環境省がエコ・ツーリズムモデル地域を募集
3月26日(金) 宮崎から朝帰りで国道10号線を北上し、美々津から東郷町に入っていた時、カーラジオのニュースを聞いて踊りあがった。環境省がエコ・ツーリズムモデル地域を募集しているというのである。だが、ニュースは途切れ途切れでとうとう聞こえなくなってしまった。東郷に入ると電波が届かなくなるのである。
東郷町を通るのは、神話街道と呼ばれる南郷村から椎葉に越える中山トンネルが開通したことによる。このルートはまだ未改良区間も多いが美々津から東郷町へ入って南郷村、椎葉村、五ケ瀬町へと辿れば宮崎への最短コースとなったのである。3時間で宮崎へ行ける。
朝帰りとは、前日、宮崎で社団法人宮崎県物産センターの理事会があり、その夜は、「ツーリズム行こ会」のメンバーと懇親会を開く事にして泊りがけで出かけていた。メンバーの浜野公立大教授が学長に就任されたので就任祝いを、といいながらのびのびになっていたからである。10名ほど集り話題が尽きなくてあっという間に深夜11時になってしまった。ラジオニュースはその翌朝、帰宅中のことである。
ラジオのNHKニュースは「環境省はエコ・ツーリズムモデル地域を全国から8箇所指定してエコ・ツーリズムの実現をめざす」というアナウンサーの声が途切れ途切れに聞こえたのだ。おっ、これはいいぞ。直感的にビビッと感じるものがあった。
早速、車をとめて携帯電話で町役場の企画商工課のI課長さんに詳しく聞こうと電話する。呼び出し音が聞こえ、ほどなく「企画商工課です」の声が聞こえた。と、その直後、携帯電話は切れてしまった。画面を見ると電波が圏外と表示されている。ラジオが入らなくなると携帯電話も同様なケースが多い。東郷町から奥はほとんど電波が届かないのだ。
着宅すると早速町の企画商工課に電話を入れた。課長さんに「環境省がエコ・ツーリズムモデル地域を公募しているらしいが」と問い合せたところ「そのような情報はありません。尚、県の方に問い合せてみましょう。」ということで返事待ちになった。
その後、インターネットで環境省のホームページを開いてみた。すると、詳しい資料がPDFファイルで30ページにわたって掲載されている。それによると、全国から8箇所選定し、3ヵ年計画でエコ・ツーリズム推進協議会を作って研修、推進体制の構築、資源調査、ルールの策定、プログラムの開発、人材の育成、エコ・ツァーの実施、プログラムの販売促進を行なうというものである。公募期間は、3月15日から4月16日。事業費は、毎年1千万を上限として3ヵ年国が補助、同額を受け皿の都道府県または市町村等が負担するというものである。
3月29日(月曜日) 月曜日になったので、環境省のホームページのことを伝えようと朝、企画商工課へ電話を入れたが、あいにく課長さんは会議中とのこと。そこで、企画商工課のアドレスへ次のようなmailを打った。
>おはようございます。
>秋本 治です。いつもお世話様になります。
>先日課長さんにお願いしました、環境省のエコ・ツァーモデル
>事業の地域指定概要について、下記URLにありますのでご
>覧下さい。
>募集は3月15日から4月16日までとなっておりますので急がない
>といけません。よろしくお願いします。
>http://www.env.go.jp/council/22eco/y220-02/mat_01.pdf
続いて再び電話を入れ、電話口の女性に「今mailを入れたので、そのmailに記載してあるアドレスを開いてプリントし、課長さんが会議が終ったらすぐ渡してください。」とお願いした。
そして、数日後再び課長さんに電話を入れた。「先日の環境省のエコ・ツーリズムはどうでしょうか」と。
返ってきた返事は「この事業は大きな事業なので、やるとすると担当者もつけなければいけないし、予算の裏付も必要です。今は、人員もいないし、予算もまったくないのでできません」とのこと。
それにしても残念だ。
町がだめなら県があるさ
4月2日(金曜日) 霧立山地のブナ林は椎葉村にまだがっている。2町村に及ぶ事業は県の事業でもある。思い立って県庁へ出向いた。環境省のルートからすれば県では環境保健部かと思われたが、この四月から県では林務部と環境保健部が統合されて森林環境部となっていた。この日は組織変更2日目である。
担当がどこにあるか分らないので、先ず、なじみの観光・リゾート課へ出向き、持参した環境省の資料を取り出してN課長さんに説明した。すると課長さんも「なかなかいい事業だ。これからこのような取り組みが必要だ。このようなことは知事の方針でもある。やりたいねえ。もっと詳しく調べてみたい。」と積極的な意見である。
そこにK課長補佐が加わった。この課には、T補佐がいらしたが、今度の移動で新設の森林環境課の補佐になられたという。替わりに見えたK補佐は、なじみのある方であった。行動力のある補佐だ。「やあ、今度はこちらですか、よろしく」。挨拶もそこそこに再び協議を始めた。課長から手招きされて担当のO氏も加わった。「惜しいなあ、もっと早く分っていれば。予算がない。何か方法はないか」。「観光リゾート基金は使えないか」などと協議が行われている時に今度は、前の県議長のOさんがひょっこり現れた。「やあ、丁度いいところへ見えられた。是非一緒に聞いてください」。テーブルに役者が揃った。真剣に説明すると「なかなかいいじゃないか、詳しく調査して前向きに検討するように」とO県議は課長さん方に向っておっしゃって席を立たれた。「応募に入選してから補正を組む手もある」。
結論は、担当課は森林環境課になるので森林環境課がどう考えるかだということになった。そこで、T補佐の移動先である森林環境課に出向いた。T氏も積極性のある方である。説明すると「とてもいい事業だ、この情報は初めて知った。さっそく調べて見る。それにしてももっと早く分っていれば予算が組めたのになあ」と残念そうである。お願いして階段を上っていると環境保健部にいらしたMさんに出会った。「やあ、今度はこちらですか」と、挨拶もそこそこに立ち話で環境省の事業を説明した。すると「なかなかいい事業ではないか、これから打合せをするので午後2時頃来てください。時間はありますか。」とおっしゃる。「ええ、その為だけに来ていますので時間は問題ありません」と告げて、他の用事や昼食を済ませ、午後2時に再びM氏の部屋へ向った。M氏は丁度部屋から出たところで再び森林環境課へ案内されて自然保護係長のK氏を紹介された。
K氏は「この事業は、私どもが担当になると思いますが、私どもは、ツーリズムについてまったくノウハウがありません。できれば観光・リゾート課で対応してもらいたいと考えている。資料は、観光・リゾート課のO氏にわたしてあります」という。「それでは、観光・リゾート課と協議して正式に窓口を決めてください」とお願いしてその日は帰路についた。反応はとても良かった。可能性は高いと思うと嬉しくなった。
4月6日(火曜日) 応募の締め切りはあと10日となった。時間がない。観光・リゾート課の担当O氏にアポイントを入れて再び県庁を訪れた。応募の際に必要となりそうな資料や最近作成した霧立山地の植物、九州脊梁山地のCDや「九州遺産霧立越」のTV番組のテープなどを取り揃えて持参しO氏に説明、更にお願いする。
O氏は「これだけの資料があればいいと思う。環境省とも連絡をとってみます。」と期待どおりの反応があった。先ずは、応募申請書の作成を私なりに作ってO氏にmailすることにして、急ぎ帰宅した。それにしても30分に満たない時間のために往復7時間の行程はつらいなあ。そう思いつつ帰ってから下記のような申請書の作成を始めた。
エコ・ツーリズム事業推進計画書
1.応募の目的 本県は、照葉樹林帯から九州脊梁山地のブナ帯まで多様な植生による自然豊かな地域である。特に九州中央山地国定公園の北部にあたる霧立山地は、ブナを主体とした天然林が多く残されており、カモシカ、アナグマ、ヤマネなどの稀少動物やクマタカ、ホシガラスなどの稀少鳥類が生息している。
この一帯は、地層が南部秩父累帯に属する古生層のため、植物の植生も非常に豊かで、県指定の天然記念物「白岩山石灰岩峰植物群落地」や「森林生物遺伝子資源保存林」などがある。また、霧立山地の山麓に当る椎葉村や五ケ瀬町では、日本のブナ帯の南限地として森と人とのかかわりの中で固有の生活慣習や民話、民俗芸能などが多く伝承されている。
こうした豊かな自然や民俗文化等を内包する地域をエコ・ツーリズムモデル地域として、本県の地域資源の発掘や保護と共に専門的知見に基づいたエコ・ツーリズムを確立し、もって自然への理解や地域の振興と併せて国民の保健保養に資することを目的とする。
2.エコ・ツーリズム推進の現状と課題
霧立山地の山麓に位置する五ケ瀬町と椎葉村の住民が、平成7年5月より「霧立越の歴史と自然を考える会」(※別添「霧立越の歴史と自然を考える会」会員名簿参照)を組織し、霧立山地の尾根伝いに残る歴史の古道「霧立越」の整備を行いながらエコ・ツァー「霧立越トレッキング」や「闇夜のブナ林ミッドナイトウォーク」、「滝のエステとヒーリング」など自然体験のガイドを行っている。
また、地層や動植物、民俗芸能等の調査も行い、霧立山地固有種「キリタチヤマザクラ」や「幻の滝」などを発見し、関連するシンポジウム等を開催しながら地域資源を発掘している。
こうした地域住民の活動は、まだ任意の団体が独自に取り組んでいるのみで、エコ・ツーリズムとしての胎動は見られるものの、これが広く市民に理解され、支持されるところ迄には至っていない。
このようなことから、今後は専門的なガイドの養成や、旅行業者と一体となったツァープログラムの策定、地域資源の開発、自然環境の保全等行政と住民が一体となって取り組まなければならない課題がある。
3.エコ・ツァーの取り組み実績
「霧立越の歴史と自然を考える会」の主な実績は次の通り。
・平成7年より霧立越の古道13kmの歩道を整備してトレッキングコースを開発。(平成15年度の利用者約5千人)
・平成7年より霧立越シンポジウムを9回開催。(別添資料「霧立越シンポジウムの記録」参照)
・平成8年5月、霧立越の道標設置。
・平成10年5月、シャクナゲルート開発。
・平成12年5月、霧立山地固有種「キリタチヤマザクラ」を発見。(種苗を生産して平成16年3月には宮崎県北部森林管理署と五ケ瀬町共催による「キリタチヤマザクラの森づくり植樹祭」においてキリタチヤマザクラ500本を植樹。)
・平成13年5月、幻の滝を発見。滝のエステとヒーリングなどのエコ・ツァーを開発。
・平成16年3月、「九州脊梁山地・ブナ帯文化圏の詩」、「霧立山地の植物100」のCD作成。
・その他、九州森林管理局森林保全巡視員の委嘱を受けて霧立山地の動植物の盗採防止などの巡視を実施。
4.エコ・ツァー実施を想定するエリア
九州脊梁山地の扇山(1661m)、白岩山(1646m)、向坂山(1684m)、小川岳(1542)の連山で構成する霧立山地、及びシルル紀(四億三千年前)の地層が露出する祇園山(1307m)、揺岳(1335m)一帯で五ケ瀬町から椎葉村にまたがる山域。(別添「霧立山地鳥瞰図」参照)
5.想定されるツァープログラムの内容
@.霧立越トレッキングガイド等の認定と仕組みづくり
A.霧立山地の動植物等自然観察や体験ガイド
B.祇園山の化石学習と体験
C.民俗芸能の伝承と体験
D.日本の南限ブナ帯文化の検証と体験
E.焼畑体験
6.資源立地の分類
@豊かな自然の中での取り組み
7.エコ・ツーリズム推進協議会のメンバー・団体案
宮崎県及び五ケ瀬町と椎葉村の関係担当課、霧立越の歴史と自然を考える会、学識経験者、旅行業者等。
具体的な概算予算等も書き綴り翌日観光・リゾート課のO氏へmailに添付して送信した。その日の夕方O氏から電話があった。O氏は、「環境省へ電話を入れたら問合せが30件ほどで、まだ正式な申請はないとのこと、可能性があります。予算もリゾート基金等、現在すすめている事業の対応でもよいということで、地域活性化になれば弾力的に考えていくということです」という旨のお話が電話口から聞こえてきた。そして「国と同額の費用は、県のリゾート基金が利用できる。また、この基金の利用は1市町村あたり1回だけで2千万円という制限があるので町が他に利用を考えているのであればふるさと基金等も利用できる。県資金は利用できますが地元町村の受け入れ体制が必要です」という説明があった。
県が資金を準備してくれるなら五ケ瀬町も椎葉村も負担がなくなる。これなら絶対役場も異存はないだろうと嬉しくなった。その直後、今度は森林環境課のT課長補佐から電話が入った。「秋本さん、県の観光・リゾート課がやることになりました。これからこのような事業が必要です。折角、秋本さんが何度も県に足を運んでくれるので、知らんぷりはできませんわねえ。うちの森林環境課には金はないけれど人はいますからそっちの方で応援しますよ。」と、とても嬉しい言葉につい舞いあがってしまいそうである。
あやしい雲行き
4月7日(水曜日) 地元町村の取り組みが重要である。
椎葉村議のKさんに電話して環境省のことを説明し、その資料をFAXした。午後3時頃に椎葉の役場に伺う旨手配をお願いして出かけた。役場ではK村議、村長、助役、総務課と企画開発課の担当者が村長室で対応して頂いた。
これまでの経緯を説明して県との協議をお願いしたところ事業の重要性はよく認識して頂き、村長さんは「月曜日に県へ行くので観光・リゾート課に立ちってみる。」という快い返事であった。
椎葉から帰って五ケ瀬町の企画商工課へ電話し、県の対応、椎葉村への要請等これまでの経過を説明し推進をお願いした。しかし、どうも返事が思わしくない。けれども、国と県がお金を出して地元町村がいっしょにやる事業なので拒否されるはずはないと思った。
4月12日(月曜日) もう、締切まで4日しかない。夕方5時前に県観光・リゾート課のO氏に「その後進捗具合はどうでしょうか。」と電話を入れた。するとO氏は「先週うちの課長から町長に電話を入れたけれど、町長は、よく分らないので検討するという返事で回答待ちの状態です。地元の町が取り組まないと県だけで進めるわけにはいかない。資料は町役場に送ってあります。」という返事が返ってきた。
これはまずい、O氏には「明日伺いたいが時間の都合はどうでしょうか」とアポイントをとり、ついで役場に電話を入れ企画商工課長と町長へ「今からでていきます」と連絡して車を走らせた。
役場で「もう、日にちがない。なぜ結論がだせないのですか」と尋ねると「事業内容や事務量等もっと詳しく聞かなければ判断できない」という。そして町長室でも、町長が渋い顔で黙って説明を聞かれているだけである。
結論は、明日13日、町長が椎葉村長に電話を入れて協議する。14日は、企画商工課長が県の会議があるのでついでに県の観光・リゾート課に出向いて詳しく聞いてくる。ということに落ちついた。「14日に県の説明を聞いてその場で結論を出せませんか。」とお願いするも「それは、できない。持ちかえって協議の上判断する」。これは困った、15日に結論を出すということは環境省への16日締切に間に合わなくなる。
4月13日(火曜日) 夜明けに出発して県庁へ向う。県庁では、担当のO氏と協議の結果、@14日中に役場が結論を出された場合は、宅急便で申請書を送るので間に合う。A15日に結論を出された場合は、間に合に合わなくなるので環境省に遅れる旨の電話を入れて了承をとる。または、秋本が16日朝、宮崎から飛行機で持参する。その場合県の東京事務所に連絡をとって東京事務所と一緒に環境省へ行って申請書を提出して間に合わせる、という三段構えの対応策をとった。
環境省では既に60件ほどの問い合わせがあり、かなりな数申し込みがあったということである。皆んなかけ込みで申請をしているらしい。
県として、なぜ五ケ瀬町の取り組みを重視するかというと次の考えに基づく。エコ・ツーリズムモデル地域指定は、県には亜熱帯林もあり、綾町の照葉樹林帯もあり、五ケ瀬町や椎葉村の霧立山地のブナ帯もある。この中で五ケ瀬地域を指定したという理由は、いち早く五ケ瀬町が手を上げたから、ということにしたいというのである。
提出資料についても検討し、帰りにテレビ局へ出向き以前放送された1時間番組「九州遺産霧立越」のテープを環境省へ資料として提出する事に同意をお願いする。局では「それはいい、局でできることはなんでも応援します。もちろん、番組の著作権も了解するが、折角なのでその番組をDVDに落して差し上げましょう。もう資料としてはテープの時代ではありませんよ」と、とてもありがたい言葉に嬉しくなった。
県庁から帰途の途中役場へ立ち寄り、企画商工課長さんに県と協議の結果を伝え、できるだけ早く結論をだしてもらうよう再度要請する。
夢と散ったプロジェクト
4月15日(木曜日) いよいよ締切前日である。朝、出勤時間の8時30分を待って課長さんに電話を入れる。「昨日、県との協議の結果はどうなりましたか」。課長さんは「今、まとめているところです。9時頃伺います。」という。「いや、私の方が役場へいきます」というと「いや、私の方が伺います。」と電話口から聞こえてきた。GOサインが出たら「役場にすぐ来てくれ」となるはずで不安になった。
9時過ぎ、課長氏が車を走らせて見えた。そしてえんえんと真剣な意見交換が続いた。気がついてみるとなんと時計は午後2時になっている。2人とも昼食の時間も忘れて町の将来を議論していたのだ。結論はNOである。
課長さんは「私は秋本さんから課長をやめろと怒られてもしかたないと思ってやってきた。」とおっしゃる。NOは町長の判断だという。
私は、鞍岡支所の廃止についても鞍岡支所を核にした地域自治組織を立ち上げるべきだと先頭に立って反対した。本年度の当初予算でも、鞍岡支所の廃止予算が計上されていることと、五ケ瀬ハイランドに委託してる施設で使用料徴収条例があるにも拘わらず徴収されていないため五ケ瀬ハイランドは高額な所得税を支払っている、新年度も使用料徴収の予算が計上されていないことから一人反対をしたのだ。このようなことが頭をよぎった。
課長さんは最後に「これまでのことは水に流して町長と腹を割って今日のように話し合って欲しい、町長のOKがとれるかどうか分りませんが、私が町長に相談してみます。今、町がどうなるかという大事な時期に是非秋本さんの力を借りたい」と言って帰った。
午後3時過ぎ、県庁のO氏から電話があった。「残念ですが、町が受け入れないとの結論を先ほど電話がありました。取り組むように説得はしたんですが、町が動かなければ県だけではできません。この事業は行政の事業ですから。」という返事。すっかり落ち込んでしまい、その夜は眠れなかった。
4月16日(金曜日)いよいよ締切の日である。朝から気分の冴えない1日であった。シナリオはこうであった。
エコ・ツーリズムモデル地域に全国から8箇所指定される。五ケ瀬や椎葉の地元地域や旅行業者、学識知見者等で組織する推進協議会を設立して国の機関と協議を行い、祇園山の化石、郷土芸能、霧立山地の動植物や自然等の資源調査を専門機関に委託。その活用手法の開発と保存方策の策定、ルートづくり、ガイドの養成、プログラムの開発、こうしたことを全国の専門家の知恵を結集して組み立てる。
そして3年目には全国標準のエコ・ツーリズムのモデルとして売り出す。3年目から相当の入りこみが期待でき、関連する事業も国の制度事業で導入が図られる。この事業は、3年後の事業成果の姿を描くことができる唯一のプロジェクトであった。
夕方、「今日が締切でしたが残念です。」県庁の森林環境課T補佐から電話が入った。まさにあるプロジェクトが夢と散った日であった。(完)