スキー場開発によりやまめの里被災

 
苦しみもがくヤマメ
 1990年8月12日、私はヘアートニックの香りが漂う散髪屋さんの椅子の上にいた。倒した椅子に寝そべり、蒸しタオルを顔に当てられているとやがて睡魔が襲う。テレビの音声もしだいに遠くなり心地よくなってうたた寝の世界へ吸い込まれていった。と突然「お電話です」という声に目を覚ました。
 椅子の上で渡された受話器を耳に当てると「養魚場が濁りで大変です」と職員のうわずった声が飛び込んできた。「そんなにひどい雨でもないのになあ」と小雨模様の窓の外を覗いてみたが受話器の向うの息遣いが慌しく聞える。「少しぐらいの濁りに慌てることはないよ」と言ったがどうも変だ。何だか只ならぬ予感がしてあわてて養魚場へと車を走らせた。
 やがて養魚場の見える坂道を上ると、いつも見慣れた緑の中の谷川が茶褐色の布を引いたように異様な光景に変っているのが視界に飛び込んだ。「大雨でもないのになぜだ」。思い当たることがないまま養魚場に到着すると職員達は呆然となって池の縁に突っ立っていた。
 水路から池に落下する水は赤茶色でドロドロしている。粘っこくて白い泡も立たない。苦しみもがくヤマメたちは水面高く飛び上がったり、水際をツツツーと頭だけを出してパクパクしながら跳ねまわる。死魚をすくい上げてみるとエラの中には粘土のような泥が詰まっている。
 「これは全滅になるぞ」そう思った途端足がすくんでしまった。背中に冷たいものが走り頭までジーンと突き上げてきた。なすすべもなく職員達と呆然として池の縁に並んで見つめていた。
 「そうだ。原因を確かめなければ」。ようやく気がついて上流へ車を走らせた。谷川沿いにくねくねと上る林道から見え隠れする谷川の水はどこまで上がっても赤く染まっている。「一体どうしたというのだ。」不審に思いながら林道を上がりきると、そこはブナの巨木が茂る天然林で五ケ瀬川の水源地帯だ。
 その一角の標高1,600m付近にスキー場の造成工事現場がある。緑の中の山が削り取られて赤土が剥き出しになった斜面が見える。その端に重機が数台並んでいた。その中に入って下を覗くと天然ワサビの自生地がある。山椒魚たちが無数に生息している湧き水地帯である。
 削られた斜面を夢中になって湧き水のある方向へ駆け下りた。するとその湧き水地帯はなんとドロドロとした赤い沼に変っていた。中へ入って行こうとするとずぶずぶと膝まで赤土の中に沈んでしまう。引き返して端の方に出て廻り込んで下流側に出た。
 原因がわかった。そこから赤くドロドロと化した泥水が谷川を埋めつくし下流に向かって流れていた。こともあろうにこの湧水場所に山を削り取った土砂を埋め立てたのだ。このため地下水の逃げ場がなくなりやがて一気に噴き出して埋め土を沼のようにドロドロにし、その泥水が谷川に流れ出したのだ。
 この濁流で池のヤマメ30トンはほぼ全滅した。そして翌日もまたその翌日も泥流は続き、かろうじて生き残ったヤマメもしだいに弱り果て水生菌などに冒されて2次感染が広がりやがて次々と死んでいった。毎日トラックで死魚を運び出す。ポリ袋に詰めた死魚の山が増えていった。
 池に入ると池底は30cmもの泥が堆積しておりその泥の中にも死魚が無数にあった。濁流は農家の水田にも入って稲に被害を与えた。濁りは延々と延岡まで続いたと後で聞いた。
 川の魚類も上流域ではほぼ全滅した。あの生命力の強いアブラメさえ姿を見せない。初夏になると無数に飛び交っていた蛍も消えてしまった。この時、無秩序な開発の恐ろしさ、ブナ林破壊による自然の逆襲をまざまざと見せつけられた。


1990年8月12日

やまめの里の養魚場は、昭和48年に波帰養魚場の下流2キロ地点に建設されました。10,000uの敷地の中に2,400uの池があり、波帰川の清水を毎秒1トン引き入れて80トンのやまめを生産していました。

誰も訪れる事のない山深い養魚場に観光客が訪れるようになり、やまめを武器にやまめの里として地域おこしに取り組みました。5軒の民宿村が出来、養魚場を囲んで山家料理旅館「えのはの家」とホテルも建設されました。

1990年8月12日、突然養魚場の水源へ濁流が襲いかかりました。水の落ち込みが白い泡もたたないほどどろどろした濁りです。

写真左は五ケ瀬川源流。左の谷が本流で右側濁っているのが波帰川。

養魚場はこの吐き合いから右手、波帰川の上流500mにありました。

池底は死魚の山。対策の施しようがなく、ただ呆然として見守るばかりでした。

大切な親魚も泥が鰓に詰まって窒息死。濁りは、1週間たっても消えず、魚は餌も摂らず痩せ細って死んでいくばかり、日を追って被害は膨らむ一方です。

2トントラックで連日死魚の運搬ばかり。20トン以上運び出しました。池の周辺は悪臭に満ち、鼻がひん曲がるほどです。

死魚は、肥料として使ってもらうことにして山や畑に穴を掘って埋めました。付近の植物は広範囲に枯死してしまいました。

濁りの原因は、スキー場造成工事で湧き水のある水源地に直に土砂を埋め立てた為、湧き水が噴き出して泥流となったのでした。このため下流約8キロの五ケ瀬川本流吐き合いまでの水棲生物はほぼ全滅しました。この時以来波帰では、初夏に無数に飛んでいた蛍も姿をみせなくなりました。

その後、養魚場は、公共事業の障害になるといわれて撤去することになり、養魚場用地を売却して制度事業によって別水系に移転しました。移転地はポンプアップのコストがかさみ、制度事業の補助残負担及び、被災の損害補償が小額のため累積赤字等大変な負担になりましたが環境は最高ですので元気で頑張っています。尚、移転跡地はスキー場の駐車場となりました。

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