去を振り返り昭和30〜31年の町村合併の功罪を検証してみることも必要ではないだろうか。当時の町村合併で消えたのは村まつりと地域のコミュニティーやくらしの作法など地域固有の生活文化がある。

 かつて村々には氏神様が鎮座する鎮守の森があり、そこで行なわれるおまつりが地域コミュニティーの核となっていた。役場も学校も団体や企業もおまつりの日には村をあげて老若男女が集まり、古来よりその土地に伝承されてきたお神輿を担いだり、神楽や民俗踊り、古武術、民話、民謡など地域に伝承された郷土芸能の腕を磨いて演じ競い合う姿があった。それは地域住民のスピリッツとなっていた。地域のアイデンティティが光っていたのである。

 また、お盆や正月など季節毎にその地域ならではの行事が行なわれ、窮屈ではあったが地域ぐるみの相互扶助の精神が培われていた。子供の非行も住民が皆で指導監督して育てるような気風があった。そうしたものが、広域合併によりしだいに消えていったことは否定できないのである。

 地域コミュニティーにおいて行政の役割は大きい。行政は、固有名詞は使わないとする平等の原則みたいな思考があり、広域化するにつれ特定地域のアイデンティティは消滅する。出身地の違う職員ともなれば、特定地域のおまつりのご祭神がどぅだとか、どのような郷土芸能が行なわれているかも判らない。おらの村が無くなり、地域コミュニティーは崩壊した。そして、合併後一回り大きい公民館活動などのコミュニティーが醸成されたが、それは過去と比較すると特定の人のものであり形式上のものといわざるを得ない。


地域のアイデンティティーの喪失
 宮崎は神話の国として知られ、各地に神話を伝えるお神楽が数多く残されている。県観光協会の調査資料によると獅子舞いまで含めると県内44市町村の中に220もあった。かつて村の中心となるものはお祭りで、お祭りに1日で歩いて集まれる範囲が村を構成した。これがコミュニティの原点である。神楽は村毎に命づけや楽の調子、舞い方それぞれに違うものになった。神楽の違いは、地域のアイデンティティでこれが住民のスピリッツを形成していたと思われる。

 車社会となり交通の便がよくなったので集落の単位は更に広がった。このため1町村にもいくつもの神楽が違う形で残されたのである。

 地域づくりにおいて早稲田大学の後藤春彦教授は「地域の遺伝子」とか「地霊」という言葉をよく使われる。数千年、数百年続いた独特の気候風土や歴史などは、地域に固有のエネルギーを秘めさせているのである。その土地のもつアイデンティティーは地域活性化のために非常に大切なファクターだ。地域づくりは地域の特性をよい方に生かすことでもある。

 わが町について書くのは恐縮であるが、理解していただくための例示としてお許し頂きたい。わが町には3つの地域に3つの顔がある。地区の大字が3つあり、1つの大字地区はまとまりのよい地域とされ、町のいろいろな役職も次は誰と暗黙の了解があるほどだ。生協と手を組んで低農薬有機栽培による農産物の出荷を地域ぐるみで行なっている。この地区は、周囲を山に囲まれた小さな盆地で、国の民俗無形文化財に指定された400年の伝統を持つ荒踊りがある。この踊りは、100名ほどの人数で構成される盛大なおまつりであるが、踊りの役は世襲制というのが特長で、踊り手の鷹匠の役は代々その家、猿の道化役はどこの家、火縄筒撃ちはどの家などと世襲していくことになっている。つまり、むらをあげてのおまつりに「私はお猿の役をやりたい」と思ってもできないのである。こうした歴史の背景が住民の意識にも反映されているように思う。

 もう一つの地区は、大阿蘇展望の里と呼び雄大なロケーションを持った台地にある。ここは高台のため水がないので畑作が発達し、お茶の産地になっている。近年は、夕日が美しいことから夕日の里としてグリーンツーリズムの取り組みも始まった。ここは人情が厚く辛抱強い性格を持った地域である。反面、道路や水道などの生活基盤のインフラ整備が最も遅れた地域で、飲料水が不足しても道路が悪くても耐え忍んでいる。お上意識が強く、上にあんまりものを言わない。実に控えめな人柄が多い。台地の正面には阿蘇外輪山の雄大な平原が広がりその向うに霞む阿蘇や根子岳を眺めていれば、小さなことにくよくよしなさんなという性格が長い歴史の間にできたのだろう。

 3つ目の地区は、峻険な山に囲まれた厳しい谷川沿いの村である。ここは、下流が熊本県ということもあり生活経済圏は熊本に属し肥後人気質の地域である。言葉も荒く肥後弁に近い、お上にも遠慮無くものを言う。私は、この地区の住民であるが隣町が熊本県であるため熊本側の商工会やライオンズクラブにも属している。ここでの総会は、驚くほど活発な意見が交される。もう、収拾がつかなくなるのではと思うほどの激論があり、頃合を見て長老が強引に押さえこんで決着をつける。

 宮崎側の総会では、発言者を事前に決めておかなければ意見が出ないまましゃんしゃんで終わってしまうほどおとなしいのである。これも地形的なものが長い年月の間に人の性格を形成したものであろう。このように、コミュニティーはその土地の風土や歴史によってさまざまなアイデンティティを形成してきた。

 広域合併のモデルプランによると平家落人の里として知られる秘境椎葉村と百済王族が落ち延びたとされる百済の里づくりの南郷村、牧水生誕の地として村づくりをしている東郷村、宇納間地蔵の北郷村、しいたけの里諸塚村、西郷村などが示されている。これらの村が同じ町になったら村の顔は無くなって地域のアイデンティティーは消滅する。合併してよかったと言える地域は、役場のできる中核地域だけである。

 最良のコミュニティは、前述の神楽のように住む人の顔が見える地域で構成されるのが一番よい。それが車社会となって交通の便がよくなり今日では相当広域化してきている。これ以上山村が広域化すると住民が一同に集まるためには、40kmも50kmも車で出かけなければならない地域が増えるだろう。行ったこともない知らない土地や人の町になる。それを知ろうとして端から端に出かけるとなると80kmも100kmも走らなければ見えない町だ。これでは町づくりも何もできない。行政は単なる手続き上の役所と化することだろう。


消える地域ブランド
 あらゆる生物は、長い年月の間に進化し最も競争に強い環境と条件のよい地域でそれぞれ固有の種を定着させてきた。広大な山村地域にはいろんな生態系が絡まっている。人々はその固有の自然の中でそれらを利活用しながら、くらしの作法や思想を身に付けて生活文化を築いてきた。私たちが九州ブナ帯文化圏を標榜するのもそうしたことからである。

 生物は、地形や水、土壌、気候が変われば大きく変化する。日本は広大な平原ではなくて山岳地帯の多い垂直分布に特長がある。標高100mの地域と700mの地域では植生が全く異なる。当然ながら農林産物において人工的に生産した商品も品質が異なる。花卉では色の鮮やかさが異なり、野菜や果物、キノコ類も品質が異なる。米も品質に特長がある。地域のブランドとは、名前だけではなくそうした品質の違いがブランドでなければならない。机上で安易に行政区を線引き合すれば、磨けば光るブランドも消えてしまうだろう。行政区は一つのブランドでなければならないからだ。

 今回の広域合併論は、例えば恐縮だが休猟区や禁猟区の設定に似ている。山村では、野生生物の種を保存するため数年おきに数百ヘクタールづつの禁猟区が各地に設定されている。設定区域が人工林地でも面積を確保できればよしとされるようである。人工林地を外したら設定区域の面積がとれなくなるからかも知れないが、野生生物は人工林地では餌が無く生きていけないのである。現地の実情を無視して机上で広域合併の線引きを行なえばこのような矛盾が起こるのである。


コスト意識の広域合併論は国を滅ぼす
 国の都合で磨けば光る地域まで強引に併合させられれば、山村は一挙に崩壊するだろう。山村が崩壊して無人の山になれば森林が荒れ果てて国土が崩壊する。今、日本では2,500万ヘクタールの森林を10万人弱の高齢者で管理しているという。今でも絶対数が足りないのだ。

 宮崎県では国土保全奨励制度などの条例を制定してこれらの人々に手厚くしようとの取り組みが行なわれている。これは大切なことだけれどもそれでも決して増えることにはならず、減少の一途を辿っている。もはや時間の問題でもあるのだ。人工林は、最後まで人の手を入れないと森林は崩壊してしまう。戦後拡大造林政策で壮大な実験を繰り広げてきた山地が人の住まない山地に変わると森林災害が起こり下流域も襲われる。

 今、山村は木の伐採や除伐のできる森林技能者も少なくなった。国有林を管理する森林管理署もこの夏には統合して森林地帯には事務所すらなくなるのである。森林管理署は100kmも離れた無人の山地の森林をどのように管理するのだろうか。

 奥山に人が住まなくなり林道の利用もなくなれば路面には草木が育ち、ずたずたに壊れて通行すらできない。山地に人が住んで手入れをして始めて森林管理が可能となるのだ。この山に昔は人が住んでいたらしいと墓石の残骸をみるようなことになってはならないが、それが現実問題として起こりうるのだ。

 森林の保全でこれから大切なことは、都市部からどうやって森林を管理できる10万人を見つけるかということになる。このためには、森林地帯に誇りを持った人々が住んでいて都市と山村の交流を盛んにし、橋渡しをしなければならないだろう。森林の拠点となる村を維持していかなくてはならない。山村の末端切捨てにつながるコスト意識ばかりの大胆な広域合併論は国を滅ぼすことになる。

 私は今不思議に思うことがある。かつて国の拡大造林政策で、当時の森林学者や生態学者、植物学者などは今日のような単一森林を形成することが生態系に及ぼす影響や水源の枯渇、森林災害の発生など予測できなかったのだろうかと。否、正直な学者の意見は通らなかったのではないだろうか。

 最近行なわれる市町村合併をテーマにした行政主導によるフォーラムのニュースを見ると広域合併に対して何もデメリットはない。すべて正しいのだ講師の先生が訴えている。これは、まさに現地の実情を知らない机上論で拡大造林政策時のように御用聞き学者ではないかとさえ思えるのである。

 マスコミもそうである。一部には、広域合併は国の押し付けになりはしないかと危惧する記事も見られるが概ね批判的な論評はないようだ。かつて拡大造林政策の時も大いに緑化しましょうと政策を持ち上げておいて、水源の枯渇や林地災害、生態系の変化が現われはじめたらめちゃくちゃに叩くという構図である。マスコミも現地の実情を知らないで勝手に解釈しているにすぎない。


自立のシナリオに向かって
 国は、前回の合併も特例交付金をちらつかせて合併を迫ったようである。今回も同様に特例交付金が用意されている。褒美に飴を用意するだけで本当に地方は自立できるのだろうか。褒美の飴は食べてしまえばそれでおしまいである。本当に合併によって自立できるのであれば特例交付金は必要ないはずである。

 市町村の単独事業が一挙に増えたのは、起債を認められるようになってからである。それまでのメニュー方式補助事業の縛りから放たれてバブルに踊って我も我もと全国画一的な空前の単独事業を始めた。結果、自治体は空前の公債費を抱えて青息吐息である。国の財政危機を招いたのは国の責任だ。飴を用意して将来の支出を削ろうとするのは実にけしからんことではないか。

 一番大切なことは、郡の機能を見直すことではないかと思う。今でもゴミ焼却や高齢者の福祉や葬祭については隣接町村で一部事務組合を組織したりして合理的に行なっているではないか。これを更に効率よくするには、郡の機能を見直すことだ。今日では、郡は県の出先機関があるだけで、県の重複したような仕事をしている面が多い。これを町村も参加して県と合同で仕事ができるようなシステムを構築するための議論をしてはどうだろうか。

 国県市町村の行政事務の効率化は電子化オンライン化ネットワーク化により人件費を半分以下に減らすこともできるのではないか。町村も合併して職員がいなくなる思いをすれば地域を護るために思い切って職員の数も削減できるのではないか。

 町村の財源も発想を変えてみてはどうだろうか。町のアイデンティティを磨いて都市と山村の交流を広め、きれいな河川をつくり魚類を増殖して多くの釣り客を呼びこみ入渓税を取ったり、郷土芸能を磨いて神話の世界へ誘い参観税を取ったり、スキー場や交流施設を整備して入場税を取ったり、放置された森林からは森林税を取って整備したりすることも乱暴な話しだが専門的に詰めていけば可能性はあるのではないだろうか。そしてコミュニティビジネスを育て、起業を促し新たな文化と産業を創造する住民主導型の新たな地方自治を確立することではないだろうか。今こそ自治体は未来永劫に自立できる地域主体の経営学、経済学に取り組み、自立のためのシナリオを書かなければならないような気がする。地域の文化は日本の文化である。日本の文化を守るために。